みんなが、私もそれ買う!ってムードの時、私も買った方がいいかも?や、義理人情で、欲しくもないものを買ったりしていませんか?
買ってみたものの、本当は必要なかったかも?
気づくと大して大切にもしてないし、何で私も皆と一緒になって買ってしまったんだろ?
大衆心理的に、私も買わないと!と、周りのムードに押され、これでいいでしょ?と自分も買ってしまう時も、あるかもしれません。その時は満足しているように見えます。
でも本音って、よく時間差で疑問を投げかけてきます。
本意ではないもの、自分の価値観や意思ではないものを、取り入れていくと、どこかで心が抵抗していることに気づくでしょう。
同じように、周りがこう思ってるから、私は(本当は)意見は異なるけど、同意した方がいいかも、と流されたり、
実は違和感や疑問があっても、周りのムードや長いものに巻かれて同調する。
心の中に浸透させてしまったら、どうでしょう?
常に周りと自分との間で心の中で葛藤やストレスを持ったり、自分という軸がわからなくなってしまったりするでしょう。
日本人には多いですが、大衆の心理の乗ってしまって、
自分の本意ではない概念や価値観を、強制的に取り込んでいませんか?
周りがそうだし私も僕もそうしないと、はみ出してしまうこと、受け入れてもらえないこと、空気読んでない人って思われるかも、という恐れや不安から。
そこで、違和感を無視し、本意ではない価値観を無理に入れようとすると、
本当は欲しくないものを買ってしまった後のように、モヤモヤや、ストレスが残ります。
物質的なものならまだしも、価値観や概念など心の中のものは厄介な形でそれが蓄積されていきます。
本当の自分の本音、本当の価値観や考えまで、大衆心理に流されて変える必要ありますか?
あれもこれも。バイキングみたいに、食べとかなきゃ、みたいに。
言葉では、日本人は同調や共感は美徳とされる風土があります。
でも、本音で抵抗があったり、違和感や疑問に思うなら、
言葉ではその風土に従ったとしても、別に心の中まで無理にそれを摂取する必要なんてないのです。
本当の、あなたのハートの声、願い、意図、は、何と言っていますか?
本当のあなたの声だけは、誰からも買われることもないのですから。