夫の浮気で感情が揺さぶられ
その苦しみから脱出するために
いつものように自己対話ノートで
自分の心に潜っていくと
一番かどうか?
彼女より優先されているかどうか?
にこだわっている自分に気が付いた。
「私が大切にされたか、されていないか」で言えば、
本来夫は私の友人が口々に羨ましがるほどに、とっても優しい人で
結婚後の愛情表現の乏しさに物足りなさはあったものの、
仕事も家事も育児も言うことなく、家族を大切にしてくれていると思う。
だけど私は、
私が一番に大切にされていると実感できなければ不安になるらしい。
私は確かに夫から大切にされている。
本当に、感謝すべきことがたくさんある。
私と愛しい娘が不自由なく暮らせているのも
専業主婦の私が、好きなお稽古に通えるのも
仕事で疲れていても、週末には必ず娘の遊び相手をしてくれるのも
夫の故郷を遠く離れて、転職してまで私の実家のそばに家族で引っ越してくれたのも、
夫が私に与えてくれている恩恵が
「事実、ここに在る」。
その「事実」は絶対値であって、相対的に減ったり増えたりするものではなく、
「事実、私は夫から恩恵を受け取っている」
その恩恵は、愛だともいえる。
私は、夫から愛をもらっている。
夫が他の女性によそ見したからと言って、
夫が転職して引っ越してくれた事実
=私に対する愛
が減ったわけではないし、
夫が仕事してお給料を稼いで家族を養っている事実
=家族に対する愛
が減ったわけでもない。
愛ってなにか?って、これまた哲学的には難しいけど私の中で、
私が夫から受け取っている恩恵=愛と定義すると
私は愛されているってことになる。
夫がよそ見しようとしていまいと、他の女性に心が動こうと動かまいと)
(彼女に入れあげて家庭に入れるべきお金をつぎ込んだとかなら話は別だけど)
外側を見ないで
私に集中して
私にもたらされている
事実(恩恵=愛)だけをみたら、
私は愛を受けとっているのに、
その愛を取りこぼしているんじゃないか?
私が一番かどうか
他人と比較して
意識を外側に飛ばして
愛を感じて味わえる
唯一の「今ここ」を無駄にして
エネルギーを漏らしている。
他人と比較して
その他人を監視することで
自分ではなく
その他人にエネルギーを注してしまって。
愛も幸せも
「感じること」は
「今、ここ」でしかできないのに
私は他人との比較で意識を外に飛ばし
「今、ここ」に不在で
せっかく差し出されている愛を
感じ、味わうことをしていなかった。
「今あるものに感謝」できてなかった。
夫がした浮気の善悪や、
許す許さないということは別の話で、
私が私の人生を幸せにする
そのための考え方のひとつとして、
これも採用していこうと思う。
外側にばかり意識を向けずに
もっと私だけを見て
私に与えられている愛を取りこぼさず受け取っていく。
私が幸せであるために。
欲しくてたまらない求めている愛も幸せも、本当は「ここにある」のかもしれない。

