戦国時代を築いたと思う本佐倉城跡を訪ねて | ガネーシャJr.の印西暮らし

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2015年迄印西市ではんこ屋を営んでいたガネーシャJr.と申します。角膜と硝子体の目の病気ではんこ屋を閉店しました。
里山と近郊都市の両立する印西市が大好きで、市内を散歩しながら見た事や行政に感じる事を個人的見解で書いています。どうぞ宜しくお願い致します。

こんにちは、ガネーシャJr.です。


佐倉市と酒々井町にまたがる本佐倉城跡を6年ぶりに訪れました。

本佐倉城は500年前中世戦国時代の下総国を平定した千葉氏の居城でした。
佐倉の街中にある江戸時代に建てられた佐倉城とは別のお城です。

以前訪れた時は狭くて細い道を歩いて行きましたが、今は幅広い一直線の道路が途中まで出来ていました。

城山全体が城跡公園になっています。
駐車場は以前もありましたが、そこに行くまで大変でした。駐車場に案内所があり、ガイドブックが貰えて説明もして頂けます。

駐車場の先にある入口にたくさんの矢楯が飾られています。
こんな小さな板で、本当に矢が防げたのか不安になりました。

城山はこんもりとした森の中で、ガイドブックを見ないと何かわかりませんでした。
一番のビューポイントは入口すぐの東山虎口から見える大水田です。
左の山は印西市平賀で、遥か遠くに筑波山も見えました。
この水田地帯は中世戦国時代は「香取の海」の印旛浦(後の印旛沼)でした。
ビューポイントの下は昔は船着き場になっていたと思います。
千葉氏は岩手県三陸の鉄鉱石を運んできて、この本佐倉城の近くで製鉄して、出来た鉄を大阪の堺に売っていたと思われます。この本佐倉城で造られた鉄が、堺で刀や鎧になり戦国時代に入っていったと思います。この本佐倉城が日本の戦国時代を作ったのです。

ここから見える水田の真ん中を京成電鉄が走っています。大型の望遠レンズを持った鉄道ファンが写真を撮っていました。真似してやっと電車を撮影しました。小さ過ぎる!

本佐倉城は「続日本名城100選」の121番目?のお城に選定されています。尚ただの佐倉城は「日本名城100選」の20番目だそうです。
本佐倉城は千葉氏の居城でしたが支城に臼井城や師戸城があり、印西の師戸城も県立印旛沼公園として城跡が残されています。
師戸城跡から見える西印旛沼も、昔は「香取の海」の一部でした。

500年前の印旛沼の小さな港から、東北や近畿まで船が行っていたとは。その商売した鉄が戦国時代を作ったとは。
歴史は壮大な物語です。色々と歴史を思って面白がっているガネーシャJr.でした。