こんばんは
久々に日中がっつり読書しました
庭の草刈りをして
家の掃除をして
気づけば昼過ぎ、、、
次男が帰ってくるまで
気楽な本を読もうと東野さんにしましたが
テーマが重かった 泣
昨年、医療ジャーナリストの
柳田邦男さんがお子さんの脳死について
書いた作品を読んだことを思い出し
暗い気持ちになりつつも数時間で読了
答えのでないテーマです
『 人魚の眠る家 』
夫婦仲がうまくいっておらず
別居中の薫子と和昌
お受験対策のため久々に再会した最中
娘の瑞穂がプールで溺れ
緊急事態との一報が入ります
心臓は蘇生したけれど
意識は戻らない
臓器移植を前提とした脳死判定を
受けるか受けないかの選択を
いきなり突きつけられます
生きていると信じて眠り続ける娘を
家に連れて帰る薫子
重い現実とどう折り合いをつけるのか
薫子と家族の葛藤が描かれています
うーん、読み易いのに哀しい
我が子の意識が戻らないことを考えただけで
涙が出てきます
色々なお考えがあるので
肯定も否定も出来ない問題ですが
ある時期から
臓器提供に関しては
無理かも、と思うようになりました
家族間の生体肝移植は別ですが
脳死判定による臓器提供は
決断出来ないことが明白なので
臓器提供意思カードを持つ予定はありません
柳田邦男さんの『犠牲』を読んだ時に
さらにその気持ちが強くなりました
様々な考え方、見解、立場があり
遭遇しなければ分からない課題です
意思はあっても、ではいざという時
決断出来るのか?私には出来ない、、、
このことについては
生前、永六輔さんが仰っていたお考えに
近いかなと思います
一度は真剣に考えるべき問題
このような形できっかけを与えてもらえて
東野圭吾様に感謝します
小説としては相変わらずの安定感でした!