ほのぼの日記が続いておりますが、ちょっと重たいお話をします。
(ヽ'ω`) となりたくない方、読んで(ヽ'ω`)となった方はこれの一つ前の妹の記事を読んでね♪
ま、ただの漫画、アニメの紹介なんですが…
『ミノタウロスの皿』を知っていますか?
作者は藤子・F・不二雄先生。
1969年に小学館『ビッグコミック』に掲載された大人向け(短編)漫画です。
あらすじは、
宇宙船の事故で地球によく似た惑星「イノックス星」に緊急着陸した主人公。
その星で彼はミノアという少女に出会い彼女に恋をする。
イノックス星は地球で言う所の「牛」にそっくりな種族「人類(ズン類)」が支配する世界で、彼らは地球で言う所の「人間」にそっくりな種族「牛(ウス)」を家畜として育てていた。
「牛(ウス)」であるミノアはその家畜の中でも特に育ちの良い女性で、最高級の食材「ミノタウロスの皿」に選ばれ、民衆の祭典で食べられる運命に有ると言う。その事実を知った主人公はミノアを助け出そうと奔走するが…(wikiより、少し加筆)
というものです。
地球人の常識に当てはめれば、人間が牛に食べられるという立場が全く逆の状況。
その地球人の常識のまんま、主人公はイノックス星でミノアを助け出そうと、
地球の「牛」にそっくりな種族ズン類達を必死で説得しようとします。
ズン類は決して横暴な種族では無く、温厚で知性もある。
主人公の熱弁を嫌な顔せず最後まで聞いてくれますが、その説得は全く通じません。
地球人である主人公の常識はズン類達にとって非常識だからです。
主人公はミノアにも「ここから逃げよう」と説得しようとしますが、
ズン類同様、ウスのミノアも説得には応じず、むしろ「ミノタウロスの皿」に選ばれたのは
大変名誉なことと考え、おいしく食べられることを自ら選ぶのです。
主人公の必死の交渉も虚しく、ミノアはミノタウロスの大祭で活け造りにされ食べられます。
現実とこの漫画との相違点。
私達が育て食べる家畜は食べる側の人間と言葉を交わすことは出来ませんが、
この漫画での家畜は食べる側と言葉を交わし、食べられることをハッキリ自覚しそれに何の疑問も持ちません。
私達が育て食べる牛や豚もこの漫画のよう言葉を交わすことが出来たとしたら、どうなるんでしょうか?
食べることが出来るでしょうか?これについては分かりませんが、
最初から「当たり前のこと」と考えれば食べることは出来る?
今持っている常識、価値観に当てはめると、考えられないことなので受け入れ難いかも。
主人公はイノックス星のズン類に対して
「彼等には相手の立場で物を考える能力がまったく欠けている」
と言いながら、迎えの宇宙船の中では、ステーキをむさぼり食うのです。
あなたの食べているステーキとミノアは別物なのですか?
結局は主人公も「相手の立場で物を考える能力」がまったく欠けていたのです。
そしてどんな理論を展開しようとも、生き物である以上、
他の命を奪い食べなければ生きていけないのです。
私はこの漫画を元に制作されたアニメの方を小学生のとき夏休みに観ました。
そのときはめっちゃトラウマでした(x_x;)
ミノアを活け造りするための処置室の描写が妙に細かかったり、
自分自身が食べられる立場だったらと想像したり…
強烈に印象に残っているので、折に触れてこの作品を思い出します。
今回の口蹄疫でも、この作品をすぐ思い出しました。
ミノアが怪我をして、お医者さんに診てもらう場面があるのですが、
現実世界での牛を獣医さんに診てもらってるときの雰囲気と似てるなぁと感じます。
他の所も色々…思う所が沢山あり、考えさせられる作品でした。
私の今の考えは
「育てる」ことと、「殺す」こと。 に記したとおりです。
答えなんて出ないんですけどね(;^_^A
しかしこの漫画、書かれた当初は「大人向け」となっていたのに、
アニメ化して夏休みの真っ昼間に放送するとは凄いチャレンジ精神ですね(((゜д゜;)))
原作漫画とアニメ、キャラクターデザインや言葉などいくつか細かい相違点はありますが、
ストーリーに大きな違いは無いようです。
良作アニメを子ども時代に観れたことは幸せやなぁと思います。
よく「子どもには難しい」なんて言う人もいますけど、
そんな事無いと思います。子どもは感覚でちゃんと解ると思うし、解ってても、
ただ自分の考えを大人ほど上手に言葉で表現出来ないだけじゃないかな。
仮に、そのとき解らなくても大人になって
「ああ、あのときのはこういうことだったんだ」
って思い出すこともできるしね。というか、それでいいと思う。
というわけで、おすすめです。
アニメの方は残念ながら手に入りにくいようですが、漫画の方は購入出来るみたいです。
図書館とかも探してみるとあるかも?
姉
※ちょこっと加筆しました