ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス から学ぶ女性性と男性性。
さっそく見てきた!!!ということで今回もネタバレだらけの超オカルトな感想を書いていこ。
映画館では初めての4DXで見てきたんだけど座席が激しく動きすぎて背もたれに何回も頭を打ってひとりで笑ってた。背もたれ固いから地味に痛い。ホラーな場面もびっくりして声出た。IMAXみたいな迫力は映像にないけど4DXはホラーに合ってたと思う。
さて、肝心の内容について。以前エターナルズの感想書いたときMCUフェーズ4のイメージについてこんなこと書いた。
フェーズ4から「精神世界突入後、その中に精神世界と現実世界を創り、それぞれ分かれていく」はなしなイメージ。
これは、精神世界と現実世界が分かれてどちらも認識できるようになるということであり、そうなってしまうと、もうどっちが現実か分からなくて混乱してしまう。最終回を迎えた「ムーンナイト」もまさにそんな世界観だった。
現代では、陰謀論とか集団ストーカーとか、アニメや漫画の内容に本気で怒ってしまう人とか、精神世界のお話を現実だと思ってしまう人々が増えていることと同じである。それはまったく非難することでもなく、仕方がないこと。人間が進化するための通過点なのだ。
「ロキ シーズン1」の最終回では、在り続ける者が『境界線を超えた』と言っていたシーンがあったけれど、現代はまさに現実と精神を隔てていた境界が曖昧になり混じり合う時代。
「ワンダヴィジョン」で、ワンダは創り出した精神世界にどっぷりと浸かってしまったから現実に戻ってこれなくなった。そして、スカーレットウィッチである自分を選んだ。「MoM」ではワンダ(現実)とスカーレットウィッチ(精神)との対比で境界を超え行き来する混乱が表現されていた。
もちろんストレンジも違う世界線の自分に出会うのだけどワンダほど惑わされてはいない。主人公というものは、変わらない自分自身を肯定する強さを持っている。世界線の違う自分に出会ったとしても、現実の自分が絶対である。
そしてこのワンダとストレンジの現実世界/精神世界の捉え方の違いが、女性性と男性性の大きな違いでもある。今回の感想文は『ドクターストレンジ/MoMから学ぶ女性性と男性性』というテーマで書いていくことにする。
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●「MoM」スカーレットウィッチから学ぶ女性性
スカーレットウィッチとは、前回の日記でも書いたグレートマザーの悪の側面だ。一方ワンダは善の側面である。
グレートマザーとは、心理学者であるユングが見出した夢の中に登場するイメージのうちの1つ。それらイメージは元型(アーキタイプ)と呼ばれており、人間の心の奥底に古代から存在し、人類はそれを共有している。
あらゆる物を育てる偉大な母のイメージで、女性の成長の究極的な目標だとされています。ただ、母という要素には二面性があり、一つには子どもを慈しんではぐぐむ力、もう一つは子供を束縛し、のみこんで破滅させてしまう恐ろしい力です。
夢に現われるグレートマザーは、年長の女性、女神、老婆、魔女などの姿を取り、否定的イメージが強い時には鬼婆、化け猫、メスの猛獣、渦巻きなどの姿になるそうです。
ユングの夢分析と5つのアーキタイプ
グレートマザーは全てを生み出す母であるからこその悪を表現する。大きすぎる愛故の悪。魔女であり老婆であるスカーレットウィッチは予言されていた存在であった。予言されていた存在もなにも、世界とは女から生まれている。ワンダゴア山のスカーレットウィッチの銅像は、世界が『始まった』頃から存在しているのだろう。
産みの苦しみとはよく言ったものだけれど、その「苦しみ」は女しかわからないものなのかもしれない。世界を産んでしまう者の苦しみ。それは『現実も精神も結局全ては幻想である』という真実を理解している苦しみであったりする。
確か、ストレンジがワンダに対して『子供たちはただの幻想だ』って諭している場面があったと思うのだけど、それに対するワンダの返答にものすごいドキッとした。しかしそのセリフ忘れてしまった!『女は全部幻想だと知っている』みたいな返答だったと思うけど、もう一回見ないといけないな。
ワンダの恋人も生身の人間ではないし幻想のようなもの。現実でさえも全ては儚く虚しいということを理解しているワンダ。幸せを手にしたとしても、それはどうせいつか消えてしまう幻なのだ。だから、ワンダはヘックス内で創造した自分の息子たちを愛し留めようとする。世界が幻想であることを忘れるために。
息子たちへの愛が強い執着へと変わる時、強大な悪に変貌する。これがグレートマザーの悪の側面である。
「ブラックウィドウ」はナターシャの過去のお話だったけれど、レッドルームで殺し屋として育てられたこと、『作られた家族』とのエピソードなどが明かされた。レッドルームの女性たち、作られた家庭、どちらも幻想である世界を表現している。
エヴァでも綾波やアスカは自分がクローンであることを知っていて、世界を見る目がどこか冷めていた。やはり女は世界が幻想であるということを知っている。
女は世界が幻想だということに納得した上で、それを乗り越えていくことが使命なのである。ナターシャは作られた家族であっても、そこに本物の愛があったことを最後には認識できたから救われた。乗り越えたからこそブラックウィドウは強い。
一方スカーレットウィッチの強さは、儚いものをなんとか留めておこうとする執着心から。どうせ幻想なのだから、自分の思い通りにしてしまおうと思っている。そしてワンダの時よりさらに強くなっているのは、自分自身が太古から存在する魔女であること(グレートマザーであること)を知ったからである。
闇に落ちて初めて自分の原点(女であること)を知り、性質を理解することができる。そして自分の本当の能力をも理解する。ワンダゴア山で自分の銅像を見た時、そこが自分の玉座であると納得した描写がその瞬間である。だからこそイルミナティなんて瞬殺なのだ。
ヨハネの黙示録に登場する『太陽を着て足の下に月を踏んでる女』はまさにグレートマザー(スカーレットウィッチ)のこと。産みの苦しみのために、破壊をもたらすのである。
●「MoM」ドクターストレンジから学ぶ男性性
ワンダとは対照的なストレンジは現実世界と精神世界の境界線を曖昧にしない。それは現実世界が幻想であると思っていないということであるし、現実の自分が絶対だという自信でもある。
『他人に絶対にメスを渡さない』ストレンジの傲慢さとも取れる性質は、自分自身が現実を支配しているという強い意識である。現実は精神世界であるということを認めない。けれど心のどこかでは精神世界であってほしいとも願っているのかもしれない。
ストレンジは今回自分の世界線を守るために戦ったのであるが、他の世界線に移動し、他の自分の可能性を知ることになる。オープニングでは夢の中で魔物と戦う自分を見た。アメリカチャベスを犠牲にして世界を救おうとしていたが死んでしまった世界線。
ストレンジが世界を救おうとすると必ず犠牲が出てしまう。エンドゲームでのトニースタークの死もある意味犠牲である。ストレンジがタイムストーンで可能性を探った中で、世界が救われる世界線はトニースタークが死ぬ世界だけだった。
ストレンジは、おそらく、世界を救う為には犠牲が必要だと感じていた。しかし「ホワットイフ」ではクリスティーンが犠牲になる世界線から逃れるために、何度も時を戻しクリスティーンが死なない世界を探していた。犠牲は必要であるけれど、犠牲は伴いたくない。このような矛盾した気持ちと葛藤しているのがストレンジであると思う。
「ホワットイフ」の中でエンシェントワンは、クリスティーンの死は絶対点であり、変えることができない、その点こそが魔術師ストレンジの出発点であると語った。
映画版ドクターストレンジの世界線においては、自動車事故で両手が使えなくなることが魔術師ストレンジ誕生のきっかけである。外科医の仕事ができなくなるということは『現実の死』を意味する。男の本当の人生は『死(女)』から始まるものなのだ。
男は『女の産みの苦しみ』から産まれる者。女の苦しみは『産みの苦しみ』であったが、男を苦しめるものは『女の死』である。「MoM」はストレンジが「死」の苦しみを乗り越える物語である。「死」から始まる試練は再び「死」を体験し乗り越えるしかない。
現実世界が絶対で、そこは幻想ではないと思っているストレンジ。しかし、今回はアメリカチャベスの力によって違う世界線(精神世界/アース838)へと足を踏み入れることになる。アース838はイルミナティというヒーロー軍団が守っている世界。
そこではストレンジもイルミナティの一員であったが、既に死んでいた。アース838にもサノスから世界を守る戦いが存在していたのであるが、その際ストレンジは闇の魔術書ダークホールドを用い、別の宇宙を消滅させてしまっていた。イルミナティはそんな行動をするストレンジを危険視し、排除したのである。
現実世界を絶対とし自信過剰すぎるストレンジであるが、別世界線では死んでいる。オープニングの夢もまた別世界線であったが、そこでもストレンジは死んでいた。
ストレンジにとって別世界線(精神世界)は自分自身の「死」を教えてくれる場所である。ストレンジの意識は、現実世界=生、精神世界=死、と境界線をきっちりと引いているのであろう。
ストレンジは心のどこかで、世界を救うには犠牲が必要だと思っている。そんな深層心理が目にみえるものになったのがストレンジの別世界線(精神世界)である。別世界線では、犠牲者が自分自身になっている。誰かが犠牲になることは自分の「死」を意味する。そうストレンジは感じているのだ。
オープニング夢の世界線ではアメリカチャベスを犠牲にするという選択をし、アース838ではドリームウォークしたことで、インカージョンが起きてひとつの世界線を犠牲にする選択をしたストレンジ。
別世界線では自分の選択によって世界に「死」がもたらされている。それを知ったとしたら普通の人間はすごく落ち込むであろう。そして自分の選択に自信を失い、選択することを止めてしまうだろう。
しかしストレンジには至高の魔術師になる素質があるから普通じゃない。その素質とは現実世界と精神世界にきっちりと線引きをすること。現実に存在する自分が確かであることを信じているストレンジであるから、別世界線(精神世界)に起きる「死」という結果を見ても諦めないのである。
つまり、本当の自分が存在するアース616では結果を変えたいという強い意志がある。それは「ホワットイフ」という世界線でクリスティーンを亡くしている悲しみに由来する。女とは「死」の象徴である。「死」をもたらしたくないという強い願いなのである。
ストレンジは自分の考えを曲げない。自分の選択が正しいと信じている。アース838ではストレンジの選択は非難され、ストレンジ自身もひとつの世界線を破壊した罪悪感を持っていたようだが、それは精神世界のお話。
現実世界(アース616)のストレンジの強さは、そんな精神世界(アース838)の自分を知ったとしても、現実世界でやはりダークホールドを手にしてスカーレットウィッチと対決したところなのである。ダークホールドを使って戦うことを恐れていない。
違う世界線の自分を覗くことは自分の「死」を知ること。「死」を別世界線(精神世界)で擬似体験しているようなもの。精神世界とはそういう役割を持っている場所である。
精神世界において自分自身の選択で「死」が起きているということを学んだ上で、現実世界の自分自身の選択に強い意志を持つこと。これが至高の魔術師の姿である。
ストレンジは現実世界(アース616)に存在する強大な悪スカーレットウィッチと対峙することになる。精神世界では「あったかもしれない死(自分/男)」に対峙し、現実世界では「現実の死をもたらす者(女)」と対峙している。
ストレンジは、ワンダと同じく闇の魔術書ダークホールドを手に入れドリームウォークで他の世界線の自分に乗り移る。
現実世界(アース616)のストレンジは別世界線(シニスター・ストレンジがいたとこ)に飛ばされ、その世界線にあるダークホールドを用いドリームウォークして現実世界(アース616)に置いてある自分の死体(夢の世界線のもの)を操った。
ストレンジは自分の死体に群がる悪霊に苦戦していた。悪霊たちとは精神世界(別世界線)の生き物であり、悪霊とは死んでしまった者たちである。「死」とは選択の間違いによって引き起こされるものであるから、悪霊たちには大きな後悔がある。だから生きているものに対する執着があり、足を引っ張る。(ストレンジの肉体は死んでいるのであるが、、、)
ストレンジは悪霊に乗っ取られそうになったが、クリスティーンが助け舟を出してくれた。悪霊を利用することを教えてくれたのだ。女とは死を司るものであるから悪霊のことを一番理解しているのも実は女である。
「死」から感じる強い苦しみ、「死」とは自分自身の選択でもたらされているということ。「死」の擬似体験によって学ぶことができるのはこの2点である。ストレンジは「死」について精神世界で充分に学んでいる。
ストレンジは既に「死」を学び、クリスティーン(女)の助けもある。悪霊たちの苦しみや後悔を理解するための駒が揃っているのである。悪霊のことが理解できてしまえば、簡単に利用できてしまう。このように死(闇)の力を手にいれたストレンジはスカーレットウィッチと対等に戦えるようになった。
今までのストレンジにあったものは、現実世界は自分だけが舵を握っていると思っている傲慢さ、世界は自分の力だけで救うことができるという過信。他人の力を信用することができない心の弱さがあった。『他者を受け入れることが自分の弱さ』であると思っていたストレンジ。
そして、弱さを認めることは『負け』だとも感じていたのだろう。勝ちや成功にこだわるのがストレンジである。しかし、弱さが自分自身の中に存在することは当たり前であるし、弱さは自分自身の防御にもなる。弱さを否定してきたから、精神世界の自分が「死」んでいたのだ。
今回はアメリカチャベスを犠牲にすることなく彼女の力を信じることができた。自分の考えを曲げないストレンジは、その強みを保ったまま、他者を受け入れることは『負け』ではないことを理解した。自分の中に弱さ(死)があることを認めたのである。これがストレンジの大きな成長であった。
闇に打ち勝つには光が必要であると思われがちだが、実際には闇の力でしか対抗できない。世界は悪霊で表される悲しみや苦しみで満ちている。悪霊やゾンビは、苦しみから抜け出したいから生きている者を脅かしてくる。
スカーレットウィッチもまた苦しむ者である。アメリカチャベスの力によって悪のスカーレットウィッチと善のワンダが出会うことができたのも、ストレンジが苦しむ者の気持ちを理解したからであろう。闇に落ち世界を破壊する悪に対処できるのは、同じく闇に落ち苦しむ者の気持ちを知っている者だけである。
このように闇の力でスカーレットウィッチに打ち勝つことができたストレンジであるが、ダークホールド(闇)の対極にある『ビシャンティの書(光)』が戦いに使用されることはなかった。全ての悪に対抗できる書であるようだが、それはなぜなのか。
光の力というものは『目には見えないもの』。だからビシャンティの書は精神世界にしか存在しない。つまり現実にはそんな都合の良いものは存在しないのである。
冒頭でクリスティーンの結婚式に参列するシーンがあった。同僚がサノスの事件について、あの選択は正しかったのか?と問う。ストレンジは躊躇なく「その選択は正しかった」と答えるが「けれどクリスティーンを妻にできなかった」と痛いところを突かれる。
現実世界のストレンジはクリスティーンを妻にすることはできなかった。けれどスカーレットウィッチとの対決において、違う世界線のクリスティーンがそばにいて協力してくれた。クリスティーンもワンダと同じく、女の善の側面として登場している。
アース838(精神世界)のクリスティーンは『目に見えない善』としての存在であり、ストレンジが自身の精神の中に『目に見えない光』が存在していることを見つけるのが今回の物語の終着点である。そしてスカーレットウィッチとして覚醒したワンダが、自分自身の中に存在する光(母であるワンダ)を認識することも、ワンダの物語の終着点となっている。
光(善)というものは、現実世界には目に見えるように存在していない。精神の中に宿っていて、手でつかむことができない幻想のようなものである。ストレンジもワンダも『死』という経験を通し、自分自身の中に光(善)が存在するということを確実に認識できたということである。
現実世界のストレンジがクリスティーンを妻にすることはないが、精神世界に存在する善(全ての世界線のクリスティーン)を愛している。あのセリフがそれを物語っている。
▲「MoM」から学ぶ女性性まとめ
現実世界と精神世界がどちらも幻想だと知っている。そんな悲しみ故に現実を自分の思い通りにしようとする。幻想の世界に光(善)があることを認めるまで破壊を続ける存在。しかし本質的には世界を愛しているから、破壊の後には必ず再生をもたらす善の部分もある。破壊(死)と再生(生)を司り、二面性を持っているのが女性性である。
あらゆる物を育てる偉大な母のイメージで、女性の成長の究極的な目標だとされています。
女性の成長目標は、自分自身が善と悪の二面性を持っていること(グレートマザーであること)を理解することである。
▲「MoM」から学ぶ男性性まとめ
現実世界は現実、精神世界は幻想としっかり境界線を引いている。精神世界(幻想)を信用していない節がある。精神世界において死が自分自身の選択の結果であることを知り、光(善)見つけることで成長する。生と死を分けて考え、現実世界でも精神世界でも変わらない自分自身を貫く強い意志を持っているのが男性性である。
女性だけでなく、グレートマザーのイメージは男性にも重要な意味を持ちます。すなわち、母の影響力から逃れること、自立、精神的乳離れの際に、このグレートマザーと対決しなければならないと。
男性の成長目標は、母(死)からの自立。女(死)との対決の中で、母の持つ善を受け取り自己を確立することである。
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ユングの提唱した元型(アーキタイプ)にはいろいろあるけれど、全てはグレートマザーに集約することができるのではないか、と今回MoMを見て感じた。
ワンダは二面性を持つ女性性、ストレンジは不動の男性性。男性性は(1)という数字で表すことができるし、女性性は(2)という数字で表すことができる。そして(3)という数字は男性性の中にある女性性のこと。
現実世界のストレンジ、ディフェンダーストレンジ、シニスターストレンジと3人のストレンジが登場した。スパイーダーマンノーウェイホームでも3人のスパイダーマンが集結。これからは(3)の時代なのである。
ダークホールドの代償として、ストレンジの額に3つめの目が現れていた。それは人間が進化した末、神のような存在になるということ。今までは世界線を移動するのにも必死であったけど、神の領域では宇宙そのものを変化させるような力を手にいれているということだろう。ストレンジはまた帰ってくるようなので続編もたのしみだ!
今回ホラー要素満載だったんだけど、個人的に一番怖かったのはアメリカチャベスのセリフ。『夢を見ない』『他の世界線に自分がいない』新人類のメタファーすぎてゾッとした。
新人類は生まれた時から他の世界線というものを認識し、移動することもできる。なのにそれをコントロールできない。そういった新人類を導いてあげることができるのは、ストレンジのような人だけなのだと思う。なんだか予言ぽかた。
オカルトすぎる考察になってしまったけれど、現実世界と精神世界の関係、3という数字、についてはUOZAまじめなオカルトブログのいろんな記事の中に書いているので気になる方は読んでみてください。このアメブロ日記には他のMCU作品についての感想もあるのでぜひ。
今後UOZAブログの中で、結局マルチバース(多次元/多世界線)とは何なのか??というところも解説していきたい。マルチバースの真実は人間にとってかなり衝撃的なものではあると思うが、時期がきたら書いてゆきたい。
死霊のはらわたTシャツ着て観にいった。旦那のTを奪った。わたしはドラマシリーズしか見てないんだけど、最終回がすごい好き。あの終わりかた最高。エンディングは笑いたいものだ。
