住宅地の中に残された史跡を考える | ガネーシャJr.の印西暮らし

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2015年迄印西市ではんこ屋を営んでいたガネーシャJr.と申します。角膜と硝子体の目の病気ではんこ屋を閉店しました。
里山と近郊都市の両立する印西市が大好きで、市内を散歩しながら見た事や行政に感じる事を個人的見解で書いています。どうぞ宜しくお願い致します。

こんにちは、ガネーシャJr.です。


印西市内には多くの史跡があり、各地に存在しています。その中でも千葉ニュータウンやその隣接地にある史跡は文化財として保護され説明看板もありますが、周りが開発されています。史跡としての意義が薄れるばかりでなく、周囲の景観と異なり違和感を感じる史跡も存在しています。



百庚申塚は千葉県北総地域に多く存在する珍しい多石の庚申塚です。特に印西市には浦部・武西・松崎・小林・松虫・笠神に百庚申塚が残っている貴重な史跡です。


千葉ニュータウンの武西学園にある「武西の百庚申塚」は1999年文化財になり、2016年からは武西学園南街区公園で保存公開されていて当時のブログにも書きました。

武西学園地区は千葉ニュータウン開発の中でも遅く、未開発の土地が残っていました。

下の写真の2006年は、旧街道の薄暗い雑木林に覆われた小路の脇に多くの石が並んている不気味な史跡でした。
その後に雑木林が切り払われ、百庚申塚は裸の状態で姿を現しました。以前より風雨にさらされて保存状態が気になります。
今は後ろに戸建て住宅が建ち並ぶ住宅地の近隣公園に百庚申塚は残されています。

2021年のブログにも書きました。 庚申講として信仰する住民もいなくなりましたが、多くの人が気軽に訪れる公園で歴史遺産の保存公開は素晴らしいと思います。



草深と泉の境にある「泉新田野馬堀遺跡」は2005年に文化財になり、敷地は金網で囲まれていますが扉は常時出入り可能です。数台停まれる駐車場も完備されています。
敷地の前には白山神社の雑木林もあり、この一画はニュータウン事業用地に挟まれていますが市街化区域から外れています。
2005年の写真の頃は未開発の草原の真ん中にありました。

今は北側は鹿黒南、南側は泉野の物流センターに囲まれてしまいました。
2022年のブログにも書きましたが、牧を知らない人には不可解な史跡だと思います。今は前の道路は交通量も多く、気軽に駐車して見学は難しい状況です。

この史跡の保存方法はもう少し考え直したほうか良いかと思います。


草深地区(現千葉ニュータウン印西牧の原駅周辺)は太平洋戦争時は、平坦な地形を利用して陸軍の印旛飛行場として利用されました。
2020年に印旛飛行場をブログに書きました。

2回連続でした。


東の原に飛行機を隠した掩体壕が残っていて、2016年に市の史跡に選ばれました。

今は住宅地の中の金網に囲まれた何もない空地で、説明看板が無いと不可解な史跡です。
掩体壕を模したモニュメントが東の原公園の砂場にあります。
分かりやすいモニュメントですが説明看板は無く、飛行機の見える公園と思ってしまいます。掩体壕に欲しいモニュメントです。

掩体壕を初めて訪れた2017年のブログです。


印旛飛行場を目的とするなら、「平和の碑」のある西の原公園があります。

西の原南街区公園のスダジイの木も、歴史の生証人として保存して欲しいです。2017年からスダジイ(スダ爺)を注目しています。



これらの史跡は最近10年で、史跡周辺の様子が大きく変化しています。
殆どの史跡が文化財として認定された時は、その趣旨に会う環境に置かれていました。文化財として保護保存するなら、周辺の環境も少しはわかる様に保存して欲しかったです。

現在も幾つかの史跡の環境が住宅地として変わってしまいました。住宅開発業者も史跡には手を出せず残して開発しかありません。
結縁寺の大日塚は、少し前まで畑と雑木林の間に置かれていました。木が1本残ったのは何故でしょうか。

他にも千葉ニュータウンに隣接した史跡は、開発の危機にあるでしょう。
史跡だけでなく、東の原の先の草深の稲荷神社は森が無くなったと聞きました。

最近膝の調子が悪く、以前ほど里山を訪れる機会が減りました。たまに行く度に風景が変わり、驚いています。
里山の中の史跡は楽しい場所でした。史跡をみて里山を思うガネーシャJr.でした。