御室仁和寺の御所庭園 | outbackの旅日記

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日本中を気ままに旅する記録です。山の中の無人駅でビバークします。
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仁和寺の特別公開御所庭園の見学に行ってきました。

二王門です。仁和寺と言えばこの角度が有名です。普段ですと、観光客目当てのタクシーがズラッと並ぶのですが、本日は一台もいませんでした。

仁和寺は、仁和4年(888年)第59代宇多天皇によって建立されました。天皇自身も譲位後出家し仁和寺に入寺して宇多法皇となります。

歴代住職の多くが天皇家から迎えられたことから、門跡寺院として知られています。応仁の乱の際、焼失しましたが、江戸寛永時に再興されました。現在の殆どの建物は江戸期のものだそうです。今回庭園と宸殿が公開されましたので、見学に行ってきました。

     

金剛力士像です。手を振り上げているのが阿形です。怒りの表情を露わにしています。手を広げているのが吽形です。こちらは怒りを内に秘めた表情です。

御殿入り口です。まあ受付と言ったところです。

左が白書院。右が宸殿です。

 

白書院襖絵です。福永晴帆による四季の松が描かれています。

こちらが宸殿になります。宸殿では昨年10月に大きなイベントが行われ、話題になりました。

 

宸殿に面して広がる北邸です。後方に五重塔がそびえています。

 

 

 

宸殿には3間あり、その真ん中の部屋で竜王戦が毎年開催されます。昨年10月22~23日に第二局が行われ、ここで豊島竜王(当時)と藤井三冠(当時)が激突しました。上段の間は多分皇族専用に今でもなっているものと思われますので使われず(一番下の写真)、その隣の下段の間(中2枚の写真)で開催されました。その隣は関係者控室にでもなっていたものと思われます。(一番上)

宸殿から霊明殿に続く階段。厳かです。

 

霊明殿は、御殿群7棟のうち唯一の仏殿であり、仁和寺歴代の位牌が祀られています。本尊は薬師如来ですが、通常非公開です。

 

回り込んで反対側からの北庭の眺めです。

 

南庭を反対側から眺めます。

一旦外へ出て別の方から回り込んでもう一度中に入るようになっています。お坊さんが駆けていきました。

まだ蕾の堅い御室桜の並木の奥から再び中に入る事ができました。宸殿になります。竜王戦の会場です。ちょっと楯のような物が見えている所が戦場です。

 

 

苔がびっしりと敷き詰められています。暖かくなればもう少し色鮮やかになるのでしょうが、今の季節ですと、どうしても褪せてしまいますね。

ようやく退場して一般開放の方へ来ました。御室桜越しの五重塔ですが、桜はまだ蕾が堅い状態ですから、邪魔な遮蔽物にしかなっていません。仁和寺の御室桜は、毎年京都の市中で最も遅く開花する桜として有名で、御室桜が咲くと、もう今年の桜のシーズンも終わりと言う事を意味します。まだ最低2か月、4月半ば以降にしか咲かないでしょう。

国宝の金堂です。仁和寺の本堂になります。慶長18年(1613年)に増築された御所紫宸殿を移築したものだそうです。本尊は阿弥陀三尊。仏師は運節で寛永年間の作と説明されています。

鐘楼です。日が差して鮮やかに見えます。

 

 

 

水掛不動尊です。一願不動尊と言われ、一つだけ一生懸命お願いすれば叶うとされているようです。でも私は参道の梅に惹かれて入り込んできました。まだ白と紅が数輪ずつしか咲いていませんでした。

帰りがけに二王門を再び眺めました。こちらから見ても荘厳で巨大です。

帰りは嵐電に乗りました。御室仁和寺駅です。最近かなり近代化されています。昔はもっとうらぶれた感じだったのですが、、、

615がやって来ました。帷子ノ辻行です。ちょっと難読駅ですよね。(かたびらのつじ)と読みます。昔は緑とクリームの落ち着いた色合いだったのですが、明るい紫はちょっと似合わない感じがします。

帷子ノ辻で乗り換えて、四条大宮に向かいます。やって来たのは旧型の102でした。板車を見たのは正月の近鉄信貴山準急以来です。こちらは常時使用されているようです。絶滅危惧種ですね。

四条大宮につきました。この後は阪急で南茨木に出て、モノレールで門真に帰って来ました。午後から少し冷えてきました。京都では雪も舞っていました。春はまだ少し先のようです。