清原和博氏と阪神の関連は
もう容疑者と書かねばならない清原和博氏と阪神の関連をプレイバック!
大阪府警にはかつて「覚醒剤打たずにホームラン打とう」のポスターもあった!
また多くの人が覚醒剤打たずにホームラン打とうの画像を探しているようですが
残念ながらそのような画像はありません。
新外国人マテオの初ブルペン投球、ドラ1高山の柵越え20本など
言いたい阪神の話題はあるものの、
今日ばかりはこの話題にふれずにはいれません。
清原和博はかつては甲子園の申し子
2016年2月3日のスポーツ紙全紙の一面を飾ることになった
清原氏の覚醒剤問題による逮捕劇。
大阪PL学園出身で1年から4番を打ち、5季すべての
大阪大会を制し、甲子園に出場。
ともに一年生から主力となった桑田投手とともに
KKコンビと称され、甲子園でも次々と成績を残しました。
ともに1年生で出場した夏の大会では、当時最強を誇る
水野率いる池田高校を準決勝で圧勝したことから
伝説が始まりました。
3年最後の夏で見事優勝して有終の美を飾りますが、
この試合の清原はすさまじい活躍でした。
第2打席でもアーチを描いており、連続でホームランを
打つことになった第3打席はいまだに伝説シーンとして
よく目にします。
アナウンサーが絶叫した
「甲子園は清原のためにあるのか?」
は忘れられません。
優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回という末恐ろしい戦績です。
清原個人的にも、甲子園3年間で、
91打数40安打29打点13本塁打 打率440という好成績、
3年生夏大会だけに絞れば16打数10安打8打点5本塁打 打率625 出塁率750
という声も出ないような数字です。
甲子園通算本塁打13本は、たぶん誰に破られないでしょう。
ごくわずかの可能性があるのは、早稲田実業の清宮幸太郎だけでしょう。
1年夏で2本のホームランを打ち日本を騒がせましたが、2
年春のセンバツの出場はありません。
だからこそ13本と言う数字はとてつもないものです。
そんな怪物清原はドラフトで6球団競合の上、
西武ライオンズが交渉権獲得し、そのまま入団します。
その年、日本一を奪還した阪神も当然のように清原を指名しましたが、
残念な結果でした。
清原と阪神主力選手とのつながり
西武で11年間のプロ生活を過ごし、FA権を得て、あこがれの
巨人のユニフォームに袖をとおす清原。
ドラフトに続き阪神も手を挙げて、当時阪神吉田監督の
「ユニフォームの縦縞を横縞に変えてでも…」
という口説き文句は心を揺らしたと思います。
しかしここから清原は、手強い敵となります。
特に何名かとはかなりヒートアップが話題となるくらいでした。
当時のエース格だった藪投手とはデッドボールをめぐる因縁が記憶に新しいです。
藪投手としては、右方向に大きい打球を飛ばせる清原ですので、
内角を責めざるを得ませんでした。
さらに清原自身は、お世辞にもよけるのが上手ではない
というよりも逃げない選手でした。
結果、プロ野球で最も死球をうけたんですが、196という数字はかなりのもので、
2位と30個の差があるほどです。
また今シーズンから阪神に復帰した藤川にとっても、
清原は忘れることのできない打者です。
実際に「球界では対戦打者が対戦投手を育てると言いますが、
僕はまさしく番長清原選手に育てられた投手でした。」
とのコメントを残しています。
かつて、巨人が敗戦濃厚の場面で、ストレートを投げなかった
藤川に対して怒りを爆発させましたが、2か月後の対戦で
真っ向勝負をして空振り三振をとったエピソードは有名です。
そして清原自身の引退セレモニーで花束を持って行ったのは、新監督の金本氏です。
このように阪神の選手たちにも多くの影響を及ぼしましたが、
彼にあこがれてプロを目指した選手もたくさんいるはずです。
通算2,122安打、525本塁打(歴代5位)、1,530打点という
大打者の記録自体は、揺るぎないものです。
この偉大なバッターの復帰には何年かかるかわかりませんし、どのような形になるのか
誰もわかりませんが、何らかの形での復活を望むファンは
少なくありません。
道のりは遠いですが、野球界へのお返しができる日が
来るのを1ファンとして待ちたいです。