続きです。興味のない方は華麗にスルーでお願いします(笑)
【田島由美子 49歳の略歴④】
●16~18歳 群馬県立伊勢崎女子高校に通う。(伊女)
中学の担任からは前女に行く様に言われたが(スミマセン!ちょっと自慢が入ります(笑))
当時は自転車通学だったので、前女は島村から遠いのと、友達がほとんど伊女に行くので自分もそうした。
そして、あのリットルマークのセーラー服が着たくて(笑)
ゆるい、居心地の良い、ぬるま湯の女子高生活で、勉強する事を忘れて、帰宅部&喫茶部に所属する。(サ店でお茶して帰るクラブ活動(笑)) 女子高生活と甘い物で、自分を甘やかしてました。女子高というのは独特な世界です。
伊女は100年以上の伝統校で、授業に華道、茶道があって楽しみでした。お茶の水屋もあって、師範の先生が着物で来てくれてお点前を教えて下さった。生菓子が美味しかった!
お点前は、もう全部忘れちゃったけど(笑)
遊んでサボっていたので、3年の時に行ける大学がない事にようやく気が付き(笑) 担任の先生に何処でも良いから推薦してくれる様に頼み込む。
勉強してなかったので、もう試験で受ける様な
四年制は難しく(涙)
当時は伊女で評定平均が4.5以上であれば
短大は面接推薦が受かれば入学が出来たのです。
(だったと思う。違ったらスミマセン)
面接は今でもよく覚えているのですが!
教授からの「谷崎潤一郎の『春琴抄』の佐助について、どう考えるか?」という深い問い(日本文学科だったので)
私の頭の中で、島小学校の図書室が思い浮かび、
ああ、あの本棚の何番目にあった。
小6の時に読んで衝撃を受けた谷崎潤一郎先生だ!と。
「佐助は自らの目を突くことで、彼女の永遠の美しさを手にいれたのだと思います。サクリファイス=自己犠牲による対象への昇華です」なんていう事を?答えた様な?
(若いって怖いですね(笑))( ̄▽ ̄;)
そして、こんな青い回答を受け止めて下さった(笑)
教授に感謝して、夢に見た東京へ上京。
親戚に東京の叔父がいて、話言葉(群馬弁ではない標準語)や、静かな立ち居振る舞い(ドスンドスンと歩いたり、座ったりしない)、お土産(東京のお菓子!)、にカルチャーショックを受けていたし、当時は母と色々合わなくて(今は和解(笑))実家から逃げようと真剣に思い(笑)
実は、下見に何度も電車で、原宿や青山に通ってリサーチしてました(笑)
島村から高崎線の深谷駅が近いので、40年前でも
東京へは2時間弱で着くので、遠い感じはしなかったです。
初めての1人暮らしは、東京都文京区白山の小さなワンルームからスタートでした。
仕送りとアルバイトで、貧乏学生生活(笑)
いろいろと、やらかしました。
続く。
