今まで何度か記事にしておりますが、
ほんっと~~~~~~~~~~~~~に、
怒るのが苦手です。。。
争いも好きじゃないし、
我慢してどうにかなるんなら、
それでいいや・・・的な対応が多いです
自分が「責められる」のが嫌いだから、
ひっくり返って「責める」のを避けてた部分もある。
その場の空気を悪くするのが嫌だった部分もある。
怒りのためのエネルギーを費やすのが
面倒だった部分もある。
「怒る」のは未熟な証拠で
そんな姿を見せたくなかった、という見栄の部分もある。
今回、もう一つ発見しました。
ある人について
今まで必死に、受け入れよう、良い方へ考えよう、
としてきたのが出来なくなってしまい、
アタマの中で
勝手にその人への意見を並べていました。
「なんでそんなことしちゃうの?」
「もっとこうすればいいのに」
「このままでは立場がどんどん悪くなるよ。。。」
それらはこれまで、
何度も浮かんできた想いでした。 ふと、
「これは今、しっかり考えた方がいいのかも?」
と感じ、今までは抑えがちだったそれらの想いを、
本人が目の前にいるような気持ちで
心の中にぶちまけていきました。
そのとき初めて、
「あぁ、私は怒っているんだ」
と気づきました。
しかも、異常なほどのエネルギーで。
(なんと、一晩眠れませんでした。
3年間ほど、溜めていましたからね・・・)
「あぁもうこれは、怒りきっちゃった方がいいのね・・・」
と諦めて、感情のしたいままにさせておきました。
それが、おとといのことです。
怒りきったあとは、当たり前かもしれませんが
「凪」のような状態になりました。
何も残っていない、さらっとした感じ。
どんな変化が起こるのかなぁ、と観察していたところ、
心の奥から、ふわっと、ある言葉が浮かびました。
「信頼」。
その人の顔とともに、「信頼」という文字が。
「そうか、私はその人のことを、信頼したかったんだ!!」
どうでも良い相手なら、こんなに拘りません。
信じて、支えて、協力し合いたい。
それが出来ないから、辛かったのです。
で、ですね・・・
ちょっと不安になりました。
上記の「怒り」の想いは
単なる愚痴にしか過ぎないのかもしれない、と・・・
で、夫に相談してみたんです。
そしたら、こんな反応がありました。
「ええなぁ、その人。
お前にそんなに心配してもらえて」
・・・。
私、『心配』してたんかーーーー!!!
笑わんといて下さい。
自覚なかったんです。
怒りのイメージが良くなかったもんで
ずっと抑えてたもんですから、
それが実は「心配」に起因するものだと
気付かなかったのです。。。
なんだ、その人を大切に想ってるからじゃん。
そう思うと、すーーーっと心が軽くなりました。
なぜ、すぐに怒ることが出来なかったのか。
大切な相手を、
「怒り」という感情で包みたくなかったからでした。
でも、正直な気持ちをだましていては、
本当の意味で大切に想うことはできませんね。
マイナスとして扱われることが多い、『怒り』。
抑えて、誤魔化しているままだと
見つからなかったと思います。
「怒りきる」。
ちょっとしんどかったですが、やってみて良かったです。
これで、行動が変わればいいな