思えば遠くに来たもんだ♪♪ | 師範日記 行く川の流れは絶えずして、淀みに浮かぶうたかたは、久しくとどまりたるためしなし

師範日記 行く川の流れは絶えずして、淀みに浮かぶうたかたは、久しくとどまりたるためしなし

日本でも有数の狭い道場・仙台合気会の師範が心に浮ぶうたかたを、つれづれなるままに、そこはかとなく書いています。

 4月初旬に高校に入学した生徒たちは,学校生活にも慣れ,部活も仮入部から本登録へとなる季節になりました。ということは丁度40年前に私も合気道部に入部し,今に続く合気道人生をスタートさせたのだとシミジミと感じるものがあります。

 

あれから40年,綺羅星の如くいた才能あふれる先輩,同輩そして後輩。学生から社会人となり,仕事が忙しくなるにつれ,その多くはいつの間にか消えていってしまいました。

 

私のような菲才の身で,ここまで稽古を続けてこられたのは,最初に道を示してくれた恩師,今の基となっている技法を教授してくださったS師範,色々な場面で助言を与えてくださった諸先生方,切磋琢磨してきた同輩の皆さんのお蔭と感謝しております。

 でも一番に感謝しなくてならないのは,嫁さんですね。私が家庭も顧みず,稽古三昧していた時も,乳飲み子を抱えて,一人で家を守ってくれていました(よく,離婚されなかった(-_-;))。嫁さんがいてこそ今の私がいるといっても過言ではありません。私には本当に過ぎたる嫁です。感謝,感謝。

 

もう四半世紀も前になりますか,師匠筋に当たる先生の合気道歴50年の祝賀会に参加したことがありました。そのときには,50年も稽古を続けるなんて考えられない!!と思っていましたが,いつのまにか年数だけは頑張ればなんとかなるところまで来ていました。仰ぎ見るその山の麓にさえ未だ辿り着けていませんが・・・(´・ω・`)ショボーン。

 

「剣道範士十段の持田盛二先生の遺訓」

 剣道は五十歳までは基礎を一所懸命勉強して、自分のものにしなくてはならない。

 普通基礎というと、初心者のうち習得してしまったと思っているが、これは大変な間違いであって、そのため基礎を頭の中にしまい込んだままの人が非常に多い。

 私は剣道の基礎を体で覚えるのに五十年かかった。

 私の剣道は五十歳を過ぎてから本当の修行に入った。心で剣道をしようとしたからである。

 六十歳になると足腰が弱くなる。この弱さを補うのは心である。心を動かして弱点を強くするように努めた。

 七十歳になると身体全体が弱くなる。今度は心を動かさない修行をした。心が動かなくなれば、相手の心がこちらの鏡に映ってくる。心を静かに、動かさないように努めた。

 八十歳になると心は動かなくなった。だが時々雑念が入る。心の中に雑念を入れぬよう修行している。

 

 合気道の基礎を体で覚えるまでにも,未だ至っていませんが,若いつもりでいても経年劣化は始まっています。いつの間にか足腰を始めとした体の各所が弱くなってきているという自覚を覚える今日この頃です。  

 これからはこれからは技の基本を崩すことなく,体の弱さ(衰え)を補う心の修行もしていかなければならないと思っています。植芝盛平大先生の言われる「魄」の修行から「魂」の修行への転換でしょうか。

 

 現段位に列せられたとき,尊敬するО先生より「これからは自分で稽古を工夫して,名人・達人を目指して修行していかなければ駄目だよ。」との言葉を頂きました。

 そうです,合気道は一生修行です!!今に満足することなく,浅学菲才の身であるこの身を顧みず,名人・達人への階梯を蝸牛の歩みでも歩んでいけば,いつか辿り着けることを夢見て。

 夢の途中で倒れても,我が人生に悔いなしと言えるように。