こんにちは♪妻です(*^^*)
『生と死』の続きです♪
じゃあ、死って全部が無になることなの!?
身体が亡くなれば、全てが全く『無』になることなの?
それとも3歳頃から身体感覚的に感じ取っていたように?
死は普通に、同時にそこにあるもので?
死は身体が物理的に亡くなっても、心と魂は自由自在に宇宙を行ったり来たりしているものなの!?
(嫌な方は飛ばして下さいね♪)
つらつらと書いて行きま~~す。
次のエピソードは、祖父の死でした。
祖父は、とてもエネルギー量の高い人間でした。
どんな経緯か?島村の立作で『田島精米所』(※現在は田島商店、上下水道の住宅設備業とプロパンガス業です♪)という米の精米業と生活雑貨屋、燃料の配達業を興します。
私の幼少期の記憶では、土間の小さな雑貨屋で硝子瓶の中におせんべいや飴玉、ちり紙(トイレットペーパーではなく、ガザガサとした質感の紙です)、オガライト、練炭、豆炭、煙草、洗剤、切手、封筒、等々。
そして年中無休。
『店は閉めたらダメで、毎日開ける』というのがポリシーです。
お正月でも、お盆でも、休みません。
早朝でも、夜でも、お酒を飲んでしまっていても(※スミマセン。40年前の話なので時効で……)
村民から『わりい~~んねぇ。燃料が切れたんだけんど、持って来てくれるん?ついでに醤油もあるかね?』と電話があると『ハイよ~~!』と軽トラで直ぐに届けていた祖父の姿。
よく覚えているのはオシャレで前歯が総金歯で!スラーっと背が高くて、一年中首にスカーフを巻いていて
『スーパーカブ』のバイク仲間と島村をぶっ放している姿です。( ゚ ▽ ゚ ;)
そして、とにかく新しい物が好きで、当時、島村ではとても珍しかったTVをいち早く購入して
村中の子供達を呼んで無料で観させていたというエピソードが!!!
島村でTVがあったのは田島医院と田島精米所だけだったそうですが、うちは決して裕福ではなく、自分の家はいつまでも裸電球でしたし、ずっと古い家に叔母も含めて大家族で住んでいました。
人には良くするのに、自分の家は何でも後回し。売り掛けで集金なのですが、家計が大変な村民からは無理に集金しないので、その分は私達家族がガマンすることに。
設備業なのに、自分の家は外風呂でつい最近までシャワーもなく、トイレも長いこと外にあるトイレでした!!!
夜、トイレに行くのが本当に怖かった!!!
私が夜中まで本を読んでいると、祖父が心配して『もう身体に毒だから、寝やっせ』と電球をパチンとひねって消してしまうので……、当時は(電気代がもったいないから消された!!!とムカムカしていました……。)
話がそれました。
そうそう『生と死』です。
そんな祖父が、老衰で亡くなる時の話。
私が、東京の生活が楽しくて楽しくて仕方ない20代の頃です。
1年に1度くらいは帰省していたのですが、あるとき『あれ?いつもの祖父じゃないな』というか、上手く言えないのですが
身体にエネルギーが入っていない感じ。
もともとが、エネルギー量の高い人間なので、その違和感が『あれ?』という感じです。
ああ、身体から色々なものが抜けているんだなぁ~~とでも言うのでしょうか?
そして、祖父は徐々にボンヤリと寝ている事が多くなりました。
いつも、何かしら身体を動かして仕事をしていたのですが(仕事を息子である父に任せてからも、畑をしたり、何かを直したり、近所の友人と飲んだり)ボーッと横になっている事が多くなりました。
モヌケの空。(°∀°)
そして、老衰するという言葉の通りに
徐々に徐々に、心?魂?が抜けてゆっくりゆっくりと祖母の横で、畳の上で亡くなりました。
『病院に入院した方が良いのでは?』という家族の声は聞かずに
最期まで、主治医の島村の田島医院の田島稲造先生に往診してもらいながら人生を終えました。
続く♪
