かいぎゃく | 野良翻訳家・HanaBananaの Enjoy Life!

赤瀬川原平さん、お亡くなりになりましたネ。 んーーーー残念です。


前衛芸術家であり、尾辻克彦のペンネームで芥川賞も取った作家でもあり、 赤瀬川原平でもたくさんの著書もある、マルチな芸術家といえばいいのかしら。    


氏の作品はすべてとは言いませんが、けっこう読んでいる作家さんです。 「老人力」は有名ですが、中では何といっても 「新解さんの謎」が大好きで何度も何度も、いまだにたまに読み返しては、 毎度、おもしろい。


思えば、私が初めて、なんてことのない出来事、モノ、事象、現象が 自分の目、考え方一つで無限大に面白く変身させることが出来るんだ!ってことを教えてくれた 1冊だったかもしれません。    


どんな本かというと、三省堂から出ている、新明解国語辞典、 皆様、おなじみの、ふっつーーーーの国語辞典のですね、 例文に出てくる「男」が、例文に出てくる漠然とした、あくまでもその「語」の意味を説明するために、 いわばあまり意味を持たせてはいけない、「男」が、やけに性格や嗜好が特徴的であることを 発見した赤瀬川氏が、それをつづっているのですが、その目の付け所や文章力(一見平易ですが、名文)は 後に何人もの作家さんが同じような本を出していて、それはそれなりに面白いには違いないのですが、 私の中では、赤瀬川さんの「新解さんの謎」が、草分け的存在だったと思います。  


アマゾンの「新解さんの謎」の内容説明を借りると、

「辞書の中から立ち現われた謎の男。魚が好きで苦労人、女に厳しく、金はない―。 新解さんとは、はたして何者か?三省堂「新明解国語辞典」の不思議な世界に踏み込んで、 抱腹絶倒。でもちょっと真面目な言葉のジャングル探検記。」  



未読の方も、既にお読みになった方も是非! なんなら、新明解国語辞典と共に。  


我がブログ、ひっそりと7周年を迎えておりましたが、 ちょぴっとだけ、新解さんに触れてる記事もありました。  

http://ameblo.jp/hannabanana/entry-10166815600.html#cbox  


ニュースサイトで読んだのですが、彼のユーモアのセンスは、 日本語で言うと「諧謔(かいぎゃく)」と表現していました。
「諧謔」を調べてみると、  


「おもしろさと共感とが混り合った状況を描写する,言葉または動作による表現。 機知や滑稽と同じく笑いを引起す。 フロイトは自己の不幸を軽減するような笑いの原因を諧謔とした。」  


と書いてありました。 赤瀬川風諧謔は、単純な面白さ、偶然が生んだ面白さではなく、 ちゃんと自分のフィルターを通した面白さのことかなと感じます。  

そんな氏が、療養中、医療雑誌に寄稿したコラムに    

「病気はチャンスだと思う(略)一定期間、病気の世界を通り抜けていく。 いわば病気観光、病気旅行だ」


「病気をくぐり抜けた人の話は面白い。(略)病気でなくて貧乏もそうだ。 貧乏を知らない人の話はいまひとつ味わいがない」


  と、赤瀬氏特有の諧謔的発想、いかに病気を楽しむ事かを面白く軽く書いていらっしゃるようで、 それが収録された、「健康半分」からころbooks 赤瀬川原平著は、今月のマストバイですな。


療養とまでの病気はしたことはありませんが、貧乏を知ることは良いことだと実感しています。


だらしなくしていて貧乏になったワケじゃないですし(総じて、そうかもしれないけどね)、 来月のお給料日までお金が無い、とか、とりあえずの職を求め、 必要経費が足りないというのは、本当の貧乏ではないですよね。 それは日常生活を崩したくない、それだけに過ぎない。


そこをはき違えて、「あぁ、お金がないわ!」と慌てて、 キャッシングとか、簡単な方法に走る人もいるけれど、 私の常識では、入る予定のあるお金を都合するのは、 まぁ常識の範疇にギリギリ入りますが、 入ってこないのを補充するのは、無謀、非常識。


であれば、バイトをするとか、持っているものを売るとか、生活を見直して無駄を省くとか必要なものすら見直して止めるとか、 持っているものを担保に入れて、相応の機関に借りるとかね、 色々とそれする前にする事があるからな~と、お金が足りない時に 思いました。  


色々と節約しましたよー。 食費とか交通費、今だって節約していますもの。 定期的じゃないけどバイトしたり、 お得なことで出来ること、なんでもやってます。 節約って、いきなり家計は回ってこないものだけど、 地道にやれば、なんとなーく効果が出ますネ。  

で、そんな節約術って、けっこう楽しめるように なってきます。おまけで、そういう貧乏を工夫したり、ぎょっとする方法で乗り越えるって、あとでネタになりますよ。笑い話になるよ。ほんと。 もちろん、正しい経済活動や、誰もが笑える方法に限りますけどね。


無い時間をヤリクリして、先に繋がる情報を調べたり、勉強することも、大切だなと実感します。あくせく働いて育児してたら、一見、そんな余裕はないのですが、そして定期的に思い描いたように出来ないものですが、気長にコツコツやれば形になりますよ。


お金がないことや、地道な勉強って、耐えることに似てます。人って長く訓練しない限り、働き者にもならないし、年を重ねれば重ねるほど自制心も薄れますから、気が短くなるしね。


それから、転職ね。これも長年働いていると、少しずつ、 どこにどう自分を売ればいいのか、ちょっと無理するくらいの働き方で、 自分のスキルをちょっと高く売ることが出来る場所、なおかつ、自分の先のキャリアに 繋がる場所はどこなのか、少しずつ見えてきたかなぁと。 まだ確信は持てませんが。 昨今だと、消費税増の分+α、サラリーあげました。 なので、生活水準はまぁ、落とさないですんでいます。


そして、転職も楽しめます。確実に。 色々な良いお友達も出来ますし、色々な人の知識や知恵に触れるチャンスも増えます。    



そうやって、何かしら工夫やトライすると、器用になるし、それなりに良い知恵がついて、 良い知恵がつくと、気持ちの余裕が生まれ、同じ貧乏でも キーキーカリカリせず、惨めにも感じず、むしろ、その工夫やトライをする事を 楽しめるようになるんだろうなって思います。    



貧乏くっせーとか、まぁ可哀想、大変ね、 なーんて思う方もいらっしゃるかもしれませんが、 んーーー、なんてのかな、お金ふんだんに使える楽しみもそりゃあ楽しいって知ってるけど、 こういう貧乏の楽しみをも楽しめる方が豊かで富んでいるという発想はないのかしらと思いますねぇ。もちろん、「あーー、十年前に節約してりゃあっ」って後悔はあるけど、ほんの小さなもの。やっちまったものは仕方ないもん。それよりか、お金がないことをストレスに感じる弱々しさが少しでも払拭できたことのほうが、財産です。


それにね、「惨めで可哀想」って思う、その上から目線の心こそ、 貧しいですねって思うのは、ひねくれてるのかしら? 息子が成長すると共に、気持ちも生活も楽になるのは目に見えていて、乗り越える山の高さがわかってきたんだから、後はしっかり登り降りしよう、です。   



たとえば、死までの道が短い病気におかされた時、 もしもそれが、「今」だったとしたら、 母と息子に対しての責任はあまりにも重いし、まだまだやらねばならぬこと、 やりたいことがたくさん、それは慟哭しますし、思いっきり苦しみのたうちまわると思います。 あまりに申し訳なく、罪にすら感じてしまうでしょう。 人の環境にもよるし、性格にもよるし、年齢にもよると思いますが、 死に直面することは、綺麗ごとではない、 だからこそ、死後の処置、ステルベン、エンゼルケアがあると 医療関係の友人から聞きました。


が、もしも、赤瀬川さんのように大きくなくてもいい、小さくても何かを成し遂げた事が1つでもあれば、 頑張って、気持ちが持つ限り、今の自分を面白がれる、そんな感性が持てるよう、 色々な事を知って、自分なりの諧謔で最後まで人生を楽しめるほどの 余裕と機知という財産を持ちたいな、と思いつつ、赤瀬川原平氏のご冥福を祈らせていただきます。   Amen   <= いわねーから。聖職者以外。