夫が何を好み
夫が何をしたいと思い
夫が何をしたとしても
私の存在価値とは関係ない
新しい設定を採用することに
決めて
夫が何をしたとしても
私の存在価値とは関係ない
と納得して、
「夫が
奈良に大仏様を見に行っても
私の価値とは関係ない」
うん!そうだ!そうだ!
と思ったのだけど、
これ、やっぱり「他の女性と」って語句を挿入すると心が穏やかではない。
「夫が、会社の男性上司と奈良に大仏を見に行った」
は、全然OKで
「ふ~ん、好きだねぇ」くらいしか思わないのに、
「夫が、他の女性と奈良に大仏を見に行った」
だめだ、、、ざわつく、苦しい。
私の価値とは関係ない
かもしれないけど、苦しい。
なんでだ?
うぅ~、、、、
せっかく、いいとこまでいったのになぁ。
そういえば、
前々回のブログ記事でも、
私は夫の浮気の
何が辛いのかの自問自答で
夫が私より彼女に魅力を感じたこと
夫がその女性のことを考えている時、夫の頭の中では私より彼女が優先されていること
その時、夫にとっては私より彼女が重視されていること
「私より彼女が」と
彼女と比較して、
私が大切にされなかったことが辛いと感じていた。
「私が大切にされたか、されていないか」で言えば、
本来夫は私の友人から羨ましがられるほどに、とっても優しい人で
愛情表現の乏しさに物足りなさはあったものの、
仕事も家事も育児も言うことなく、家族を大切にしてくれていると思う。
私は、私が一番に大切にされていると実感できなければ不安になるらしい。
次の克服ポイントはここだなぁ~
他人との比較
競争
勝ち負けで
「自分が優位で勝っている時だけ幸せ」
という、これまた
「夫に愛されていると実感できるときだけ幸せ」
=「誰かが私を評価してくれたときだけ幸せ」
に続く、
外側の条件が思い通りに整ったときだけ感じられる不安定な幸せ感。
他人次第、外側次第の不安定な幸せは、しんどい。
いつも他人を監視して
いつも私を一番に優先してくれているか見張ってないといけない幸せ。
それは、私が望む本当の幸せではないな。
私は、いつも自分の内側で、自分次第で幸せを感じていたい。
いらない設定は、手放すしかない。
私は外側の条件次第の幸せではなく、自分で自分を幸せにしていたい。
私次第の幸せでありたい。
