今、意識してほしい重要なこと
自己否定してることに気づく
自己統合は無条件で「自分」を受け入れた先にあって
否定という波動域を超えています。
だから、あの人がどうとか、自分はどうとか
気にならなくなる
否定の反対は、肯定ではなく受容
受容をすると、結果として肯定できるようになる
否定あるものを最初から肯定しようとすると
「我を通す」ことになり
自分勝手やわがまま
といわれるようなエネルギーになるのです。
それは、そもそもの根底に
自分が採用しているルール(決まり)があって
ルールを破っている自分に罪悪感や自己否定を持ちながら、
自愛とは自分の好きなようにすること
本心を大切にすることだ
神様が計らってくれたから正しい
お相手とうまくいってる🟰学びが進んでいる証拠
として
否定を隠して無理やり肯定しようとするのです。
これは偽物の自己肯定感
ペルソナです。
この、「自分を愛する」というのは
自分を肯定することではなく
(結果として肯定できるだけで、その時はそのこだわりすらない)
自分を許していく
無条件に受け入れて受容していく
ということで
地球的なルールや常識を採用してる上で
それを無視していいよ、ということではないのです。
ルールを破れば罪悪感を持ちます。
罪悪感を持っているから責められるのです。
そして
罪悪感を持っているということは
「自分は罪をおかしている」という設定になっているので
罪悪感を持つような行動をとってしまうのです。
罪をおかしている
というのは
自分が悪い
自分が間違ってる
と、自分に非があると根底では思っているので
責められたり
怒られたり
疑われたり
責任を問われたりするような問題を引き起こすのです。
こういう場合は
自分は正しい
自分は順調だ
と思える時が1番安心して自信が持てる時で
このペルソナを剥がすのが1番苦痛を伴うのです。
自分が悪い、自分が間違っているという設定は
小さい頃に親に
「あなたが間違ってる」と植え付けられたもの。
だから、無意識に「それは間違ってる」と言われそうな方向に進んでしまうし
正しくあることにこだわったり
逆に「正しさ」に対して嫌悪感を持つこともあります。
正しいか、正しくないかのジャッジの元で
真面目にルールをを守って我慢するか
ルールを破って罪悪感を抱くか。
親が子どもに対して
「正しく在る」ことを重要視した関わりをすると
罪悪感や被害者意識、正義感が強くなります。
間違ってることが許せないのです。
他人に対しても自分に対しても同じこと。
そして自分が我慢してることやできないこと
(禁止してること)を
やってる人を見ると嫉妬の感情が出てきます。
そして否定するのです。
否定した手前、同じことを自分がやる場合は
「恥」が出てくるので
そう簡単にはできません。
プライドが邪魔をします。
だから誰かや何かを否定した分だけ、自分の可能性を縮めます。
嫉妬⇨否定⇨できない
否定しているものにはなれない
否定してるものを手に入れようとする行動ができない
嫉妬するということは、
本当は自分もそうなりたいという想いがあって
そうなってる人に憧れているのに
劣等感から相手を否定するから
恥ずかしくて
その立場に自分はなれない
こういうカラクリがあります。
そうなると
自分の中で
「やってはいけないこと」
「できないこと」
「やりたくないこと」
が増えていき
コンフォートゾーンから出られない
行動したいのにできない自分が作られ
更に行動できない自分を責める、ということになるのです。
そして行動するには「自信をつければ良い」として
コンプレックスや苦手なことに向き合おうとするけど
長続きはしません。
そもそもの問題は
自分に、ルールや制限、禁止をたくさん与えているということ。
こうでなければいけない
こうあるべき
じゃないと愛されない
愛されない人には価値がない
だから愛される人にならなきゃいけない
だからルールを守らなきゃいけない
なのに
こんなに頑張ってルールを守ってるのに
どうして報われないの?
どうして愛してもらえないの?
何であの人ばっかり愛されるの?
そんなんだったら頑張りたくない!
もう何もかもやめてしまいたい!!!
こうやって被害者になり
自暴自棄に入っていくのです。
続きはまた次回