私の、愛しの、かず君です!!(真顔)
最近、足癖が悪くて困ってます。
母に怒られると落ち込んでますが、私が怒ってもあんまり堪えてないような・・・
そんなかず君が、大好きです!!
就職も無事内定を頂き。
よし!!これから牛さんフィーバーだい!!
と、思っていた所の悲劇・・・そう、後期試験です。orz
ここ最近、ブログの方にもお邪魔できてなくて、
ここのブログも書く時間取れなくて、
そして、なにより牛さんとも戯れてません・・・ストレスヽ(`Д´)ノピギャー
でも、大学生ですからね(汗)
勉強しないと、あと卒論とかも・・・・・orz
一先ず、あと1週間?くらいはバタバタ忙しそうですがなんとか頑張りたいと思います。
宮崎の農家も、全頭目視検査や子牛検査など動き始めましたからね!!
農家の娘。としても、
女子大生としても、(笑)
頑張らなくてはヾ(@^▽^@)ノ
と言う訳で?
激震口蹄疫
より
3割終了異常なし 全頭目視検査 (2010年7月28日付)
県は27日、口蹄疫の終息宣言に向け、県内の畜産農家7821戸を対象に実施している牛・豚全頭の目視検査の途中経過を発表した。26日現在、対象農家のうち約3割で検査を終了し、異常は確認されていない。来月11日ごろの終了を目指している。
県畜産課によると、対象農家は7821戸(牛7404戸、豚417戸)。このうち、26日までに検査を終了したのは全体の34・5%にあたる牛農家2702戸。全頭検査は県産家畜の「安全」を発信することで県外購買者の不安感を一掃し、県内各市場の競り再開後の価格低下など風評被害防止が狙い。獣医師と市町村かJAの職員の2人体制で各農場を巡回している。
JA都城で子牛登記始まる 競り再開へ不安も (2010年7月28日付)
口蹄疫問題で県内全域の家畜の移動・搬出制限区域が解除された27日、JA都城(新森雄吾組合長)は競り再開に向けて子牛検査を再開した。検査は4月に県内での口蹄疫発生を受けて中断していた。7、8月の競りに出荷予定だった子牛約800頭について、30日までに登記作業を行う。
同日はJA職員が各農家を回り、子牛の鼻紋を採取して子牛の雌雄や血統、生年月日などを記入した調査台帳を農家に確認していった。51頭を飼育する同市高木町の繁殖農家亀田寛さん(55)の牛舎でも子牛4頭が検査を受けた。亀田さんは「牛舎も満杯で収入もなく大変だった。ほっとした」と話しながらも、「競りが始まってもしばらくは購買者が来ないかもしれない。価格次第では、雌は繁殖素牛として残す方法も考えないといけない」と、今後に不安をのぞかせた。
JA都城によると、都城地域家畜市場で開催している子牛競り市の出場頭数は県内最多で月平均約1800頭。競りは口蹄疫発生で5月から中止されており、8月までの4カ月で約7300頭の子牛が滞留している。
和牛生産課は「競り市開催を月2回にして日数や出場頭数も増やし、滞留している子牛を11月ごろまでに出荷させたい」としている。
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こんな感じで、動きだしました。
全頭検査は、終息宣言の時に「宮崎の牛は安全です!!」って言いきるためにするようです。
風評被害対策。って感じです。
我が家は、無事終了しました。
そして、子牛検査が再開されてホッとしました。
繁殖やってる方は、皆さんホッとしたんじゃないかなと思います。
牛は生まれると、戸籍みたいなものをつくります。
その為の検査ですね。
我が家にも、口蹄疫が発生してから生まれた子たちがいるし順次行われていくと思います。
そして、雌牛はタブン・・物凄い確率で繁殖に回されるんじゃないかと思います。
あまり取り上げられてはいませんが、繁殖母牛あっての畜産です。
種だけでなく、母牛は畜産にとって本当に重要な要素です。
今回の事で、沢山の優秀な繁殖母牛が居なくなってしまいました。
これは結構な痛手だと思います。
簡単に、雌牛だからって母牛になれる訳じゃないんです。
体格や血統、性格などなど繁殖母牛として長く生きていける子って限られています。
上手く妊娠できない子もいるし、
お乳の出の問題もあるし、
牛は1年1産が基本です。
じゃないと、元が取れないので・・・
凄く嫌な言い方ですが、元が取れない子は置いておけないんですよね。
どんなに、可愛くても私たち農家も生きていかないといけないから、そんな時は心を鬼にするんです。
だから、女の子が生まれてきて、
繁殖母牛として長く生きていけるような子が生まれてくると、凄く嬉しいです。
だから、ひぃちゃんとひめちゃんが産まれてきてくれた時も、
繁殖母牛として家に残せるかもしれないって分かった時も、
残すって決まった時も、
凄く凄く嬉しかったです。
上手くいけばあと、10年くらいは一緒に居られるんですからね(*^▽^*)
だけど、こうなってくると複雑です。
今の所は、家で繁殖簿牛として頑張ってもらいますが、
どうやら、もうすでに繁殖母牛の争奪戦が始まっているようです。
家も、生活があるからひぃちゃんとひめちゃんは簡単には手放せないけど・・・
どうなるのかなと思います。(><;)
そして、話は変わりますが
激震口蹄疫よりもう一つ記事を紹介して今日はもう寝ます。
以前、姉が紹介した森本さんの記事です。
養豚生きがいだった 森本さん2通目の手紙 (2010年7月28日付)
口蹄疫が発生して以来、109例目の発生農場となった川南町の養豚農家、森本ひさ子さん(60)から宮崎日日新聞社に2通目の手紙が届いた。死んだ子豚が並んだ写真とともに口蹄疫の悲惨な現実を訴える手紙が紙面に掲載されてから2カ月余り。文面には「再開か廃業かの目途(めど)も立っておりません」とつづられていた。森本さんに心境を聞くため、「ゼロ」にリセットされた川南町へ向かった。(報道部・奈須貴芳)
「再建するかまだ決められない」。森本さんと夫の秀行さん(65)は今なお心の整理が付かず、虚脱感だけが残っている。「豚たちはなぜ死ななければならなかったのか」と自問自答する日々だ。
秀行さんは事業を手伝う一人息子の達樹さん(39)に継がせるか迷っている。「(口蹄疫)再発の恐れは十分にある。この苦しみはもう味わわせたくない」
都農町で口蹄疫感染が初確認されて以来、不安に駆られながら消毒作業を続けた。県からの防疫指導が不十分な上、どこで発生しているかの情報提供もない状況が疲労に拍車を掛けた。見えないウイルスとの戦いは消耗戦のようなものだった。
5月16日にはついに自らの農場で感染疑いが確認された。当時、埋却地や殺処分する人材の確保が進まず埋却が遅れ、感染拡大の要因になった。森本さんの農場でも発生から埋却まで13日を要した。
ひさ子さんは「まるで生き地獄だった」と振り返った。豚舎はウイルスの培養施設と化し、乳をおいしそうに飲んでいた子豚がばたばたと死に絶えた。
「我が家の畜舎ではウイルスが爆発炎上しています。お願いです。1日でも早く消火して下さい」。宮崎日日新聞社に速達の手紙を投函(とうかん)したのは発生4日目の5月20日だった。新聞に掲載された手紙は県内で大きな反響を呼んだ。
しかし、森本さんの戦いはその後も続いていた。28日に殺処分されるまで、死んだ子豚を飼育かごから拾い上げて大事に通路に並べ、リヤカーで冷凍庫まで運ぶ作業が延々と続いた。
今回の手紙にも秀行さんの母福枝さん(88)の短歌「此の土地に数多眠れる畜魂の 供養祭終え思い新たに」が添えられていた。高知県出身の福枝さんは敗戦で何もかも失い朝鮮半島を引き揚げ、4歳だった秀行さんを抱えて川南町に開拓移住。石ころだらけの松林を少しずつ開墾し、掘っ立て小屋を立て、庭先養豚から規模を少しずつ拡大してきた。
例年、この時期は豚の体温調整を助けるための暑さ対策や餌箱の掃除などに忙しいが、今はするべき作業は全くない。「失って初めて養豚が生きがいだと分かった」
口蹄疫という不本意な形で豚たちを失った喪失感を埋めるためにも、森本さん夫婦はもう一度養豚に再挑戦しようという思いも芽生え始めた。埋却地一面にはヒマワリやコスモスを植える予定だ。
◇森本さんの手紙全文(原文のまま)は次の通り。
▽
「もう2カ月になるっちゃねぇ」家族の誰の口からともなしに出た今日、7月16日は我が家に口蹄疫が発生した5月16日から数えて丁度2カ月がたっていました。我が家は毎年7月16日を豚魂の日と定めており、お坊さんを呼んで供養をします。
いつもは「命と引き換えに私たちを養ってくれてありがとう。来世ではみんなで仲良くいっぱい遊んでね」と手を合わせるのですが今年は何と言えばいいのだろう。
言葉を探せば探すほど、口蹄疫と闘った日々が生々しく甦り、地中深く眠っている豚たちのやさしくて、とぼけていて、愛らしい表情で寄って来る姿が思い出され、「もう一度会いたい」と涙をこらえるのがやっとでした。
その後で高鍋町の薦田さんが残しておいた種牛の殺処分を受け入れ、明日にも実施されることを知りました。とうとう児湯地区の生産農家がゼロにリセットされるのですね。
思えば約28万8300頭の牛、豚の数だけ悲痛な涙の別れがありました。これからは県も同じ痛みを分かち合い、スタートの先頭に立って欲しいと思います。
そんなことを呟きながら私達夫婦は豚舎周囲の雑草をきれいに刈り取りました。ただでさえ異様に映る空っぽの畜舎です。管理もされず放置された空舎は廃墟化して不気味になります。
私達には再開か、廃業かの目途も立っておりませんが、豚たちの温もりや息遣いが残っている間は手入れをしていこうと話しています。
もし、廃業する時は、建物全部を取り壊して、糞尿で汚染した跡地に木や花を植えてきれいな土地に戻そう、そうしたら孫やよその子供たちが自転車を乗り回して遊ぶかも知れん。そしたら子供が喜ぶ果実も植えんといかん。等と想像が膨らみます。
いずれにせよ、全農家が再開か廃業かを決める日が来ます。どの家のお墓もすぐに雑草に覆われて周囲の景色に溶け込んでしまうでしょう。でも廃墟化した畜舎はボロボロになって朽ち果てるまで何十年もかかります。
どうか自然豊かな美しいわが里に不気味な廃墟が残らぬよう、廃業する農家にも後片付けが出来るだけの十分な支援をお願いしたいと思います。それが実現した時にやっと「あなた達には死んだ後にもこうして助けてもらったね、ありがとう」とお墓の牛、豚に手を合わせることが出来ます。我が家はその時が本当の終息だと思っています。
■写真掲載の経緯
川南町の養豚業森本ひさ子さんから5月21日、宮崎日日新聞社報道部あてに速達で封筒が届いた。封筒には手紙のほかに写真3枚も同封されていた。本紙は翌日付の紙面でその手紙と義母福枝さんの短歌「養豚の音なき終わりにすべもなく
只ありがとうの感謝あるのみ」を紹介。発生地域農家の現状を伝えようとする森本さんら農家の思いを伝えるため、提供のあった死んだ子豚が並ぶ写真をあえて掲載した。「やっと現状を理解できた」「支援したい」という意見から、否定的なものまで多くの手紙やメールなどが送られるなど大きな反響があった。