こんばんは♪妻です(*^^*)
『生と死』の続きです。
(嫌な方は飛ばして下さいね♪)
ちょっと話が前後するのですが、島村には
島村めぐみ保育園という
創立130年を超える
日本基督教団島村教会が運営している小さな保育園があります。
島村の子供達は皆、この保育園に通います。
私も例にもれず、3歳~6歳まで通いました。
朝のお祈りから始まり、食事の前のお祈り、イースターやクリスマスペイジェント、等の行事の時は牧師が正装して礼拝が行われました。
『今日も美味しい食事を頂ける事に、感謝いたします。ここにいる子供達だけではなく、今日、体調を崩されてお休みの方も、病床にある方も、世界で大変な思いをしている全ての人々、世界中の皆が良くなりますように。アーメン』というお祈りをしてから、スプーンを手に取りました。
ここでも『生と死』は当たり前に共存していました。
イエスには形はないのですが
『自分の中にあるもの』で、他人の中にもあるもので
もっと言うと『自分の一番苦手で、嫌いな人の中にイエスがいる』ということを日々の保育園での生活の中で学びました。
幼い頃に『死は生と一緒にあるもの』で
死は特別なものでもなく(なぜなら100%全員がいつかは亡くなる)
でも、身体は亡くなっても心や魂は永遠に宇宙を自由自在に飛び回っていて、無くならないのでは……?ということを漠然と
というか、動物的な感覚として気負うことなく、ただ受け取っていたので
『死んでるんだから、もう消えてここにはいないんだから』お墓に御供えされた栗饅頭は食べていいんだよ!という、言わば真逆の近所のお兄さんの概念に
今までは、死がここに同時にあるものであったのが、
死はここに同時にないもので『無』『空洞』のような?真っ暗闇のような?怖さに換わったのです……。
続く♪
