こんにちは、ガネーシャJr.です。
印西市内には多くの史跡があり、各地に存在しています。その中でも千葉ニュータウンやその隣接地にある史跡は文化財として保護され説明看板もありますが、周りが開発されています。史跡としての意義が薄れるばかりでなく、周囲の景観と異なり違和感を感じる史跡も存在しています。
百庚申塚は千葉県北総地域に多く存在する珍しい多石の庚申塚です。特に印西市には浦部・武西・松崎・小林・松虫・笠神に百庚申塚が残っている貴重な史跡です。
千葉ニュータウンの武西学園にある「武西の百庚申塚」は1999年文化財になり、2016年からは武西学園南街区公園で保存公開されていて当時のブログにも書きました。
武西学園地区は千葉ニュータウン開発の中でも遅く、未開発の土地が残っていました。
草深と泉の境にある「泉新田野馬堀遺跡」は2005年に文化財になり、敷地は金網で囲まれていますが扉は常時出入り可能です。数台停まれる駐車場も完備されています。
今は北側は鹿黒南、南側は泉野の物流センターに囲まれてしまいました。
この史跡の保存方法はもう少し考え直したほうか良いかと思います。
草深地区(現千葉ニュータウン印西牧の原駅周辺)は太平洋戦争時は、平坦な地形を利用して陸軍の印旛飛行場として利用されました。
2020年に印旛飛行場をブログに書きました。
2回連続でした。
東の原に飛行機を隠した掩体壕が残っていて、2016年に市の史跡に選ばれました。
掩体壕を模したモニュメントが東の原公園の砂場にあります。
掩体壕を初めて訪れた2017年のブログです。
印旛飛行場を目的とするなら、「平和の碑」のある西の原公園があります。
西の原南街区公園のスダジイの木も、歴史の生証人として保存して欲しいです。2017年からスダジイ(スダ爺)を注目しています。
これらの史跡は最近10年で、史跡周辺の様子が大きく変化しています。
殆どの史跡が文化財として認定された時は、その趣旨に会う環境に置かれていました。文化財として保護保存するなら、周辺の環境も少しはわかる様に保存して欲しかったです。
現在も幾つかの史跡の環境が住宅地として変わってしまいました。住宅開発業者も史跡には手を出せず残して開発しかありません。
結縁寺の大日塚は、少し前まで畑と雑木林の間に置かれていました。木が1本残ったのは何故でしょうか。
他にも千葉ニュータウンに隣接した史跡は、開発の危機にあるでしょう。
史跡だけでなく、東の原の先の草深の稲荷神社は森が無くなったと聞きました。
最近膝の調子が悪く、以前ほど里山を訪れる機会が減りました。たまに行く度に風景が変わり、驚いています。
里山の中の史跡は楽しい場所でした。史跡をみて里山を思うガネーシャJr.でした。
