疑いだしたらきりがないが | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

私の担当している利用者に「8050問題」の親子がいる。

今年の4月だったか、利用者が突然歩けなくなった。

私は病院に連れていくよう助言。しかし、連れて行かない事2週に渡る。

その後、多少回復したとの事で「病院に連れて行かなくて良かった」と言うので呼び出し、受診や介護など、必要と思われることをしないと虐待けケースで通報する旨を言い渡した。

 

その時の家族の言い分がこれ。

「病院に行ったら殺される」

なんでも弟の義理の親が医療ミスで死亡。その後、遺体にも会えずじまいだったという。

 

確かにこんなケースはあるかもしれないとは思う。

しかし、様態が悪い時、こんなケースがあるかもしれないという理由で病院に連れて行かない事は正しい事だろうか。

 

そこでこの記事だが、結局は「死生観」に行きつく。

人はいつか死ぬのだという当たり前を受け入れることにある。

 

この年齢まで生きたら、このくらいの役割を果たしたのだから

自分は十分に生きた。これ以上生きる必要がない。

別に医療サービスを受け、闘病なんかしたくないという考え。

 

同時に医療サービスを受ければこの苦しみから解放され、長生きできるという考え。

 

そのような様々な考えが生きている間に意思表示され、家族も受け入れているかという事だろうと思う。

 

それに医療には一定の疑いは持たれている。

 

この新型感染症についても、果たしてここまで社会を止める必要があったのか、など。

 

それでも私たちは医療を頼りにしなければならない。

個人の主張はどうあれ。