朝、ベランダに出ていると
下の猫庭から情けない声が聞こえてきた。
ジョリだ。
何か困ったことが起こったのだろう。
本当におかしいくらい困惑した鳴き声だ。
猫庭から部屋に入れなくなったのだろうか。
しかし首輪をしていれば、センサーが働いて
猫扉は開くはずだ。
それにしても可笑しい。
その情けなさに於いて、天下一品だ。
さて、下に降りて来てみると、
やはりりジョリは部屋に入ってこられず、
猫扉を手でカリカリとやっている。
ドアを開けてやると、首輪をしていない。
どこかに落としてきたのだ。
センサーが無くては猫扉は開かない。
一体言語というものは、
教えるものではなく、覚えるものでもなく
気持ちが言葉になって現れるという事なのだろうか?
ジョリの鳴き声で、情けない状態だという事が
すぐに分かった。
ジョリの思いもよらない事が起こり、困っている状態だ。
猫は人間の様にたくさんの言語を持たない。
しかし同じ「ニャ~」でも鳴き方で、感情がすぐに分かる。
嬉しい時、困ったとき、悲しいとき、起こっているとき、
ありとあらゆる感情を表現できるのだ。
猫の言語は便利なものだ。
人間だって言葉を持つ以前はこれと同じ様に
あ~とかう~とかで、互いに意志が通じたに違いない。
その頃の方が感情も単刀直入で、
互いの言葉の裏の裏を探るなどという事は無かったに違いない。
だとすれば現代よりその時代、
人間より猫(飛躍しすぎかな~?)の方が
少ない言葉で感情を伝え、互いを理解し有っているのではないだろうか?
人間はありとあらゆる言葉を駆使したって、誤解が生じる。
猫はそんな誤解などと言うものには興味は無いだろう。
ニャ~と鳴いて、扉が開き、ニャ~と鳴いて
ごはんが出てくる。
それ以上に何を求めるというのだろう?
少ない言語で人間をこき使う。
猫って優れもの~~~!
その後二階へ上がってみて、
カーテンとガラス戸の間にジョリの首輪を発見。
良かった!これで安心して猫扉を開けてやれる。
ジョリも色々体験中
![ネコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/014.gif)