その編成構成が乗り入れ相手から敬遠され、直通運転開始からわずか3年ほどでその座を後継車両に譲らざるを得なくなった東武30000系。
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1996(平成8)年に10000系の後期量産型である10030型をベースに地下鉄半蔵門線・東急田園都市線との相互直通運転用として登場しました。
乗り入れ先の地下鉄半蔵門線、東急田園都市線の編成両数に合わせ10両編成ではありますが東上線〜地下鉄有楽町線・副都心線直通用9000系のような貫通編成ではなく、6両と4両の分割編成となりました。
分割編成になったのは諸説あり、30000系が登場した際の所属基地となる当時の南栗橋検修区(現在の南栗橋車両管区)が10両固定編成を収容できなかった説、半蔵門線から東武線内の直通先を館林方面と東武宇都宮方面で検討していた説…があり、それらを考慮して分割編成になったのではないかと見られています。
しかし、その構成が逆に仇となってしまい、特に東急電鉄から敬遠されるという…😢。運転台付きの車両が中間に入ることで当時の田園都市線の主力であった8500系電車と比較すると、着席定員が編成あたりで12人減となり、田園都市線の沿線旅客から不評を買ってしまったのです。
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相互直通運転を開始した当初はまだ「営団地下鉄」だった半蔵門線側からも改善を促され、結果的に50000系51002Fをベースとした50050型に置き換えられ、30000系の地下鉄半蔵門線乗り入れは2003年の開始からわずか5年ほどで幕を下ろしてしまいました。