こんにちは、ガネーシャJr.です。
印西市にある結縁寺は奈良時代初期に行基が創建、鎌倉時代は六坊を有する名刹でした。
天正18年(1590年)全山消失して不動明王像だけが残り、その後衰退していきました。
銅製の不動明王像は日本に3体のみで、国の重要文化財に指定されていて毎年9月28日にご開帳されます。
今年も晴天山結縁寺の名の通り晴れましたが、秋から夏に逆戻りの猛暑でした。
毎年この時期の参道は彼岸花が満開に咲いてますが、今年はもう少し後が見頃と思われます。蓮池は蓮が増えて、水に写る逆さ彼岸花は撮れませんでした。
今年も大勢の参拝客が訪れていました。
護摩焚きの後に本堂に入り、順番に不動明王像を拝めました。
高さ47cmの不動明王像には鎌倉時代の嘉元元年(1303年)と刻まれています。
御朱印が置かれてありましたが、寄付金300円の小銭が無くて諦めました。
ご開帳まで時間があったので、結縁寺周辺の史跡を周りました。
結縁寺前の五輪塔は頼政伝承に結びつくと思われているそうです。
結縁寺近辺の石造物は88基あるそうで、ここにある二十三夜塔は寛文11年(1671年)と彫られています。
入定塚は戦国時代の大永年間に伊勢源氏物語の子孫の娘が夢のお告げで頼政公の墓所に入定した場所と言われています。
入定塚の奥は熊野神社になっています。熊野神社は結縁寺地区の鎮守です。
頼政塚は頼政の首が葬られていると言われていますが、各地に頼政塚はあるそうです。
塚には糸が備えられていて、痛い場所にこの糸を巻き付けると治ると言われています。
名馬塚は頼政の首を運んできた馬を葬った場所と言われています。
名馬塚は最近唯一の木が枯れてしまい寂しい史跡になってしまいました。
ここにある道標は他から持ってきて置かれたそうで、方向が違っていました。
結縁寺は住職のいないお寺ですが地域の人に愛されていて、境内は綺麗に管理され周辺も手入れが行き届いています。
結縁寺の周りの空地にはコスモスの花がたくさん咲いていました。
結縁寺の池の横にカカシがいます。
近所のお婆さんの作品ですが、昨年お婆さんが亡くなり残っているカカシだそうです。来年のカカシはどうなるか心配になります。
結縁寺の周辺は「日本の里100選」に選ばれた見事な里山が広がっていて、地元住民やボランティアの人々によって素晴らしい里山風景が保たれています。ありがとうございます。
結縁寺北側にある大日塚は以前は雑木林と畑に囲まれていましたが、周りが住宅地に開発され塚と木だけ残されていました。
今後の開発と自然環境や史跡保護の問題は印西市の重要な課題だと思います。
久しぶりの結縁寺ご開帳と、結縁寺周辺を楽しんだガネーシャJr.でした。