今日、本を読んでいた時のこと。
(三浦しをんさんの『仏果を得ず』です。
それは普通の小説で(いわゆるスピリチュアル系ではない)、
登場人物の心情や、その背景が丁寧に書きこまれ
それらを普通に楽しんで、味わっていました。
ひとクセも、ふたクセもある人たち。
物語の中の悲喜こもごも。
事件の真っ最中にいる人にとっては
えらく大変な出来事でも、
一歩ひいた立場から見ると、面白い。
あぁ人間の生きる様は、
なんてオモロクて、愛しいんだろう。
そのとき。
唐突に、わかりました。
ずっと抱え続けていた、”存在の不安 ”。
それらを吹っ飛ばす勢いでやってきたのは、
私自身もまた、
「オモロクて、愛しい」生きものだってこと。
ぐちゃぐちゃになっても捨てられない不安、
こっそり隠している不満・愚痴、
残酷に破壊し尽くしたい怒りの本性、
ループする思いグセ、
それらを生みだす甘ったれた自己認識、etc.
そういうのが全部、全部、
本当は、
オモロクて、愛しい。
(全ての人が、そうであるように)
そんなめっちゃシンプルな「気づき」が、
まるで見えない光のシャワーのように
一気に振りそそいでやってきました。
人々が感動するすべてのものは、
自分の内にも確実に存在する。
かたちとして現れずとも
皆それを知っていて、
だから、素晴らしいものに共鳴し、感動する。
自分の中の「それ」が、反応する。
私が怖くて怖くてたまらなかったのは、
「自分を知る」ことでした。
こんな醜くて酷い有り様は、
受け入れられるはずはない、と信じていました。
・・・全然、怖くなかった。
だって、醜くても何でも、
オモロクて、愛しいんだもの。