今日は私の相棒たかちゃんに起きた気づきが
恋が上手にいかない人
お金が思うように巡らない人の
現実的な豊かさをストップさせてる
共通観念であるとわかり
すぐにシェアしたくなりました😆
なぜ
回避依存の相手とマッチングするのか
それは相手が逃げる事で
自分の中の統合してない観念や感情を炙り出してくれるわけですが
今回はそっちの見方じゃなくて
この観念が、そう人を無意識に選んでた
という視点でお送りいたします![]()
なので、ツインレイに特化した話ではありませんが
この観念に気づくだけでも大きく変わると思います。
さて、その観念とは
好きになればなるほど
愛されなくなるです
どんなに執着したって
相手がそれを重さと捉えずに
愛されてて嬉しいって感じる人なら
執着が原因で離れてくことはないですよね。
この観念があるから
元々、回避的な性質の人に魅力的に感じてマッチしてるんです。
好きになればなるほど愛されない
これが自分の世界を創る観念だから
その為には回避的な人を登場させなければいけません。
愛し愛されたい
という願いよりも
愛すれば愛するほど相手の気持ちは離れていく
こっちの方が現実に映し出されるんです。
そうすると
これが体験になり、学習になり
同じような体験を繰り返すと
立派な観念に育ちます![]()
そして
愛することは傷つくこと と学習するのです。
ということは
愛したら愛されない
「愛する」が立ち上がった時
同時に「愛されない」も一緒にくっついてくるので
愛を向けてる私と
愛されない私の
二つのエネルギー状態になるのです。
「恋愛以外はうまくいってるんです」
っていうのは、この現象が起きてるのかもしれません。
これは、相手との間だけのことではないので
例えば
家族に愛を出した⇨愛した
愛で満たされてる、愛の波動でいるはずなのに
相手とは不調和⇨愛されない
こんな風になることもあります。
愛したら愛されないとは
愛されてないというより、
愛されてるようには感じない、気付けない
受け取れない
それが愛されてないと見てる世界。
本当は愛されてるかもしれなくても、そうは受け取れない見方をしてしまうのですね。
これ、エネルギーの仕組みなので
恋愛だけじゃなく、お金についても同じことが言えます。
お金が欲しいと思うとお金が入らない
愛することができて豊かさも感じて
エネルギーが巡ってるように感じていても
実は受け取り許可が出ていない、という場合が多いのです。
豊かさとは感情体験のこと。
恋愛もお金も、そこから得られる感情そのものが
本来の豊かさ。
だけど私たちはその繊細な感情を感じることを
無意識に拒否していたりします。
だから傷つかないように守りのベースで生きるようになり、
エネルギーを収縮させる方に動いてしまうのです。
エネルギーを小さく縮める。
本来は広がりたい魂と縮もうとする自我
このズレが、私たちの苦しみの根源なのです。
無意識にエネルギーを縮めてしまうこと
これを
自己縮小といいます。
自己縮小とは
自分を守るために本当の自分を引っ込め
エネルギーを抑えること、隠すこと。
愛を失わない為に
繋がりが切れないように
(維持するために)
このままの自分では嫌われるかも
強すぎると引かれるかも
重いと思われるかも
という不安から
我慢する
無理をする
言いたいことを言わない
少し弱めて伝える
遠慮する
など、自分を少しだけ下げて、小さくします。
これは、
自己卑下とはちょっと違います。
自己卑下は
自分を低く評価する思考や認識のこと。
私なんて…と自己価値や自己評価を低くします。
それは私はダメ、私は価値がないと
愛が不足している状態。
なので比較やジャッジ、自己否定が起きます。
自己縮小は
愛があるけど自分を含めない状態
人には愛が向けられるのに
自分を同列に扱ってないので
無意識の優先順位が
1️⃣相手
2️⃣関係性
3️⃣自分
になっています。
これだと、愛してるのに自分だけ削られるので
相手に向けていた愛と同じだけのものを
自分に向けてあげることで
自己縮小から抜け出せます。
自己縮小する人は
優しくて愛に溢れて、与えることで幸せを感じられる人。
ただそこに
「失いたくない」という
愛から生まれた失う恐怖がくっついています。
「愛したい」➕「失いたくない」
これは
愛したら失ってしまう
失うことが怖くて愛せない
防衛でもあり、優しさでもあるのです。
愛すれば愛するほど愛されない
これと似ていますね。
ちなみに回避さんは
「愛されれば愛されるほど重くなる」という観念を持ってるかもしれません。
↑
これ、私なので、
「愛されれば愛されるほど大切にされる」
に書き換えました![]()
自己縮小は
愛を失わないために自分を少し消すこと。
この自分を、そのまま出したら愛されないかもしれない恐れ、
拒絶されて繋がりが切れてしまうかもしれない不安、
傷つくことへの恐怖
これは感じたくない感情
見たくない自分の一部分
感情を感じることへの無意識での抵抗、拒否、拒絶
それが
豊かさを受け取る拒否なのです。
豊かさを受け取るには
私はそのままで大丈夫、
そのままで愛されると
アファメーションすることではありません。
(その段階が必要な人もいますが、ここではその次の段階をお伝えしてます)
そのまま出しても大丈夫は
ダメな私がいても良いと
「ダメな私」を肯定することになり
「ダメな私」が強化されてしまいます。
本当はダメな私なんていない。
ただ、愛に気がついていないだけ。
愛の視点に意識が届いてないだけ。
大事なのは
愛を失うかもしれない
傷つくかもしれない
嫌われるかもしれない
伝わらないかもしれない
それでも、自分でいる
これは本気で自分を愛する覚悟です。
傷つかないようになることでも
怖くなくなることでも
感情が揺れなくなることでも
立派な人になることでも
正解であることでも
失敗しないことでも負けないことでもなく
傷と一緒に温かく生きること
傷も痛みも全てを引き受けて
それごと愛すること
それが自分を本気で愛するということ
傷も痛みも全てが豊かさ
生命そのもの
そして私そのもの
私が生きてる証。
生命への敬意を自分に向けてあげること。
最後に
好きになればなるほど愛されない を
好きになればなるほど、大切にしたくなる
に変えましょう![]()
観念は
無意識に作られたものだらけ、
それが自分の世界になる。
観念(世界)は変えられる。
相手にどう思われたか
どう扱われたか
が自分を決めるのはなく
私が大事にしてるものは何か
私が大事にしてる観念は何か
が自分を決める。
それが自分の生き方になる。
そしてそれが在り方になる。
私は魂に一致して生きる
愛を大事にして生きる
豊かさの中で生きる
この観念を大事にしてるとしたら
それが、生き方になり
愛を選択する
本心で生きる
豊かな方を選び続ける
選択と行動の結果
愛である
豊かである
魂と一致した自分になっていく。
それがやがて意識しなくても
ただ、愛で在る豊かな状態になってる。
私は愛そのもの。
生命とは愛そのもののこと。
私は愛や豊かさを得る人ではなく
愛、豊かさそのものになっていく。