師範日記 行く川の流れは絶えずして、淀みに浮かぶうたかたは、久しくとどまりたるためしなし

師範日記 行く川の流れは絶えずして、淀みに浮かぶうたかたは、久しくとどまりたるためしなし

日本でも有数の狭い道場・仙台合気会の師範が心に浮ぶうたかたを、つれづれなるままに、そこはかとなく書いています。

 果たして現在の武道を稽古する人のうちどれだけの人が正師に出っているのでしょうか(ここではあえて修行と言わず稽古と言っています)。道元禅師は「正師を得ざれば学ばざるに如かず」と言っています。この正師とは道の師を指しています。正師に就いての道の修行とはどう言うものかというと、宇宙には真理があり、真理を体得した人がいて、その人を信じて師匠とします。その師を正師といいます。道を求めて修行(稽古とは違います)するときは、正しい師に就くことが大切です。古来より大成する人は良い師に就いていまし、自ら良い師を求めています。正師に出会うということは難しいことです。そのため一生そういう師に巡り会えずに終えてしまう人がほとんどではないでしょうか。ですので道を求める人は苦労しても正師を探す必要があります。

 

 では正師はどのように探せばいいのでしょうか。現在はインターネット全盛時代ですので、インターネットで探すのでしょうか。数千、数万という玉石混交の情報の中から、見つけられる方もいるかもしれませんが、正師と呼ばれるような人は自己宣伝をしませんので、砂漠の中で一粒の砂を見つけるほどの難中の難といえます。しかし人は縁で結ばれているので、本当に向上心を持ち続け、真剣に探し続け、正師に出会うべき準備ができた人は必ず出会うことができます。

 

 勝海舟が「氷川清話」の中で、凛として犯すべからず、神秘的ともいえる技量に圧倒されたと語り、山田次朗吉が「日本剣道史」において、200年来の名人として賞賛の字を惜しまなかった白井亨は、40歳を過ぎると例外なく剣の腕が落ちてくることに気付き、そのような剣術に生涯を掛けたことを悔い、止めようかと思い詰めた時に、中西道場の兄弟子である寺田宗有と再会し、年をたっても衰えぬ真実の剣があることを知り、300人の門弟を持つ地位に安住することなく、改めて修行をしなおし天真を修得する道が開かれました。

 一刀正伝無刀流を開いた山岡鉄舟は、剣術は真蔭流の久須美閑適斎、北辰一刀流の井上清虎を始め高名な師範の元で修行を積んだ後に、中西派一刀流の浅利又七郎義明と出会い、師事すること17年。禅においては願翁、星定和尚、滴水禅師と名だたる老師に参じて25年、不惜身命の修行により大悟し、剣の師である浅利又七郎の幻影を打ち破り、悟了同未悟の域に達しました。

このように白井亨には寺田宗有、山岡鉄舟には浅利又七郎という正師を得たことにより大成することができました、逆に言えば正師に出会わなければ、名人達人と言われる人たちでも大成することは難しかったと思われます。

 

 正師は正法を嗣ぐ人を指しますが、全部の人が正法を嗣ぐ必要はありません。普通の人で道を求める人は、完成してなくとも、正しい道を修行しており、本当の道を求めている人が正師になりえます。結局のところ、正しく学び、自己を鍛え、それを社会に生かしていくために必要なのが正師です。その規範として導くのが正師ですので道の修行は正師を求め、正師に就くことが大切と言えます。