学ぶという事 | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

おはようございます。

“幸せ創造人”たかひでです。


今日の一枚。

日本の神様カード 火之迦具土神

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火之迦具土神 ひのかぐつちのかみ

“私の炎は熱い火ではありません。古きものを焼き、新しいものを生み出す炎です。今までなってきた古い縄を燃やして灰にしなさい。そして、新たなる縄をなうのです。縄は縛るものではなく、人と人とをつなぐ輪となるでしょう。”

テーマ
炎の浄化と創造 カルマの理解と癒し 許すこと


教育問題
朝のワイドショーで大津市のいじめ問題が取り上げられていた。
また、朝日新聞の一面では国際学力調査の結果が出ていた。

教育とは「教える」と「育む」と両面あると思います。

この最近のニュース二つをざっと見れば、「教える」方は成果を出し、「育む」方は遅々として進まないと見受けられるのです。

そもそも学校は何のためにあるのでしょう?

勉強するという事はどういう事でしょう?何のために学ぶのでしょう?


最近の学校は教壇が無くなりました。

先生と生徒は対等なのだそうです。

昔のようにバケツを持って廊下に立たされることも無くなりました。

学校によっては、学校が朝食を用意するところもあるそうです。

ひどい親になると、自分の子供が朝起きられないから始業を遅らせろという輩もいるらしい。


なんかおかしくありませんか?

いつの間にか学校がサービス業に成り下がっているのです。

しかし学力は伸びている。

それであれば学校なんかいらない。

様々な社会ルールや、学業を学ぶ意欲を育むことこそ学校の意義ではないだろうか。

そうしたことに気付いてほしいものだ。