人生は借り物 | 野良翻訳家・HanaBananaの Enjoy Life!

やぁやぁ。週末も終わりだね!2012年も終わりに近づいてるね!

はりつめていた気持ちがゆるんできたのがわかります。



1年を振り返るのはまだ時期尚早?

ですが、ここ10年、振り返ってみましょうか。


ちょうど、先週、前にもブログに登場してもらった

25年前の彼氏と会って、ランチしたのですが、

ふと、25年前はお互い40過ぎて、こうゆう関係になってるとは

思いもしてなかったよなぁと。


音楽、本、映画、服、何年というブランクがあっても、

そうゆう、「あれ、いいよー」という話にすんなり入っていけて

でもって、若気の至りで恥ずかしい事(おい、エロ系じゃないぜ?)も

知り合ってる仲だし、何だったら屁をこいても大丈夫なんじゃないか?な

空気感、でもって、お互いの仕事の忙しさとすれ違い具合(あちらはサラリーマンでは

ないので)をリスペクトしつつ、お互いの負担のない時間で会う、

この関係性、大変、居心地もよく、そして楽しいと感じています。




若い頃は、

自分に起きた事が嬉しいことであればギャーと歓喜し、

悲しい事、理不尽な事であれば、それもまたギャーと泣き、ギャーと憤怒し、

日々を200%、楽しむ力があった。


でも、中年を過ぎると、

今起きている事が、未来の喜びや悲しみに関わっているんだという事を

気付きますね。



大切な友人で、3人目のお子さんを身ごもり、

色々と実質的な生活が変ろうとしている彼女がいます。



子供が生まれるということは、当然嬉しさにまみれる事でもありますが、

当然、諦めなければいけないことも出てきます。

大半の人は、「そりゃそうでしょう」って思うでしょう。

産まれてくる命が最も必要とするのは、「生まれること」でもあり

そして「育まれること」でしょうから、そこはお父さん、そして

お母さんの力は絶対に欠かせないもの。

だから、「そんな素晴らしいライフワークをするんだから、

やっぱりこれは諦めないとね」って、励ますのです。



でも、当人にしてみれば、それは重々承知の上でも、

やはり生活が変ること、諦めることに対して、

切って貼ったように、「そうね!」と転換できるか、

子供を身ごもれる年代では、なっかなかそれは難しいこと。

1人、2人、既に上の子供がいても、3人目のママになるのは初めての経験、

そこは子供を育てたことはあるけれど、毎回、状況は違うのです。

なので、初心者には変わりない。



そこを上手に包み込んで、先回りして、行動したり行動を慎んだりできる

ダンナさまであれば、そういう気持ちも鞘におさめることも出来ようものの、

いかんせん、ダンナさまも初心者。なかなか難しいことなのかもしれない。



でもネ、子育て13年、離婚10年してきて実感しているのは、

あの日、「あぁ、私はもう●●出来ないのか」と諦めたことが、

時間を経れば出来るようになることに気付きます。




そして、苦労を重ねると、13年前には気付かなかった

どんな小さなことにでも、喜びを感じられるようになることにも

気付きます。



自分で言っちゃうけど、↑これは生きていく上での成長と知恵、

叡智だと思います。




もちろんね、若いということは、それだけ器が小さく

時に他人と自分の人生を比べて、羨み、恨むんです。



チェッ、あの人は私ほど苦労してないじゃん!


そうは言っても、あなたは恵まれてるよね?


ってね。



具体的に書けば、



独身でキャリアアップしていく人の悩みとか、

結婚している男性のボヤキとか、

ご主人いる奥様の子育ての愚痴とかね、



「そうは言っても、誰かが支えてくれるからマシなんじゃないの?

 私より、もっともっと自由になる時間もお金も多いじゃない!

 贅沢な悩みだよ、ふんっ!」


って、何度も何度も思ったヨ。



でも、そういう時って、

まだ自分の人生を引き受けられていなかったんだよね。



さすがに、人の幸せを羨んだり恨むほど、

心も生活も荒んではいませんでしたけど。

他人の幸せを貶して嘲笑するって、

そこまでいったら、どう立ち直るのかは

オイラは知らないよ。



今でも、甘ったれた人が悩み事なんか言ってようものなら、



「甘ったれるなよ」



とは思うわよ、もちろんね。

でも、ひっじょーにドライにね。

で、その人とはお付き合いしない。

嫌い、とかじゃなくて、付き合う気にならないから。



人それぞれ、ままならない状況はあると思う。

でも、そのままならない実生活の中で、

自分の理想や目標をずっと考えて、

失敗を繰り返しながら、出来る限りの努力をして、

徐々に徐々に、自分の人生を、自分の手の中に

入れられていくんだと思う。




自分に起きたことを大事(オオゴト)に捉え、

自分の足りなさや悪さは小さく小さく見積もって、振り返らない。

振り返るのは過去の栄光のみ。でも過去は過去の思い出に

留まって、何年後、何十年後の何かに繋がっていない。

ネチネチと人を恨み罵り、

世を呪い、世の粗、人の粗を探して批判し、

全て自分以外の何かのせいにして、ずーっと足踏みして、

いつのまにか足踏みしている地面が磨り減り

大きな穴へ飲み込まれて、もはやそれが穴なんだか

何だか、何故そんな穴にいるのかもわからんまま

人生の終わりがきてしまう。

成長のない人生、目先の解決で楽になって、

自分に甘い人生ってゆうのは、

自分の足で、墓穴を掘ってるようなもんだよ。




人生ってゆうのは、本当は神様の所有物なんだと、私は思っている。

最初は頂き物なの。だから、命を粗末にしてはいけない。

でも、生きていく上で、泣いて笑って学んで気付いて、

自分で自分の人生を所有できるようになった時に

天国への門が開くんではないかと思っている。

私がカトリックだから、こうゆうイメージを頭に描くのだろうけど、

ただ漫然と歳を重ねていくのが、年長者ではなく、

1つ1つの困難や苦労を何年もかけて自分で乗り越えて、

受容する器が大きく柔らかくなり、

ままならないことをも、受容して、自分が自分を、

家族を、同僚を、リードしていく方に回っていくこと、

そうやって、一段一段、天国への階段を昇っていってるんだと思います。



今日、あなたが「朝陽がさんさんと照っていて、ほのぼのとした光景に

何だかそんなものかと思った」って言ってたけれど、

そうだよ、そうなの。今日、そう思えたことが、成長の証、幸せへの第一歩。



そして、貴女が経験を積んできたお仕事、

これは何度も言うし、これからも何度でも言うけれど、

世の中で最前線で役立つ仕事です。間違いなく。

直接的に関われない時間はあるかもしれない。

けれど、考えて?私、今、45歳だよ。来月は46歳だよ?

何とか働き続けて、そりゃ細々の時もあったし、

ムリをして体を壊したこともあった、

思い通りになったことなんて、本当にわずかでした。

どころか、眠る時間、遊ぶ時間、思い通りになったこと

何年もなかったよ。

キャリアを謳歌する女性をみて「私はもうあんな風にはなれないんだ」って

思ったことも何度もあった。けれど、

でも、出来る努力、それは日々のことから学んだり、

必要と思われる勉強をしたり、は忘れなかった。



でもね、45歳になって、チャンスが来て、そのチャンスの波?尻馬?を

なんとか掴んで1年間、思いっきり自分の人生、謳歌できたよ?


そんなもの、なのよ。終ってみたら。



貴女が45歳になる時、世の中はどう変っているかはわからない。

けれど、子供は大きくなり、手が離れ、自由な時間は必ず来る。

そして、貴女が今までしてきた仕事は、世の中で意義のある仕事で

あることは変らない、いやもっと大義のある職種として

存在していると思う。



大いに悩んで泣いて喧嘩して愚痴ってもいいけれど、

忘れるなよ?

ここに、もーダメだ、もーダメだって思いつつも、

ダメになってないオバハンがいることを。

25年前に別れた彼氏と、また楽しく遊べる日が来るって

思ってる、オバハンがいることをね。



オバハンが目指す所は、

オバアサンになっても、朝起きたことにさえ喜びを感じられるような、

腰は曲がっても、根性は曲がらない、辛いことままならないことがおきても

どっかで笑って俯瞰する自分を保てるような、

毎日、強く新しく生まれ変わるような姿勢を保つことだよーん。



生きることに、勇気を持つのだ、若者よ!

今日は辛くても、明日は楽しいかもしれないぞ。