その時分時分のブをわきまえる事 | 野良翻訳家・HanaBananaの Enjoy Life!

ほぉ~。やっと金曜日。

この所、仕事が充実しているから、

本当にあっという間に月日が流れる感覚と

水曜日にして、頭と体は金曜日みたいにクッタクタな感覚と

「速い!けれど遅い!」と相反する感覚がない交ぜになっており、

そんなこんなで、もう3月ジャマイカ!



いやぁ、つい先日、自分の誕生日がきたばっかと思ってたけど、

アレから随分、時間がたったような気もするし、


まぁ、とにもかくにも、毎日、考えるヒマもなく、

毎日、精一杯、生きているよ。


もう年だぁ~とか思っていたけど、

いや、確かに体力も美貌も衰えているに違いないんだけど、

まだまだ体も頭も、使えるもんなんだよね。

要は、「あぁ、疲れた・・・もうダメだ・・・」って思うと、

ガクーッとくる、けど、そこを押すと、

オノレも見たことがない底力が残ってたぞ!的な。

もう水が枯れちゃったよ・・・この泉・・・と思って、

あきらめ気分で棒でつついてたら、

ピューッて穴から水が出てきた、ドヒャーみたいな。


あとね、器用になってきたネ。

こう無駄な時間を費やさないよう、

緩急・強弱をコントロールできるようになってゆく、といったら

いいのでしょうかね。


前の記事に出した、Chikirinさんの本に書いてあって、

「そうそう!」と膝を打った中の1つに、


「インプットは少なく、アウトプットを最大に」


という話があり。


職場にて、何が大切かって、アウトプット(成果)がデカイことですヨ。


インプットを時間に置き換えてみて、


「とにかく頑張る!」

「徹夜してでも仕上げる!」

「必要な時間はいくらでも投入する!」


と、時間を大量にインプットして、アウトプットが出てきても、

それは生産性、低いね、キミ・・・ですヨ。


そういう根性モノは、一昔前の和の社会の美徳なのかもしれませんが、

利の社会では得にはなりません。

少ない時間に、

工夫を凝らして、優先順位を意識して、無駄を省いて、

的を得たものを作ることを望まれています。



「終るまでやる私」という美徳に酔いしれていても、

得るのは自分の慢心と、もしかしたら他人の感心だけで、

電気代もったいないからやめてくれって

会社側は思うのですヨ。



知識とか資格もね、インプットの範囲として考えると、

素晴らしい学歴やキャリアがあったとして、

「ボクは、ワタシは、これだけインプットがあるのです!」と

アピールしても、


お金を払う側としては、


「だから?」


なのですよ。


その後に


「これだけのアウトプットが出せるのです!」


を言える・実行できるボク・ワタシがいないとネ。



こうゆうモノの考え方を、自分のキャリアライフを

振り返って照合するに、

やはり、苦労していた時期というのは、

おもに、子供がチビだった頃、育児との両立に

どうやっても時間や体力を奪われるのは、致し方ないくせに、

そこで、自分の力量を履き違えて、

「ワタシはもっともっと、頑張れる!

社会において価値があるはず!」

と勘違いしていた自分がいたんだろーなーと

今、思うワケですね?



ブをわきまえてなかったんですヨ。

高木ブーじゃないよ。

分、だよ。



離婚してても、シングルマザーでも負けてねえよ!みたいな

要らぬ気概みたいなのを表現したかったんでしょうかね?

ま、あったな、すごいあったワケじゃないけど

ちょっとはあったよネ。



望みは高く持つことは良いことかもしれませんが、

テメエの分以上のものを、自分に相応しいものだと

思い込んで、悪戦苦闘していた要素もあったんだろうなと。

おそらく、そういう勘違いが要因となって、

後々の苦労にも繋がっていたのでしょうネ。



あと、アレもしたい、コレも欲しい、

恋もしたい、美味しいモノも食べたい、

みたいな、なんつぅの?

生きていくことで必死なくせに、

世の流行みたいなもんに乗っかろうとして、

不必要な動きをしていたのもあるかもしれない

(若かった、そしてバカだった)。



で、時間に関して言えば、いつのまにか

育児に取られてカラッケツだった時間は、

子供が成長すれば、当然、余裕が出てくるワケで。

それでも、自分は年を取ってきてるし、


「子供がやっと育ったと思ったら、自分は体力が

なくなっていた」


とか、巷での言われがちな思考回路になりつつも、

こうやって、新しい仕事で、まだまだ自分を

鍛える余地があるなという職場環境に身を置くと、

自分で考えていた以上に、体力も知力もあるんじゃね?と

ちょっと、現在の自分の「ブ」というものが

変化しているのかなと思ったワケで。



「人として成長が大事」


などと、サブイボが立つような綺麗事を

いい年こいてまで、いつまでも呪文のように

繰り返すのではなく、


実社会では、


ひたすら「成果が大事」。



そこがベースで、そのベースが成立した上で、

たまーに


「成長が大事」とか「頑張ったワタシ」


を、エッヘンと誇って、気持ちよがっているのは

まぁ、許されるんじゃねーかなと

思っています。


ほなまたねー。