そうか、ここに引っ掛かってたんだ、というのが
わかってきました。
「自分は存在するだけで人に迷惑をかける。
嫌がられている」
「全てを犠牲にしないと自分は認めてもらえない、
生きていることを許されない」
という根源的な不安があることは、すでに承知。
つまりは、
「どうすれば存在することを許されるか」
という動機で行動している。
だから、相手や周囲の反応が
「認めてくれている」 「許してくれている」
というものでない限り、↑の不安が襲ってきて
「自分はここには必要ない人間なんだ」
「いない方が良いのだ」
となっちゃって、”離反”したくなる。。。
「私は、ここに存在したい」
が無くなってしまうから、ややこしくなる
いや、正確にはある。心の奥の方には。
存在していたいから、認めてもらいたい・・・。 でも、
「誰かの”許可”がなくては、
存在していいのかどうかが、わからない」
となってしまうのが、大きな問題になってるんだな。
望みがあるはずなのに、見えなくなる。
(というか、本来「許されてる」はずなのに、
わからなくなる。。。)
きっと、すごい恐怖なんだね。 存在を脅かされるのが。
自分がどうしたいかよりも、
「どうすれば生きられるか」というレベルにまで、
一気に飛んでっちゃう
許されていないのなら、許される場所へと逃げたくなる。
・・・自分に声をかけているんだけど、難しい。
いくら「大丈夫、大丈夫だから!」と励ましても、怖い。
そして、恐怖と闘うたびに、疲弊する・・・。
(なんでこうなっちゃうのかは、イマイチよくわからない)
被害者意識の強い人間は、
安心感を求めて生き続けるんだよなぁ、
と、あらためて実感する日々です。。。