ラットマン | そういえば、昔は文学少女でした。

そういえば、昔は文学少女でした。

クリスマスと誕生日に一冊ずつねだった、「世界少女名作全集」。図書室の本を全部借りよう、と思ってた中学時代。なのに今では読書時間は減る一方。ブログに書けば、もっと読むかも、私。という気持ちで始めます。洋書から雑誌まで、硬軟とりまぜ読書日記。

ラットマン (光文社文庫)/道尾 秀介
¥620
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ねずみ男が出てくるホラーかと思って避けてたら、全然違う話だった(笑)。


これはねずみだ、と言われたらねずみにしか見えない、おじさんだと言われればおじさんにしか見えない、同じイラスト、それがラットマン。要するに、人間の思い込みがいかに事実と違う「絵」を自分に見せているか、というテーマなのですね。その昔心理学の授業を取っていたのにね。


高校時代からずーっと同じメンバーで活動を続けてきて、30歳になる、という青年たちが主人公です。一見何の変哲もない普通の若者たちの中で、どうやら姫川亮には生い立ちに暗い影がある。亮はバンドの紅一点でドラムをたたいていた小野木ひかりと、メンバー公認の恋仲なのだけど、ひかりはバンドを抜けて、後任は彼女の妹の桂、でもって、どうやら亮は桂とも関係を持ったらしい・・・


なんとなく不穏な空気が漂う中、ある日スタジオでひかりが亡くなります。明日にはお腹の子供を中絶しようとしていたひかり。事故なのか他殺なのか、犯人は誰なのか。彼女の胎児の父親は誰なのか。そして、亮の記憶の中で繰り返し再生される、23年前の姉の死の真相は?・・・


全編通じて確かにラットマンだらけ、あ、そうなのか、と思った瞬間、それが思い込みに過ぎないことがすぐ判明し、今度こそこっちが真実か、と思いかけたらそれも勘違いだったりして、二転三転、おーい、話はどっちに転んでいくんだよー!!と叫びだしそうになりました。


かなりヘビーでタフな物語なのですが、亮のバンド仲間の竹内君と谷尾君が、なかなかいいキャラだったかな。


それと、実は本編よりも、大沢在昌氏のあとがきに、唸った。

彼のいう「道尾秀介に対する違和感」に、まさに共感したからです。いや、好きなんだけどね。面白いし、すごいと思うし、でも、何なのこの違和感、っていうのは初めて読んだときから心の片隅にざわざわしていて、それを大沢さんがものの見事に解説してくれて、スッキリしたのです。


道尾さんの小説に出てくる登場人物には「熱さ」がなくて、「平熱」であるということ。世の中を変えてやろうなどという意気込みがないこと。どっちがいい悪いではなくて。

そして、「熱く」ならない登場人物のほうが、圧倒的に現代の「リアル」であるということ。

「いいたいのは世代論ではない」とありましたが、納得納得。


大沢在昌、読んでみよっかな。