香港の義理の妹が遊びにきてます
みゅーらーデザインの時計、頼んで買ってきてもらいまちたー。
うわぁい。
もちろん、「まがい」だよ。リーズナブルなお値段で。 電車で通ういちサラリーマンですもの。 この力なき手で一生懸命稼いで買えるものが、 私にとっての宝物。おほほほほー。
で、初めて甥っ子と姪っ子に対面。 初めて「Auntie(おばちゃま)」と呼ばれましたわ。 嬉しくて照れちゃった。そうか、この子達が甥っ子・姪っ子かぁって。
なぜ義理の妹がいるかって、以前、書いたこともあるけれど ざっと説明しますね。
私が高校生の時に母が再婚して、 その相手の連れ子二人と義理の姉妹になりまして。 でも、一人っ子だった私にとって、義理という関係ではありますが 私にとっての妹は世界中に彼女達二人だけだから、 気持ちとしては、「妹」 ですね。 わかりづらいから、ブログでは義理とかつけますけど。
義理父と母は、10代の頃、上海という中国における 特区で同じ系列のインターナショナルスクールに 通っていて、父は台湾人であり、父の両親、確かお母さんは 台湾の総督の家系だったので、後の昭和皇后のご学友として 京都に招かれて、お父さんの方も選ばれて日本で教育を受けたという 背景を持つので、日本人であった、うちの母一家と特に懇意にしており。 また、義理父から聞いたのですが、母が初恋の人だったそうで。
共産党色が強くなり、特区であった上海も例外ではなく、 外国人は住みづらくなったので、 母一家は日本に帰国して、離れ離れに。 また、中華人民共和国と中華民国(台湾)の政治的な背景から、 台湾の知識人の義理父一家のパスポートを没収され、 強制労働をさせたりして。
義理父やその兄は、当時イギリス統治下にあった香港に 着の身着のまま逃げ、事業を成功させます。 義理父は家庭を持ったのですが、 奥さんと離婚、男手ひとつで二人の娘を育てている時に、 他の同級生の計らいで、母と再会。 互いに好意を抱くようになり、国を行き来して、何度か会っていましたが、 義理父は、両親の影響、 中国への不信感(香港は間もなく中国に返還されるという時でした)もあり、 娘たちと共に日本に来ることを切望していたと聞いています。
そういう背景もあり、再婚、義理父と妹達は来日しました。 義理の妹達は、まだ小学生と中学生。 未知の国にやってきて、よく知らないオバサンが母となり、 それはそれは、大変だったと思います。 日本語学校へ通い、公立では苦労するだろうと 母のコネで私立の大学までの一貫校に入学し、 若いから、どんどん日本語が上手になったけど。
そういえば、妹達に「華姐々(はなチェイチェイ=華姉さん)」と 呼ばれ、初めて「お姉さん」と呼ばれたことが、嬉しかったなぁ。 実のお姉さんのことは、「家姐(カーチェイ)」と呼ぶらしいのですが、 真ん中の妹が、一番下の妹にとっての「家姐」なので 俺は「姐々」にしましょう、と決めたのでした。
私は既に高校を卒業したかしないかの頃で、自分の人生に忙しく、 特に母の再婚に人生を左右されるという気持ちを抱いたことは なかったけれど、妹達は、複雑な気分だったと思います。 母は、いわゆる優しいママではなく、厳しいママでしたし、 ましてや、継子への接し方として、厳しくすること、自分で何でも出来ること、 ちゃんとした社会人として世に出すこと、こそが、 育むことであるという精神の持ち主なので、 我が子以上に、責任感を感じているだけに、すごく厳しかったと思います。 今、来日している下の妹は、わりと気負わずに接してくれたけど、 上の妹はかなり泣いていたし、辛かったと思います。
その後、義理父に末期がんが発見され、あれよあれよといううちに 亡くなってしまい、その後、実のお母さんのリクエストと 義理父のお兄さんのアドバイスがあり、妹達は香港に帰国して、 姉妹としてのご縁は切れてしまいました。
つい2~3年前にFacebookで妹が私を見つけてくれて、 このブログも読んでくれていて、 日本企業に勤める妹が出張にきた時に、再会。 家にも泊まって。 その時に話を聞いたのが、妹も離婚していて、 まだ小さい娘を引き取って、働きながら頑張っているとのこと。 息子はお父さんに引き取られたと言ってました。 誰もが知ってる日本の金融でトレーダーをやっているから、 そこそこ稼いでいて、住み込みのアマ(フィリピン人の女中さん)も 雇えるし、頑張ってるよ!とのことでした。
日本にいた時はお勉強が得意とは言えなかったけど、 香港で本当に頑張ったんだねぇ。立派になったねぇ。 可愛らしくて、明るくて、チャーミングな性格で、健康で、 それは昔から変わらないけれど、 いっそう魅力的な女性になった妹に再会できて、とても嬉しかったです。
今回、二人の子供達を連れて遊びにきていたので、お食事をし、 近況を語り合いました。 これからは、息子も引き取って、二人の子供と一緒に暮らしていくらしい。 事情は割愛しますが本望だったので、ハッピーだそうです。 とはいえ、まだ10歳にもならない子供2人を女手1つで育てていくこと、 それはそれは大変なことです。 私みたいに実家に帰ったワケでもなく、実母の方もサポートしてくれていないらしい。
厳しい状況下でも、 トレーダーとして、アジア地域で一番という成績を叩き出したそうです。 金融のトレーディングチームって、すごい厳しい世界なんですよ。 プレッシャーも大きいし、時間・判断・決断にシビアな世界です。
そして、一人親が仕事をしていくのは、なってみなければ わからないと思いますが、 おそらく、皆さんが想像しているより難しいです。 未成年の子供がいるシングルマザーは、 雇う側の利己的な観点からすれば、公には言わないけれど、 嫌がられる条件です。 しかしながら、限られた時間内に、多量の仕事を終わらせる能力、 しかも、自分より働くに適している条件の人に勝るとも劣らない、 高い効率性、的確な仕事が出来る、 そういうシングルマザーは増えてきています。 妹がそうであるように。
そんな逆境もものともせず、妹は明るい。底抜けに明るい。
とにかくやるしかない!って。
くよくよしたり文句言う暇あるなら背負って、努力する。
そういう姿を見て、妹は言われてどう思うのかわからないけれど、 母に似ているな~と思いました。 いわゆる、これが、大陸気質でしょうね。 未開の土地にきて、自分でコミュニティを作っていかなければならない、 人生を切り開いていかなければならない、それが大陸の条件、 いわゆるフロンティア精神。 神経が太いんじゃない。悲しんだり、おろおろしたり、泣いたりした だろうけど、立ちあがって歩いていくんですよ。 だって、未開の土地でそんなことしていたら、いつ何どき 何に襲われるかわかったもんじゃねぇし。
そして、さらに、人生を楽しむ。
そういう姿は、私と似てるな~と思いました(笑) 何の気質?大陸気質なのかね? 知らないけど、私は楽しい!ということに対して 非常に貪欲な生き物でございます。 「楽(らく)」をするのではなく、楽しむ。 楽しみたい、だから、頑張る。さぼらない。悩まない。 妹もそうみたいです。
やっぱり人生を美味しくするも、まずくするも、 自分の腕次第だね!と、 妹と、言わずもがなで通じあう、ひと時でした。