まだまだ続きますよ!プライドの話
「プライド高いね」と言われると悪口のように受け取る方がほとんどだと思いますが
プライドがどんなものかを知れば
「プライドを持つ自分」を受け入れられるようになります。
プライドって
「愛されない自分(ダメな自分)」を見ないように、見せないように隠すもの
それは自分自身が
「愛されない自分」に対して
ダメ出しして、見下して、拒絶しているということでもあるのです。
私の中のダメな「わたし」
存在を隠していないことにしてる
自分の中で分離が起きている状態です。
どれも大事な自分の一部分なのに
いないことにされてる
私が私を
いない人扱いしているのです。
それは自己評価、自己価値が傷つかないように
誰かに愛される為
見捨てられない為
嫌われない為
恥をかいたり
みじめな思いをしないように
良い部分だけを見せてる
しかもそれを自分自身だと思い込んでるんです。
良いところだけを見せて
ダメなところを隠す
はい、これが私です!!!と。
期待されるのが嬉しいのは
他人から高く評価されてることがわかるから。
期待されたくないのは
他人から高く評価されてることでガッカリされて評価を落とされたくないから。
期待するというのは
自分の要求に応えてくれるだろうと
相手の背景や意思を尊重するより
「自分が得る」ということにフォーカスしています。
この場合、「得る」は「奪う」になってることもあります。
貰おうとする、奪おうとする、
これはジャイアン状態で
(ごめんね、ジャイアン)
そうしても許されると相手を甘く見て見下しているということでもあるのです。
「のび太のくせに〜!」ってジャイアンもスネ夫も言いますよね
なぜそうなるのかというと
一度は愛された経験があるから。
恋愛関係でもよくあるのが
愛される人🟰立場が上
愛する人🟰立場が下
この方程式です。
愛された事で優越感を感じると
愛する側にまわると劣等感を感じることになるのです。
恋愛において
どっちの方が相手を好きか
これにより上下関係や勝負が成り立っているのですね。
本来はお互いに協力し合って調和を作り上げていくものですが
どっちがどれだけ愛されてるか
を賭けた勝負が行われてるので
ライバル関係に変わってしまうのです。
相手を愛しているのか
自分が愛されてる人になりたいのか
実は混乱して自分でもわかってなかったりします。
「愛されてる人」でいることは受動的です。
誰かの気持ちはコントロールできません。
なのにどうにかできると信じて頑張り続けてしまうのです。
それが結果、執着となって過剰なエネルギーを生み出してしまうのですね。
なぜそれほどまでに相手に執着するのかというと
「相手の価値をめちゃくちゃ高くしてる」から
そんな価値の高い素敵な人が
自分に優しくしてくれた
自分を好きになってくれた
愛してくれた
特別扱いしてくれた
欲しいものをくれた
これが
自己肥大を起こし
優越感で超絶満たされるのです。
相手の価値を高く見てるから見下してはいないし立場は下だと感じると思うかもしれませんが
「価値の高い相手に愛された自分」に大きな価値をつけているので
元々、自己価値や自己肯定感を持てない人は特に
急に自信をつけたように
水を得た魚のように
ものすごい高揚感に包まれるのです。
そしてエネルギーが湧いて楽しくなります。
自分が自分のことを好きになれそうなくらいハッピーなんです。
しかし、みなさんお分かりの通り
それは長くは続かないのですね
期待はコントロール
「私を愛して」
「どうして愛してくれないの?」
「またあれちょうだいよ!」
心の奥に愛に飢えてる自分が取り残されているので
愛が欲しくて欲しくてたまらないのです。
でもそれは、愛されたから、光が当たったから
「こんなダメな私を愛してくれる人がいるの?」と
暗闇から出てこれた純粋な想いでもあります。
「ダメなわたし」
誰かから愛されて
私が私を愛せるようになる
本当は幼少期に親から受けるもの。
でもそれがまだ未完了だから
とにかく誰かから愛されて
「ダメなわたし」を捨てたくて
ずっと外側に意識を向けて
自分を無視し続けてきました
ダメな自分を認めず
「いない人扱い」をしてきました
それが外側で起きる現象です。
他人から「いない人扱い」される
意識を向けてもらえない
自分の存在意味がない
存在そのものに目を向けてもらえない
いないのと同じ
誰にも反応されない
誰も私を見てくれない
わたしだけ浮いてるアウェー感
「私を見て」
自己執着、自分の存在意義への執着を強く持っている人は
こういったみじめな想いになる体験を繰り返します。
このみじめさは
悲しくて悔しくて辛くて辛くてたまらない感情です。
孤独感にも繋がっています。
誰からも「存在を意識してもらえない」寂しさ
「わたし」が存在していないかのような恐怖
「自分」という存在を失う恐怖
これを感じたくなくて
罪悪感を使うのです。
「わたし」が消えてしまわないように
「私が」
「私は」
「私なら」
と自分を何にでも登場させ
「私のせいで」を使って「わたし」という存在をアピールしているのです。
これが我(エゴ)の正体
罪悪感で相手に申し訳なく思ってるようで
相手にフォーカスしているのではなく
「わたし」の存在証明
自己アピールなのです。
なぜ存在証明をしなけらばならないのか
それは
役に立っていない自分はここにいてはいけない
喜ばれる自分でないと必要とされない
働かざるもの食うべからず
良い子でいないと愛されない
役に立たなければいけない
良い子でいなければいけない
そうでないと安心してここにはいられない
そう刷り込まれているのです。
だから
役目を持たなければ居心地が悪い
あなたは
誰かの役に立つために生まれてきたんじゃありません。
あなたは幸せになるために生まれてきたのです。
ありのままの自分を認めて許したら誰かを愛したくなります。
その愛する気持ちが
結果
誰かにとっての「お役立ち」になる
それまではゆっくりと少しずつ
自己受容をすすめていきましょう
とても素晴らしい動画でしたので
皆さんにもご紹介させてください