ロットバルト・最終 | 風の通り道

風の通り道

主にエッセイを発表します

 

 話を、ロットバルトに戻そうと思う。

 

 テレビドラマの「カンパニー 逆転のスワン」で、心に残るセリフがある。ロットバルト役・高野のセリフである。

 

「本当の王子は若くて元気があって、将来性があって、怖いものなしの自分。でも、どんなダンサーにも『いらない』と言われる時が来る。ロットバルトを演じるのは、(王子役専門だった)もう一人の自分との決別。王子に殺されることによって、自分は、もう一度生まれ変わるんだ」

 

 一言一句正確ではないが、ほぼ、このようなことを語っていた。

 ダンサーでなくても、共感する人は多いのではないだろうか。どんなに優秀なサラリーマンでも「お疲れさま」と言われる時が来る。満員電車の通勤が嫌だと言っても、いつか、それができなくなる日が来る。満員電車に揺られているうちが花だ。

 女性はもっと早く、結婚や妊娠・夫の転勤の帯同などで、「お疲れさま」を経験する人は多いだろう。私もそうだった。ОL時代、楽しかったなあと、しみじみ思う。最後の日にもらった大きな花束を、次の日の朝、悲しい気持ちで見つめたのを覚えている。もうあそこには、私の居場所はないのだな、と。

 

 40歳が、20歳の役をやっていけない決まりはない。が、本当に若い時には力がなく、テクニックや表現力が身に着いたときには若さを失っている。その不条理さを、どうしても感じてしまう。

 40歳が、年若い王子の役をやることを、周りが許し、認め、必要とする。そして彼にも、それにこたえるだけの力がある。悪魔を演じることにより、幅を広げ、まだまだ表舞台から去る気はないという気迫も見られる。

 

 若いカップルの誕生を祝う一方で、彼の活躍ぶりを、ここで静かにたたえたい。