15年くらい前
顔面の帯状疱疹になった時の
わたしの話しです
ドクターから
「ストレスですね、
一週間くらい仕事は休んでください」
って言われて
職場の上司に
「帯状疱疹になってしまい、医師から休むように言われました。お休みさせてください」
って連絡を入れたら
《お見舞い》ということで
自宅まで(何だったか?を持って)
きてくれて
わたしの顔を見て
「思ったより大したことないね、
感染るものでもないし
どうせ家にいても暇だろうから
仕事に出てきていいよ」
と言われ、
「休ませてください」
が言えなくて
大きなマスクで顔を隠しながら
仕事に行った記憶があります
帯状疱疹ってね、
それはそれは痛いんですよ
一日中
痛いことしか考えられないくらい
痛いんですよ
その状態で仕事に行くなんて
今のわたしなら
考えられない行動ですが
その時は
《頑張って》仕事に行く以外の
選択肢がわたしの中には
なかったのです
休むことが
いろんな意味で怖かったんだと思います
「帯状疱疹になるなんて弱い人間だ」
「自分の健康管理も出来ないダメな人」
「忙しいのにいつまで休むのかしら」
って
思われているんじゃないかって
頭が勝手に想像してしまって
もし休んだとしても
頭の中のその妄想に
カラダが反応して
ゆっくり休めない
休んでも休まなくてもキツイ
他の誰でもない
自分が自分を苦しめている
もはや
自分一人じゃ
どうにもならない状態
誰かの助けを借りる時ですね
でも恐ろしいことに
この時のわたしは
「早く良くなるために」
その方向性で助けてくれる人やモノ
に助けてもらっていて
「休んだ方がいい」
方向性のアドバイスをしてくる人は
《敵》だと思っていました
人って無意識に
相手がどんな対応をする人か見極めて
望む答えをくれそうな人に
相談しちゃいますからね
帯状疱疹なんて
かなりの苦痛を伴う症状で
「休みなよ」って
カラダが教えてくれているにも関わらず
自分で自分を追い詰める
負のループから
この時のわたしは
まだ抜け出せなかったのです
違う選択肢を
知らなかったから
今のわたしから
その時のわたしに言ってあげたい
「休んでいいんだよ」
「でも、休むの怖いよね」
って
それから
「ゆっくり休んでいいんだ」
って心の底から感じられて
身体に反応が出なくなるまで
(↑ここ大事)
タッピングします
「良くなりたいんです!」
の言葉に
どんな意味、気持ちが隠れているのか
別の角度からも
考えてみませんか?