「あの時、ああしていれば。」

そう思ったことありませんか?

 

 

言い方を間違えてしまった。

あの選択は正しかったのか。

もっとうまくできたはずなのに。

 

 

昨日の自分を振り返って胸がざわつく。

その感覚は、大切にしてほしい。

 

 

なぜなら、そのざわつきこそが、

次へ進むための入口だからです。

 

 

振り返ることと、

引きずることは違います

 

 

昨日を振り返ることは必要です。

 

「なぜうまくいかなかったのか」

「何が足りなかったのか」を考えることは、

成長のために欠かせません。

 

 

でも、それを

いつまでも悔やみ続けることは違います。

 

 

過去は変えられない。

あの時に戻ることはできない。

 

 

どれだけ悔やんでも、

昨日の出来事はそのまま

そこにあり続けます。

 

 

大切なのは、

過去を裁くことではなく、

今からどうするか。

 

それだけです。

 

 

改善とは、

昨日と同じことをしないことです

 

 

昨日は、

Aを選んだことでうまくいかなかった。

だから今日はBを選んでみる。

 

 

昨日は、Aを選んでよかった。

でも100%やりきれなかった。

だから今日もAを選んで、

昨日できなかった部分までやってみる。

 

 

これが改善です。

 

 

派手な変化は必要ないです。

昨日より少しだけ誠実に、

昨日より少しだけ

自分の本音に正直に選ぶこと。

 

 

その積み重ねが、

確実に前へ進む力になっていきます。

 

 

振り返りは、

今日をスタートするための準備です。

 

 

そこで、

立ち止まり続けるため

ではありません。

 

昨日を見つめたら、今日へ向かう。

それだけでいいのです。

 

 

時々、

「反省なんてしない」という人がいます。

 

 

でもそれは、

次のステップへ行けないということです。

 

 

自己一致して生きるということは、

自分の言動に誠実であり続けることです。

 

 

昨日の自分を振り返り、

本音と行動のズレに気づき、

今日少しだけ修正していく。

 

 

その繰り返しが、

自分軸を育てていきます。

 

 

改善を重ねる人は、

完璧を目指しているわけではありません。

 

 

ただ、昨日の自分に誠実に向き合い、

今日の自分をより自己一致した状態に

近づけようとしているだけです。

 

 

いつも今が、

人生のスタートラインです。

 

 

昨日どんな選択をしたとしても、

今日また選び直せます。

 

 

改善を重ねることが、

あなたらしい人生への、

唯一の道です。

「この選択は正しかったのかな。」
なんて問い続けながら、

眠れない夜を過ごしたことありませんか?

 


あの時、別の道を選んでいたら。

みんなはこうしているけど、

私はこれでいいのか。

この選択で、本当によかったのか。

 

 

なんて・・・


でも、ちょっと考えてみてほしい。

 


その「正解」は、

最初からどこかに存在するものでしょうか。


学校のテストなら正解があります。

たとえば、

1+1=2が正解で、1+1=3は間違いのように。
でも人生は、そうではない。

 


結婚するのが正解でしょうか。

独身でいるのが正解でしょうか。

 

転職するのが正解でしょうか。

今の会社に残るのが正解でしょうか。

 

子どもを持つのが正解でしょうか。

持たないのが正解でしょうか。

 


どれも正解だし、

どれも不正解ではない。

 


これまで多くの人の人生と

向き合ってきて、

はっきり言えることがあります。

 


正解を探し続けている人ほど、

自分の人生を生きられていない。

 

 

私自身も、

正解がわからないまま決断してきました

 

 

一度コーチング業を離れた時、

たくさん迷って、たくさん揺れました。

 

 

本当にこれでいいのか。

この選択は正しいのか。

 

 

でも最終的に、

 

「今の自分にとってのベストはこれだ。」

 

と決めました。

 

 

正解かどうかはわからなかった。

でも、その瞬間の私が出せる、

最も誠実な答えでした。

 

 

それから約3年の月日が流れました。

静かな時間の中で、

ある疑問が浮かび上がってきました。

 

 

「私の人生はこれでいいのか。」 

「私はこの生き方で悔いないか。」 

「これが最高に幸せだと思える生き方なのか。」

 

 

その問いへの答えは、

頭で考えて出てくるものではなく、

心の奥底から、

じわじわと湧き上がってくるものでした。

 

 

私にはこれしかない。これが私だ。

 

 

その想いに強く押されて、

再びコーチとして立ち上がりました。

 

 

離れたことは間違いだったのでしょうか。

いいえ、違います。

 

あの3年があったから、

今の確信があります。

 

あの迷いがあったから、

今の覚悟があります。

 

 

大切なのは、正解を探すこと

ではないのです。

 

 

自分の心に聞いて、

自分で選んで、

自分で決めること。

 

 

そして決めたら、

その選択を正解にしていくことです。

 

 

誰かが「これが正解だよ」と

言ったことを鵜呑みにするのではなく、

自分の命に誠実かどうかを基準に選ぶこと。

 

 

その積み重ねが、

人生を「自分のもの」にしていきます。

 

 

人生とは、起きた出来事を

どう意味づけるかで決まっていくのです。

 

 

たとえば、同じ出来事でも

「間違いだった」と思えば後悔になるけど、

「あの選択があったから今の私がいる」

と思えば、かけがえない経験になる。

 

 

過去の選択を裁くのではなく、

その選択を土台にして今を生きる。

 

 

それが、自分軸で生きるということです。

 

 

生きていると、

誰かに「それは間違っている」と

言われることがあるかもしれません。

 

 

でも気にしなくていい。

 

 

だって、その人の人生の正解と、

あなたの人生の正解は違うから。

 

 

もし途中で「やっぱり違う」と思ったら、

また選び直せばいいのです。

人生は何度でも再起動できます。

 

 

大切なのは、

今あなたが何を選ぶかです。

 

 

そして、その選択に誠実に向き合い、

その道を正解にしていくことです。

 

 

正解を探すのをやめた時、

人生は初めて自分のものになります。

 

 

あなたが「これがいい」と思って選んだ道が、

あなたにとっての正解です。

命基準で選んだ道に、

他人が決めた正解は必要ない。

かつて私は、

信じていた人に、

お金を使い込まれた経験があります。

 

 

あるはずのお金がない!

支払いができない・・・

 

 

しょうがないから借りて来よう。

と、キャッシングをするようになり、

気づいた時には、

自分名義の借金だけが残っていました。

 

 

怒りなのか、悲しみなのか、

もう自分でもわからなかった。

 

 

ただ、重いものが胸の奥にあって、

息をするのも苦しかった。

そしてある夜、死を選択しかけました。

 

 

もう終わりにしていい。

そう思った夜、ふとこう思いました。

 

 

せめて、死ぬ前に。

生まれてから今日まで、

関わってくれた人たちひとりひとりに、

感謝の気持ちを送ってから死のう。と

 

 

そして、母、父、祖母…。

ひとりひとりを思い浮かべながら、

「ありがとう」を念仏のように唱え続けました。

 

 

唱え続けていたある瞬間、

突然、何かが変わったのを感じました。

 

 

言葉にするのが難しいけれど、

エネルギーの流れが変わった

そんな感覚でした。

 

 

それまで重く淀んでいた何かが、

スッと動き始めたような感覚。

 

 

そして何の根拠もなく、

こう思えたのです。

 

 

私、もう大丈夫だ。

 

 

論理的な説明はできません。 

状況は何も変わっていなかったし、

借金はそのままありました。

 

 

でも内側の何かが、

確実に好転していました。

 

 

その体験から気づいたことがあります。

 

 

感謝のエネルギーは、

どんな状況でも人の内側を

動かす力を持っているということです。

 

 

怒りの中にいる時、

人のエネルギーは外側に向かいます。

 

 

誰かを責め、環境を呪い、

自分を被害者の位置に置く。

 

 

でも感謝の中にいる時、

エネルギーは内側から湧き上がってきます。

 

 

誰かの存在に気づき、

生きてきたことの意味を感じ、

前に進む力が生まれてくる。

 

 

あの夜、私は怒りと悲しみの中から、

感謝へとエネルギーを切り替えました。

 

 

意図してそうしたわけではなかったけど、

結果として、それが人生を動かしました。

 

 

そこからたった10ヶ月で、借金を完済しました。

 

 

壊れたことのない人間に、

本当の強さは宿らないと私は思っています。

 

 

壊れるほどの経験をして、

それでも立ち上がった人間の強さは、

壊れたことのない人間の強さとは質が違います。

 

 

折れない強さではなく、

折れても立ち上がる強さ。 

 

 

傷つかない強さではなく、

傷ついても前に進める強さ。

 

 

それは、どん底を経験した人だけが

手にできるものです。

 

 

私が今、

人生の再構築を伴走する仕事をしているのも、

あの夜があったからです。

 

 

壊れた経験があるから、

壊れている人の痛みがわかる。

 

 

どん底を知っているから、

どん底にいる人の隣に立てる。

 

 

あの借金は、私を壊しました。 

でも同時に、私を作り直しました。

 

 

あなたは今、壊れそうになっていますか。

あるいは、すでに壊れていると感じていますか。

 

 

壊れることは、終わりではないです。

 

 

どん底の中にいる時こそ、

立ち止まって、

これまで関わってくれた人たちへの

感謝を思い出してほしいのです。

 

 

感謝は、状況を変えないかもしれません。

でも感謝は、あなたの内側のエネルギーを

確実に動かします。

 

 

そしてエネルギーが動いた先に、

現実が少しずつ変わっていきます。

 

 

壊れた私が強くなれたのは、

あの夜、感謝を選んだからです。

 

 

あなたにも、その力は必ずあります。

我慢しているという

自覚がない我慢があります。

 

 

苦しいとも思っていない。 

つらいとも感じていない。 

ただ、これが普通だと思っている。

 

 

でもその「普通」が、

実はずっと自分を削り続けていた。

 

 

そんなことに気づく日が、

人生の中で必ず一度はあります。

 

 

我慢は、いつも

「当たり前」という顔をしてやってくる

 

 

私にも、当たり前だと

思っていたことがありました。

 

 

家族のために、

自分の気持ちを後回しにすること。

 

 

やりたいことがあっても、

家族の都合が優先。 

 

 

本当はそう思っていなくても、

場の空気を壊さないように合わせる。 

 

 

自分が我慢すれば、

みんなが穏やかでいられる。

 

 

それを我慢だとは思っていなかったです。

 

 

愛情だと思っていました。 

家族を大切にすることだと思っていました。 

それが「ちゃんとした私」の

在り方だと思っていました。

 

 

気づいたのは静かな時間の中でした

 

 

ある時期、

立ち止まらざるを得ない時間がありました。

 

 

忙しさがなくなって静かになった時。 

久しぶりに、自分の内側と

向き合う時間ができました。

 

 

そこで浮かび上がってきたのは、

ずっと押し込めていた感情でした。

 

 

本当はこうしたかった。 

本当はこう感じていた。 

本当はこれが嫌だった。

 

 

言葉にするのも怖いくらい、

たくさんの「本当は」が出てきました。

 

 

そしてその時、初めて気づきました。

私はずっと、我慢していたんだと・・・

 

 

我慢だと思っていなかっただけで、

確実に、自分を犠牲にし続けていました。

 

 

なぜ我慢を我慢と気づけないのか

 

 

我慢を我慢と気づけない時、

そこには必ず「正当化」があります。

 

 

家族のためだから仕方ない。 

これが愛情というものだから当たり前。 

自分さえ我慢すれば丸く収まるからこれでいい。

 

 

その正当化が、我慢に

「当たり前」という名前をつけます。

 

 

当たり前になった我慢は、

もう我慢として認識されなくなり、

ただの日常になります。

 

 

でもその日常の中で、

じわじわと自己一致が崩れていきます。

本音と行動のズレが積み重なっていきます。

 

 

そしてある日、

説明のつかない疲れや虚しさとして、

表面に出てきます。

 

 

我慢の正体は、

自己犠牲という名の他人軸です

 

 

我慢の正体に気づいた時、

私はこう思いました。

 

 

私はずっと、

自分ではなく他人を基準に生きていた。

 

 

家族が穏やかでいられるかどうか。 

周りが納得するかどうか。 

誰かの期待に応えられているかどうか。

 

 

自分がどう感じるかは後回しでした。 

自分が何を望むかなんて

かんがえなくなっていました。

 

 

これは優しさに見えて、

実は自己一致から最も遠い生き方です。

 

 

自分の本音を無視し続けることは、

自分を裏切り続けることだからです。

 

 

我慢の正体に気づいた後どうするか

 

 

気づいたからといって、

すぐに全部変える必要はないです。

 

 

まず、認めることです。

「私はこれを我慢していた。」

その事実を、静かに自分に認めること。

 

 

責める必要はないです。 

後悔する必要もないです。

 

 

ただ、「当たり前」という

名前をつけて見えなくしていたものを、

もう一度「我慢」として正しく見ること。

 

 

それだけで、内側の何かが動き始めます。

 

 

そしてその次に、

こう問いかけてみてください。

 

 

「この我慢は、命に誠実でしょうか。」 

「この我慢を続けることで、

私は自分らしく生きられていますか。」

 

 

その問いの答えが、次の一歩を教えてくれます。

 

 

我慢に気づくことは弱さではない。

 

 

それはむしろ、

自分の本音にようやく正直になれた瞬間です。

 

 

「当たり前」の中に隠れた

我慢に気づいた日が、

自己一致への扉が開く日です。

 

 

あなたの「当たり前」の中に、

本当は我慢していることはありませんか?

あなたは今、不誠実な環境に、

居続けてはいませんか。

 

 

なんとなく違和感がある。 

でも、

すぐには離れられない理由がある。 

 

 

だから、もう少しだけ、

もう少しだけと続けてしまう。

 

 

その「もう少し」が積み重なる間、

あなたの中で何かがじわじわと

削られていきます。

 

 

以前、不誠実さを感じる

クライアントがいました。

 

 

支払いの遅れが続き、

その対応も誠実とは言えないものでした。

 

 

課題に取り組まない理由として、

次々と言い訳が出てくる。

 

 

契約中だから、と

自分に言い聞かせて向き合い続けました。

 

 

でも最終的には、

私のサービスへの不満を言い放ち、

支払いを放棄されました。

 

 

その瞬間、

私は深追いしませんでした。 

迷いもなかったです。 

怖さもなかったです。

 

 

むしろ、やっと離れられると、

安堵しました。

 

 

そしてその後、

私を取り巻く環境は、

スッキリと整いました。

 

 

不誠実な環境に居続けることは、

思っている以上に消耗します。

 

 

目に見えるダメージだけではないです。

 

 

違和感を感じながら向き合い続けることで、

エネルギーが削られていく。 

 

 

「これでいいのか」と自問しながら

動き続けることで自己一致が崩れていく。 

 

 

不誠実な言動を受け続けることで、

自分の感覚への信頼が薄れていく。

 

 

不誠実な環境は、

じわじわとあなたの内側を蝕んでいきます。

 

 

離れられない理由の正体

 

不誠実だとわかっていても、

離れられない時があります。

 

 

契約があるから。 

お金が絡んでいるから。 

関係を壊したくないから。 

自分が我慢すれば丸く収まるから。

 

 

でも少し立ち止まって

考えてみてほしいのです。

 

 

その理由は、

自分の命に誠実な理由でしょうか。

 

 

それとも、外側の事情に

引っ張られているだけでしょうか。

 

 

不誠実な環境に留まり続けることで、

あなたは自分自身に対して

誠実でいられているでしょうか。

 

 

不誠実な環境から離れることを、

冷たいと感じる人がいます。

 

 

見捨てるようで申し訳ない。 

もう少し向き合えばよかったのかもしれない。 

自分が我慢すればよかった。

 

 

でも違います。

 

 

誠実でいられない関係や

環境を手放すことは、

冷たさではないです。

 

 

自分の命に誠実であるための、

必要な選択です。

 

 

不誠実なものを引き受け続けることは、

自己犠牲であって誠実さではないです。

 

 

本当の誠実さとは、

自分にも相手にも正直でいることです。

 

 

そしてそれができない関係は、

続けることで互いを消耗させるだけです。

 

 

離れた後、環境は整います

 

 

不誠実な環境から離れると、

不思議なことが起きます。

 

 

空いたスペースに、

誠実なものが入ってくるのです。

 

 

人間関係が整っていく。 

 

自分のエネルギーが、

本当に大切なことに使えるようになっていく。 

 

自己一致した状態で、

毎日を過ごせるようになっていく。

 

 

手放すことへの怖さがあるかもしれません。

でも離れた先に待っているのは、

喪失ではなく整理です。

 

 

今のあなたの周りに、

不誠実だと感じる環境はありますか。

 

 

違和感を感じながら、

それでも離れられずにいるものはありますか。

 

 

その環境に居続けることは、

あなたの命に誠実でしょうか。

 

 

離れることを恐れなくていい。

 

 

誠実でいられない場所から離れることは、

あなたが自分を守る、

静かで力強い選択です。