心の断捨離 自分で自分を痛めつけていた過去 Vol.13 | 自由に自分らしく ~卵巣癌&肝臓転移と向き合いながら、自分らしく人生を楽しんでいます〜

自由に自分らしく ~卵巣癌&肝臓転移と向き合いながら、自分らしく人生を楽しんでいます〜

卵巣癌ステージ3C期。
この状態になって初めて地球に生きていられることが奇跡だと心から感じられました。宇宙の仕組みもどんどん見えてきて。今の私だからこそ、伝えられることを伝えたい。

今日は空気が冷たかったけど、富士山や
裾野の山々が都内からでも
くっきりはっきり見えましたよ~。

写真撮りたかったけど、電線がいーっぱい
入ってしまうポジションだったので
やめましたあせる
(うー、悲しい。。)

富士山とお月様を見ると、必ず
「ありがとう」と言ってしまう私。





さて、今日は心の断捨離シリーズの続きです。

人生振り返ると、広告代理店時代に
学びが詰まっていたなぁと感じている
と前回お伝えしました。

その頃の私はまだ




自分が人生を創っている

自分で自分を見つめる

全ては自分の責任




なんていうことを1ミリも考えたことがなく、





会社のせい

上司のせい

身体が拒否反応を示しても
病気になっても自分を無視してでも
頑張らないといけない

なぜなら周りの人がやらないから





というような毎日を送っていました。
(あー、自分がかわいそう。。)





広告代理店に勤め始めた頃は、
派遣社員で事務要員として入ったので
大きな責任のある仕事ではなく、
事務処理をワイワイ楽しくやっていました。

近くの席になった仕事仲間たちが、
年齢も比較的近く、同性だったこともあり、
気が合い、ワイワイとおしゃべりしながら
楽しんで仕事をする毎日。

周りで真剣に仕事をしている人たちは、
きっとうるさくて迷惑だったこと
でしょう(苦笑)





でも、その頃は文字通り楽しんで仕事を
していたので、深夜残業もよくあった
のですが、それでもそこまで苦ではなく、
充実した毎日でした。

そこから、まあ、役員同士でいろいろあり、
私は派遣を終えなければいけなくなった
のですが、皆すごく惜しんでくれて。
(人員が物理的に足りないのに辞めさせられる、
というのが惜しんでくれた理由だと思いますが)


私もとても楽しい職場だったので、
残念でならず、派遣という身分ながら
ワンワンと泣いたのを覚えています。





でもその後、結局またご縁があって
同じ職場に戻ることになり、そこから
新たな代理店生活が始まりました。

いつしか事務から総合職へ仕事を
スイッチすることになり、いきなり
海外のビッククライアントの担当と
なりました。





その時の私には、一体、それがどういう
ことなのか、わかっていなかったんですね。

ただ、やってみたい!という気持ちだけで
引き受けてしまいました。





そこからは、とにかく勉強、勉強の毎日で。

作ったことのないプレゼン資料を
一から自分で作らなければならず、
右も左もわからないけど、細かく
教えてくれる人はいなく、とにかく
周りの見よう見まねを繰り返す毎日。

でも、同僚や先輩たちが、とても
いい方たちばかりだったので、
すごく助けてもらいました。





私は昔から、人にはすごく恵まれていて、
友人も、会社の同僚や先輩も、そして
仕事相手のクライアントも、本当に
いい方たちばかり。

本当にそこは恵まれているな、と
いつも思います。





それにしても、30歳を過ぎてから
いきなり総合職への転換だったので、
とても大変でした。

マーケティングのマの字も知らずに
飛び込んでしまい、クライアント対応で
精一杯な感じの毎日。

でも、英語は好きだったので、英語を
使って海外のクライアントとやり取り
できるのは、楽しくもありました。

海外のクライアントさんたちも
とてもいい方たちばかりで、
日本に出張に来た際にアテンドするのも
大変でしたけれど、楽しかったです。





その後、部署移動があり、新境地のWebの
広告担当になってからは、地獄のような
日々でした。

まだWeb広告をできる人が社内でも
ほとんどいない時代だったので、
とにかく勉強、勉強、勉強の毎日。

終電やタクシー帰りなうえに、帰ってから
お風呂に本を持ち込んでWeb広告の勉強。

寝るのは大抵3時とか4時で、また朝から
出勤、という毎日でした。





Webは次から次へと新しい技法や広告が
開発されるので、トレンドを追いかける
だけでも必死!

業界用語もふんだんにあり、本当に
最初はついていけませんでした。

ただでさえ、デジタル苦手なアナログ人間
でしたから。





なんで、こんなにアナログな人間が
Web担当になったのか。。

ナゾ。。

でも、命令なので避けられません。

負けず嫌いな私は、とにかくバカに
されてはいけない、と必死に
くらいついていく毎日。





そして、そこまで得意でもない英語で
資料を作り、プレゼンしないといけない
というのは、本当に胃の痛い毎日だった
のです。
(今、思うと周りのレベルが高かったあせる





朝から終電逃すまで働いて、さらに
リラックスの場所であるはずのお風呂でも
勉強をしていたら、交感神経が優位に
たちっぱなしなの、わかりますよね。
(その頃の私はそんなこと考えもしなかった)

頭が興奮したままの状態なので、
夜ベッドに入っても


まったく眠れない


のです。。





そして、睡眠不足のまま朝が来て、会社へ。

という悪循環な毎日でした。

勝手に私は不眠症だと思い込んでいた
のですが、今考えると、不眠症なのでは
なく、寝る態勢に持っていかなかった
自分のせい、なんですよね。




交感神経を優位に立たせっぱなしで、
副交感神経を優位に立たせる時間を
一切持とうとしなかったから、
それは眠れるはずがありません。






毎日の実際の睡眠時間は3時間程度。

月の残業は余裕で100時間超え。

休日出勤もしょっちゅうでした。

そんな日々を続けると、人間どうなるか。





どんなことが私に起こったのか




また次回以降、お伝えしていきますね。





今、思い出して書いていても、


なんて自分にひどいことをしたいたのだろう


と、ちょっと震えました汗

自分で自分にごめんなさい、ですね。

ほんと。

自分の身体を大切に扱うことよりも
仕事でなめられてはいけない、
という気持ちのほうが断然強かった。。

健康でなければ仕事もできないのにー!

そんなことにも気づけなかった私でした。





では、また次回!


土居美紀コスモス