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ダーウィンの悪夢

 最近、次々と良質な社会派映画が公開されている。アメリカ元副大統領が地球温暖化問題について語る「不都合な真実 」、原発事故を題材とした「みえない雲 」、「六ヶ所村ラプソディ 」、アイルランドを舞台にした「麦の穂を揺らす風 」、近日公開予定、レオナルド・ディカプリオが主演、紛争とダイアモンドの関係性を描く「ブラッド・ダイアモンド 」などなど。


 今回紹介するのは、昨年末、公開されいまだ大ヒット上映中の「ダーウィンの悪夢 」である。ちょっと長いがこの映画について書いた文章を掲載します。


グローバリゼーションという名の悪夢

-映画「ダーウィンの悪夢」を手がかりに-

1.はじめに

 国連は2000年の国連総会で、2015年までに世界に蔓延する貧困を削減することを目標としたミレニアム宣言を採択し、具体的な数値を目標に掲げた8つからなる「ミレニアム開発目標(MDGs)」を定めた。裏を返せば、それほど国際社会の貧困問題への取り組みが遅々として進まず、貧困が悪化し、格差が拡大していると言える。

 近年、貧困問題はもちろんのこと紛争後の平和構築などに取り組む視点として「人間の安全保障」が定着しつつある。これは貧困、飢餓、教育、医療、保健などの「欠乏からの自由」と紛争、テロ、環境破壊、人権侵害、感染症、経済危機、自然災害などの「恐怖からの自由」という2つの自由に対して、一人一人の人間に着目し、総合的な取り組みを実施することにある。これも裏を返せば、今までの国際社会の取り組みが不十分であったことへの反省とも言える。

 このように国際社会は、格差の拡大を背景に、緊急かつ持続的な対応を求められているわけであるが、それではなぜ「格差」は拡大しているのか。「南」と「北」の関係はどのようになっているのか。私たちはどのような世界に生きているのか。

2.映画「ダーウィンの悪夢」

 2006年12月23日に一本の映画が日本で公開された。公開前から多くの反響を巻き起こした話題作「ダーウィンの悪夢」である。この映画はタンザニアのヴィクトリア湖を舞台にしたドキュメンタリー映画である。映し出される衝撃的な映像は単にタンザニアだけでの問題ではなく、世界の縮図であって、ダーウィンの悪夢は世界の隅々で起こっている。

 映画の内容を簡単に説明しておく。半世紀前、タンザニアのヴィクトリア湖に外来魚「ナイルパーチ」が放たれた。そのナイルパーチは繁殖力があり、元々湖にいた在来魚を食べて急激に増えていった。そのため、湖の生態系は崩れ、環境が破壊された。一方で、湖の周辺ではナイルパーチの加工工場が立ち、「ナイルパーチ産業」が栄えた。農村など他の地域からも仕事を求めて湖の周辺に集まってくる。加工されたナイルパーチは現在、EUや日本に輸出されている。日本ではお弁当に入っている白身魚フライに使われている。

 これが悪夢のグローバリゼーションの始まりだ。一部の人たちが富を享受することができ、他方で、仕事にありつけない人や生活や仕事を奪われた人たちの間に貧困が蔓延した。パイロットやビジネスマン、漁師相手に、生活のため仕方なく売春婦になる女性たち。飢餓、ドラッグ、暴力、ストリートチルドレン、エイズなど貧困がさらに広がっていった。また、ナイルパーチを空輸するためにやってくる飛行機が武器を積んでいるという噂も流れている。私たちの食卓に届けられるナイルパーチと引き換えにアフリカ大陸には武器が持ち込まれる。

 

3.「南」と「北」の非民主的な関係

 「ダーウィンの悪夢」は世界の縮図である。90年代初頭、グローバリゼーションは世界の隅々まで幸せをもたらすはずだと信じられていた。貿易の自由化を促進し、小さな政府を目指し、全てを市場に任せれば自ずと富が蓄積し、豊かになるのだと。その結果、世界の隅々まで貧困がもたらされた。「弱肉強食」「適者生存」という“弱者切捨て”グローバリゼーションは「南」と「北」の不公正・非民主的な関係性を一層悪化させている。

 「ダーウィンの悪夢」からは、グローバリゼーションの構図が読み取れる。外来魚であるナイルパーチが在来魚を食べて絶滅へ追い込むのと同じく、グローバリゼーションが自給的な生活や伝統的な漁業、地場産業を崩壊させるという構図である。グローバリゼーションが原因で、閉鎖的な生活空間にいた人たちの生活空間が開放的な生活空間へと変わり、自らの生活が部外者に荒らされ、奪われる。このような人たちは、ほどほどまでに生きていた生活から、今までに経験したことのない本当の貧困に陥る。

そこから、貿易の自由化によって市場を開放した「南」から食料や資源が「北」へと一方的に流れるという構図が生まれる。すなわち、「南」から「北」への富の流出、移動である。現在、世界に占める人口が2割の「北」が8割の富を独占し、8割の人口を占める「南」が享受できる富が2割しかないという富の偏在化が起こっている。

80年代、「南」の地域は債務問題を背景に、IMFが行なった救済融資と引き換えに構造調整プログラムを受け入れた。教育・医療・保健・福祉などの公共予算をカットする緊縮財政、公共サービスの民営化、輸出の促進という政策を通して市場を開放するということである。今なお、WTO体制のもと市場開放の圧力がかかっている。しかし、「南」が最も依存している輸出用作物であるコーヒーやココアなどの第一次産品の国際市場価格は低落し、サプライチェーンで原材料供給地に位置している「南」の地域には富が落ちない。また、先進国の莫大な輸出補助金によるダンピング輸出は「南」の農民を苦しめている。

 その結果、地球規模で見ると、ますます食料と富は偏在化している。債務の増加、公共サービスの崩壊により、スラムの肥大化、ストリートチルドレン、HIV/エイズ感染者の増加により貧困が蔓延している。

 

4.むすびにかえて

 「ダーウィンの悪夢」は公開前から多くの反響を巻き起こした。駐日タンザニア大使が公開の中止を要請し、タンザニア大統領が「国のイメージを傷つける」として厳しく非難した。その他にも「この映像だけがアフリカの真実ではない」などインターネットの中でも論争を巻き起こしている。更には映像中の登場人物が嫌がらせを受けるという事態まで発生している。しかし、この映像を「真実ではない」という一言で片付けてしまって良いのだろうか。現実に生活を奪われた人たちが存在する中で、そのような人たちを無視するように、「真実ではない」という一言で片付けてしまってはただの弱者切捨てになってしまう。

 「ダーウィンの悪夢」はナイルパーチだけに起こっていることではない。チョコレートもエビもダイアモンドにも同じような悪夢が起こっている。

この悪夢の主役ではないが、脇役として加担している私たちは、この現実をどのように受け止めれば良いのだろうか。それは弱者側すなわち「南」側に立ってグローバリゼーションを考えるという姿勢が必要になってくるだろう。


日本農業の行く末・・・

農文協のHPから気になる記事を見つけた。

http://www.ruralnet.or.jp/gn/200704/200704_f.htm

PDFになっていいて、自由にコピーしてもいいようなので、ぜひ利用してみてください。


 日本とオーストラリア間のFTA(2国間自由貿易協定)についてである。FTA交渉でもWTO交渉でも毎回問題になるのが農産物の交渉である。つまり、利益追求の資本の論理で農業・食料を捉え、その分野を自由化することがいかに難しいことを物語っているのではないだろうか。


 もし、オーストラリアとFTA交渉が成立すれば、現在かろうじて40%ある食糧自給率が30%まで下がるという。オーストラリアは今までのFTAでも関税撤廃を貫いており、日本との交渉では最重要品目である米、麦、牛乳、牛肉、砂糖が含まれている。しかもオーストラリアの農産物は質が高い。


 このままでは北海道の農業は壊滅的な状況に追い込まれ、麦の自給率は0%になるかもしれない。日本に農業は必要なのかどうなのか・・・。今こそ、この根本的な議論が必要になっている。


 一方で、オーストラリアの農家が利益を得るのかといえばそうではない。政府は輸出補助金を出し、自国の農業を保護、輸出を促進しているが、オーストラリアの自然環境は厳しく、農業は干ばつや洪水、バッタの大量発生など自然災害に左右される。


 日本もオーストラリアもこうした状況の中で、家族経営農業のような小規模農家が一番ネガティブなインパクトを受ける。日本の場合、小規模農家が生き残るには非常に厳しい状況であり、農地市場の自由化も進み、企業の進出が著しい。外部と内部要因の両側面から切り捨てられた農民がいきつく先はといえば、今、企業が最も必要としている低賃金労働者という運命である。

 農業は資本・企業の論理で覆い尽くされてしまうのか。日本農業の行く末を真剣に考えたい。


青森県六ヶ所村核燃料再処理工場③

1年分に相当する放射能が1日で大気と海へ
 自然環境への影響と食物連鎖の最終点にいる人間への影響は・・・
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 再処理工場からは多くの放射性物質が放出されていますが、それは原発から出る1年分に相当する放射能が1日で大気と海に放出されると言われている。

 この放射性物質が魚やお米、野菜などの食べものに食物連鎖を通じて生物濃縮され、最終的に食物連鎖の最終地点にいる人間がその食べものや飲料水を通じて放射性物質を体の中に取り込むことになる。

 再処理工場から放出される放射性物質が与える自然環境への影響は、風評被害として、現地の漁業や農業に大きな影響を与える可能性がある。


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世界の流れに逆らっている再処理工場の稼動
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 使用済み核燃料の再処理工程は核兵器用プルトニウムの生産工程の一部と原理的にはほとんど変わらない。つまり、再処理工場の稼動は「核拡散」につながり、人類にとって破局をもたらしかねない危機と一体不可分のものと言える。いくら日本政府が「原子力の平和利用である」と主張しても、世界から「日本は核兵器を作ろうとしているのではないか」と疑われても仕方がない。世界の流れに逆らって再処理を進める日本を見つめる世界の目は日々厳しくなっている。

 北朝鮮も使用済み核燃料の再処理を「平和目的」と主張したが、日本もアメリカもこれを信じていない。しかし、北朝鮮の再処理が「核兵器取得目的」で、日本の場合は「核兵器取得目的ではない」と誰が言えるのだろうか。日本の態度は明らかに矛盾していて、世界に核拡散を促すような態度をとっている。このような態度を取る日本が「ヒロシマ・ナガサキ」の経験を生かして核軍縮の必要性を世界に唱えても何も説得力がない。少なくとも使用済み核燃料の再処理をやめることで、日本の核疑惑は解消され、なおかつ日本の言動は説得力を持ちます。それは核軍縮へとつながるものとなるはずだ。


 また、再処理工場をはじめ、原子力関連施設がテロの格好の標的になること
も付け加えておきます。

 以上のように、安全面、自然環境、核拡散という再処理工場が抱える不安要素を見てみると、再処理工場の稼動は六ヶ所村だけの問題ではないことがわかる。私たち一人一人の生活を脅かすものとして、また将来世代にとって本当に再処理工場は必要なのか、私たちは真剣に考える必要があるだろう。


・・・おわり

青森県六ヶ所村核燃料再処理工場②


利用計画がないプルトニウム。何のための再処理か・・。
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 プルトニウムの利用にあたっては高速増殖炉が不可欠でるが、

高速増殖炉「もんじゅ」は1995年12月にナトリウム火災により稼動を停止しているため、実際にはプルトニウムの使い道はない。


 ところが、実際は取り出されたプルトニウムを再度燃料に加工し、それとウラン燃料を混ぜ合わせた「MOX燃料」を一般の原発で燃やす「プルサーマル計画」を推進し、

今日の政府見解ではプルトニウムの「利用目的」があるということになっている。


 日本は今まで、イギリスとフランスに使用済み核燃料の再処理を委託していて、

国内外に約43トンものプルトニウムを保有している。これだけのプルトニウムを利用する計画は事実上存在しない。高速増殖炉の開発は行き詰まり、プルサーマル計画を受け入れに名乗りを挙げる地域もほとんど存在していないのです。


 こう見てみると「何のために再処理をするのか」理解に苦しむ。世界的に見ると使用済み核燃料を再処理せず、そのまま高レベル放射性廃棄物として「直接処分」するほうが主流である。


 実際、六ヶ所再処理工場でのアクティブ試験が始まって1年が経とうとしているが、アクティブ試験直後から、様々な事故やトラブルが起きている。これでは、今後本格稼動が始まり、大きな事故につながりかねない。


 青森県民やその隣県の再処理工場の安全面における不安は増している。

安全性の他にも自然環境への影響や核拡散の可能性といった不安がある。

つづく・・・

映画『みえない雲』を見て考えたこと

 20061230日より、『みえない雲』(原題:DIE WOLKE 2006年 ドイツ 107分 シネカノン有楽町より全国順次ロードショー 公式サイト:http://www.mienaikumo.jp )が公開されている。原作はチェルノブイリ原発事故直後の87年に発表され、大きなセンセーションを巻き起こして社会問題となり、ドイツ青少年文学賞をはじめ多数受賞したベストセラー小説である。


1986年に起こったチェルノブイリ原発事故から20年。僕は当時3歳で、事故のことは全く覚えていない。特に今年は事故後20年という節目の年でもあったので多くのメディアがチェルノブイリ原発事故について取り上げた。僕はただテレビ画面を通して、事故や原発の恐怖、あるいは事故後も続く被害を間接的に受け取るだけであり、正直な話、自分自身がリアルにその恐怖を感じることはなかなか難しかった。


しかし、『みえない雲』は、リアルに原発事故の恐怖を僕に伝えてきた。なぜなら、主人公ハンナが学生で僕と年齢が近く、そこで描き出されている人々の日常生活が僕たちの生活とほとんど変わらないからだ。僕がその現場で実際に生活しているかのように、引き込まれてしまった。人々が必死の形相逃げる姿、大切な人と別れ悲しみに打ちひしがれている表情、助けを求める姿など、リアルに映画を見ている僕に迫り、ゾクゾクとさせた。


映画の舞台となったドイツは“脱”原発先進国である。ドイツでは、2002年に原発を段階的に廃棄する内容の原子力法改正案が可決されており、国民もまた原発に関して関心が高い。


実際、映画の中でも、ABC警報機が鳴り始め、授業が中止、学校が休校となり、学生が校内を逃げ惑い、大混乱に陥る中、車で逃げる学生たちの会話を見ても、いかに原発に対して関心が高いかが理解できる。様々な情報、憶測が飛び交う中、まだ原発で事故が起こったということがわからず、学生たちは原発で事故が起きたことを予測し、事故後どのようになるのかを話しているのである。おそらく日本の学生の中で、原発で事故が起きたとしても、その事故がどのような被害をもたらすのか理解している人は少ないだろうし、もし映画と同じように警報機が鳴ったとしても、それが原発事故ではないかと考えて逃げる人は少ないだろう。


世界の原発総数は2005年末で439基であり、特に日本は小さな島国であるにもかかわらず、現在、55基もの原発がある。『みえない雲』の内容が他人事とは思えない。「日本でも『みえない雲』で描かれたような原発事故がいつ起こってもおかしくない」のである。