私たちは
幸せだなって
感じる体験をするために生まれてきた![]()
欲はいけないって思ってるけど
欲は、幸せを感じるために必要なもの。
少し難しいことを言うと
欲って、「ない」「なくなった」「なくなりそう」
と思うから欲しくなるものだと思ってるけど
本当は
もうすでに、「欲しい」と感じる前に
それがすでに「在る」エネルギーに触れてるの。
欲しいなって感じて
「満たされてない、欠けた私」という回路(反応)を
無意識に使うから
「ない」が立ち上がって
不安や焦り、さみしさや欠乏感がついてくる。
でも、「ない」は「ある」が前提で感じられるもの。
最初から存在していなければ、比較できないから。
すでにもう「ある」というエネルギーの上で
「ない」というフィルターを通して世界をみてる。
この世界は
先にエネルギー、後から物質、出来事
そして
本当は私たち生命は流れそのもの
春夏秋冬
朝 夜
繰り返しのリズム、流れ
それは拡大と縮小を繰り返す波
エネルギーが拡大、拡張する時と
エネルギーが縮小する時
どちらもあってバランスがとれるのです。
エネルギーがみなぎる時
エネルギーを整える時
整えるからチカラが出せる
私たちはずっと元気でいたいし
活動的でありたいって願うけど
整える、休む時間をどう過ごすかの方が大事だったりします。
宇宙の流れは
この波であり
私たちは流れの波そのもの。
だから、宇宙🟰私って言われてるんですよね。
で、
その流れは
愛そのものなんですね。
だから、本当は愛の中で生きている
(もっというと流れ🟰愛🟰私)
私たちは愛そのもので在るけど、ここはまだしっくりこない人もいるかもしれません。
もうすでに愛のエネルギーの中にいる
愛のエネルギーは在る
自然に流れてたらずっと愛の中
でもそこに「愛されない」という抵抗が入る。
(存在否定エネルギー)
そうすると流れが停滞したり止まったように感じる。
欲は本当は
エネルギーの立ち上がりをキャッチしたもの。
幸せを感じる体験が起こる気配を感じているの。
なんだけど!!!
私たちはクセで「ない」の回路を使っちゃうから
(ないって捉える癖)
エネルギーが在るをキャッチして
(無意識だけど波動をキャッチする)
⇩
欲が立ち上がり 「欲しい」
⇩
「願い」になり 「こうなりたい」
⇩
自己設定(観念)のもと 「私は愛されない」
⇩
という現実を見て (現象化)
⇩
解釈 「ほらやっぱり愛されない」
⇩
ネガティブな感情にのまれ
⇩
自己嫌悪、自責 「ダメな私」「どうせ私なんて」
⇩
自己否定、存在否定
こうやって繰り返されてしまうのです。
エネルギーの立ち上がりで
欲が出たときに
そっか、愛がもうすでに在るんだなー
なんて思えたら良いけど
欲しい!(愛されたい)
欲しがっちゃダメ!(愛されちゃダメ)
手に入れられない私(愛されない私)
みたいな回路の人もいるから
その時すでに
愛がエネルギーとして立ち上がってるのに
愛されない設定通りに
愛されちゃいけないと禁止して
それが行動となるので、
愛されないようにしてしまう、という結果に至ります。
全部無意識で。
なんてこった![]()
だからね、本当は期待が生まれるのも
「手に入れられるかも!」
って、エネルギーの立ち上がりをキャッチした現象なんだけど
期待はだめ!
期待したら傷つくよ!
だって期待してガッカリすることばっかりだったでしょ!って
どこからともなく聞こえてくる声は
傷つかないように守ってくれる声なので
期待しない
欲はいけないもの
望んではいけない
🟰愛される私になることを認めない
という形で
流れに抵抗してしまっているのです。
欲も期待も
本来は
もうすでにそのエネルギーが立ち上がってる証拠なんだけど
傷つかないように守ってくれる防衛隊(エゴ様)と
真面目にも
設定通りに現実を見ようとするメガネによって
チャンスを掴まない
行動しない
愛されないの道に進む行動をとる
という、在り方になっているのです。
そして
「私は愛されない」という観念の更に奥に
ここが、傷の中心であろう観念が潜んでいて
エゴはここに触れないように
どんな手段を使ってでも守ろうとしてくれるほどの
大きな誤解があるのです。
「私は愛されない」を「私は愛されてる」
に書き換えられたはずなのに
実際、愛されてるって感じられる現象も起きてるのに
なぜか、本当の豊かさを感じられない。
心の豊かさと現実が一致しない。
それは
愛されないという傷の奥に
存在ごと否定する観念があるのです。
次のブログでその観念について書きたいと思いますが、
まだその傷に触れる準備が整ってない場合は
読めない、読んでも頭に入ってこない、読んでる最中に眠くなる、具合が悪くなる、意識が向かない、抵抗感が出る
などが起こるかもしれませんが
その場合は無理せず、一旦休んでください![]()