病理検査の結果② | なっちゃったものは治すしかないよね。55才で気付いた乳がんの記録。

なっちゃったものは治すしかないよね。55才で気付いた乳がんの記録。

ガン発見時55才
手術2019/5/17
■わたしのガンのタイプ
ルミナルB
グレード1
エストロゲン受容体 陽性
プロゲステロン受容体 陽性
HER2 陰性
Ki67 50~60%
断端 陰性
センチネルリンパ節 転移なし
治療はホルモン療法と放射線治療
化学療法は不要

こんにちは

の続きです。

今回は術式を聞いたあとの
私自身の気持ちの動きを書いています。

多分初めて感情的になって泣きました。
(病気発覚後です!)


=========================


ネモフィラが見頃という情報を得て
病院のあと熊谷スポーツ文化公園へ。

満開でした。
見事です。




手術内容の説明のとき

1.1センチの腫瘍を包み込むように
大きめに、乳輪乳首ごと切り取ります。



あっさりと言う医師。
予想はしていたけれど
事実を突きつけられるとじんわりショック。



会計をすませて車に乗ったとたんに
メソメソ泣く私をみて
旦那さんは戸惑っていたわ。

「だ、だ、だいじょうぶだよ
 治るよ、絶対!」

「そんなのわかってる。絶対なおるもん。
でも、さとちゃんと、たかちゃんと、
ひーちゃんを育てたおっぱいがなくなっちゃう。
それが悲しい。しくしく」






そのあと、
気を取り直してネモフィラを見に行き、
ベンチに座ってひと休みをしていると

「ママはずっとあっけらかんとしていたから、
(私達はパパママと呼び会う夫婦です)

それほどショックを受けてないと思って
安心しきっていたんだけど、ごめんね。」





予想外に、
旦那さんに謝られてしまいましたが


病気のことは、
ほんとにそれほど深刻に考えてないのよ。
なおるので。
元気な人たくさん知ってるし。

場所がね、乳輪だからね、
乳首とるのかな?って。
それだけが気になっていた。
そして、
今日その不安が現実として迫ってきたの。

女性の象徴だから、
とか、そんなことではなくて、

幸せだった記憶のなかに、
赤ちゃんだった子供たちに、
母乳を飲ませている瞬間があるから。

しっとりと重たい子供を抱えて、
コクンコクンと飲む子供を見るのが
大好きだった。


飲み終わった子供の満足そうな顔、
スッキリ軽くなるおっぱい。
子供が泣くと張るおっぱい。
飲みながら眠る子供のほっぺを
ちょんちょん触るとまた飲み始めるの。

飲んでる子供の手を握るの大好きだったなぁ。


いつも子供を見ていたけど、
時々テレビに気を奪われると、
乳首をいーーって噛んで引っ張って
「こっちを見てて」ってアピールするの。

三人ともそうだった。

そんなおっぱいがなくなっちゃうのが、
私は悲しいんだなぁ。

ごめんね、こんな感傷的なこと書いて。
男の人にはわかんないよね、この気持ち。

多分旦那もわかってないけど、
しばらく味わいます。


続く(え?!)


▼私のもうひとつのブログ







友だち追加