偏り | ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

昨日、教師もののドラマを見た。

時代時代の子供がどのように恩師の影響を受け、リレー形式でその時代時代に格闘する、というものらしい。ドラマの趣旨は面白いとも思う。教育が重要なのは当然だが、何となく違和感を覚えたのも事実だ。


一回目の昨日は戦前から敗戦を経て、戦後教育に携わった教師の話。

戦前は太平洋戦争を「聖戦」と位置づけ、命を惜しまず、お国のために戦えと教えてきたが、その教師自身も戦争で右腕を失い、復員してからもかつての教え子に罵倒され、自分の妹や教え子の妹が生きるためとはいえ水商売をし、自分が正しいと信じてきた国の混乱を見るに付け、自問自答し、悩み苦しみ、最後は生徒の「また戦争になったら、お国のために戦えと教えるのか。」という問いに「聖戦など無い。戦争をしないよう努力しろ。」と語りかけるというものだ。


しかし、日本が何でも悪かったのかというとそれは違う。

歴史は常に勝者の歴史だ。

常に敗者は悪者として扱われるものだ。


宣戦布告したのは日本だったが、そこに至るまで戦争回避の努力をしなかったわけではない。

世は帝国主義の時代。アジア・アフリカが欧米列強の植民地になっていく中で、アジアで唯一敢然と立ち向かったのが日本だったのだ。


日本という小さな身体をした小さな国が、欧米列強の戦艦を次々と倒した。これはアジア各国に「自分たちも出来る」勇気を与えた。そして、日本は戦争に負けたが、戦後、アジア・アフリカでは多くの独立国を生んだ。植民地支配から解放されたのだ。見方を変えれば、我々アジアは白人たちとの戦争に勝ったのだ。それも厳然たる事実だ。


今でも、「戦争責任」「慰安婦問題」「領土問題」など、戦争にまつわる負の問題が多くある。

どこぞの市長が「南京大虐殺は無かった」発言が波紋を呼ぶ事もある。

しかし、勝者に都合よく捏造された歴史が暴かれたとき、本当の平和の第一歩が始まるのかもしれない。


私の意見は偏っているかもしれない。

しかし、昨日のドラマも偏っていると思う。


白黒つければ良いというものではないが、少なくとも、日本人が国に誇りを持てるようなものを見たいものだ。ましてや教師が主役ならば。