憧れの街だったユーカリが丘を数十年ぶりに訪れる | ガネーシャJr.の印西暮らし

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2015年迄印西市ではんこ屋を営んでいたガネーシャJr.と申します。角膜と硝子体の目の病気ではんこ屋を閉店しました。
里山と近郊都市の両立する印西市が大好きで、市内を散歩しながら見た事や行政に感じる事を個人的見解で書いています。どうぞ宜しくお願い致します。

こんにちは、ガネーシャJr.です。


ガネーシャJr.が印西の千葉ニュータウンに越して来た1984年は駅と住宅以外は空地ばかりの何も無い街でした。

(20年前の印西牧の原駅周辺もこの有り様)


1991年に千葉ニュータウン中央駅南側にダイエーがオープンするまでは買い物難民で、週末は近隣の街へ買い出しに行きました。

近隣の街の中でも、ほぼ同時期にできた京成ユーカリが丘駅は憧れの街でした。

(印西市の高台からはユーカリが丘のタワマン群が印旛沼の先に臨めます)

高層タワマンと駅との間に大型ショッピングセンターがあり、買い出しの後に外食して映画館やカラオケやボーリングの娯楽もある憧れの素晴らしい街でした。

千葉ニュータウンにダイエーの他に1995年アルカサール、2000年ジャスコ(現イオン)、2002年ジョイフル本田が出来た頃から買い物や外食や娯楽は地元で出来る様になりました。


そんな憧れの街だったユーカリが丘を約25年ぶりに訪れました。

ユーカリが丘の象徴であるタワマンと山万ユーカリが丘鉄道線は健在でした。


高層タワマンは昔より増えていました。
このタワマン群は千葉ニュータウンでは見れない景色です。

やはり新交通システム山万ユーカリが丘線を見ないとユーカリが丘を語れません。
こんな可愛い鉄道だっけ、改めて感動。

街の中でユーカリが丘のシンボル、コアラ君にも出会えました。
ボーリング場やカラオケは健在でしたが、進化もしていて新しい建物やお店がたくさんあり未知の街の様でした。
街の至る所に緑の森がある公園かあり、住宅環境としては千葉ニュータウンより上かも。

ユーカリが丘南口は記憶に無く、当時はありませんでした。新しい街にもマンションがたくさん建っていました。
今回は南口にある上海の観光地と同じ名前の店で中華料理を頂きました。
高そうなお店でしたが、昼のランチセットはデザートやコーヒーもついてお得でした。

お洒落なスタバのお店もあり、新しい「花見抹茶フラペチーノ」を飲んできました。

イオンモールユーカリが丘店の屋上からは、千葉ニュータウンが微かに臨めました。
千葉ニュータウンにもイオンモールがありますが、他地域の店の方が素敵に感じるのは何故なんでしょうか。

本当に久しぶりにユーカリが丘を堪能して来て、大満足のガネーシャJr.でしてた。