「それぞれの思いもあるだろうし、そもそも生きてきた経験値もあるだろうしいろいろなことを踏まえてのことだと思う。ちょっとしたらまた戻ろうね、というのが、相葉くんが言う「ちょっと」を僕は100%理解しているわけではないから、どこまでのことなのかなぁということと同時に、そういう思いなんだなというのを受け取った感じです。」
このコトバを聞いて(読んで)ああそうかと。
近い将来にグループ活動をしたい。
あいばさんがそう思っていることを認識されたり、その想いを受け取ってもらったことだけでも大きな意味のではないかと。
まずは誰かひとりでもその想いを持っていなければ、“近い将来のグループ活動”はおこらない。やりたいと思っている人がいるからこそスタートできる。
だから認識させたあの手紙の意味は大きい。
でもそれ以上のことは言えないってのは至極まっとうだなって思いました。
おおのさんの言うところのワガママ。
嵐として決断した時点でそれはもうひとりのワガママではなくなってると思ってますが。
嵐をたたみたいと言ったワガママがあるのならば、また嵐をやりたいというワガママがあったっていいはず。
また活動したいという想いをまだ休止というその日を迎えていないあの場ではっきりという。
だれだけ強いのだろう。
それこそとんでもないプレッシャーなんじゃないかと思う。ある意味自分を追い込んでいるんじゃないかとも思う。
来年までの嵐としての活動のスケジュールは決まっているのかもしれない。でも実際どんな風にその時を迎えるのかも分からない。残念な結果になるかもしれない。過去の栄光にすがりたくなるかもしれない。
それでも自分の願いを伝えることが出来るのって相当な覚悟や強さが必要なんじゃないかと。そしてその強さってあいばさんの純粋でもあるのだろうな。
あとメンバーとの絆・信頼関係があるからこそ出来ることなんだろうなとも思ったり。
あいばさんのオタをやってきて。
あいばさんのお仕事との向き合い方を自分なりにみてきて。
たくさんの種を植えて、たくさんの花を咲かせる人だと思っているので。
だからあの手紙もいつか大きな花を咲かせるものになるといいなと。
とにかく願うのはあいばさんの笑顔と幸せ。
以上、一介のオタクの戯言でした。