バブル文化論 | そういえば、昔は文学少女でした。

そういえば、昔は文学少女でした。

クリスマスと誕生日に一冊ずつねだった、「世界少女名作全集」。図書室の本を全部借りよう、と思ってた中学時代。なのに今では読書時間は減る一方。ブログに書けば、もっと読むかも、私。という気持ちで始めます。洋書から雑誌まで、硬軟とりまぜ読書日記。

原 宏之
バブル文化論―“ポスト戦後”としての一九八〇年代

どんな時代も、その流行も、あとで振り返ると、奇妙に感じたり、恥ずかしかったりする要素は多分にあると思うのですが、80年代は私にとって強烈にそれを感じる時代です。自分の青春がそこにぴったり符合していることが、すでに非常に気恥ずかしい。。。

今の言葉でいうならば、「痛い」という表現がふさわしいのでしょう。

私自身はどちらかというとボーっと過ごしていたので、この時代の先端文化にちっとも乗っていなかったわけですが、それでも知らず知らず、価値観がそこで形づくられていることを、年を重ねるにつれ、年下世代と交流するにつれ、実感するようになっています。一体なんだったんだ、あの時代。


・・・と思っていたところに、この本を知ったのですぐ読んでみました。原宿のタケノコ族、ティファニーのオープンハート、ねるとん紅鯨団、クリスマスのシティホテル、渋カジに「おたく」、トレンディドラマ。。。うわ、もう書いているだけでたまらない。いたたまれない。確かに「痛」すぎる。


「ポスト戦後」とタイトルにはありますが、本文を読むと、むしろバブル期までが「戦後」に括られています。


以下引用―七〇年代と八〇年代は、「連続」していたのだ。何をあたりまえのことを、といわれるかもしれないけれども、八〇年代と九〇年代には連続よりも「断絶」の方が多いのである


わかるわかる、どこかで何かが切れた感覚は、すごくあります。

興味深いのは、その「断絶」をメディアの変容と絡めて語っているくだり。


以下再び引用―九〇年代のデジタル・メディア革命の前夜であり、電話遊戯サービスなどのアナログ・メディアの究極化と、パソコン通信などのデジタル・メディアの実験がそこには混在していた。しかしながら、雑誌を中心に活字メディアが隆盛し、「文字圏」や「グーテンベルクの銀河系」ともいわれる近代特有のコミュニケーション様式の一大特徴である印刷出版が、終末論的な不安さえともなう絶頂を極めた時代、さらに「戦後」最大のアナログ・メディアであったテレビがこれと覇権を争うやはり黄金の時代でもあった。「文化」というわたしたち人間の象徴領域のあり方がやがて九〇年代以降変貌し、さらに力衰えるかのように見える前の段階である一九八〇年代は、「近代」のなかの少なくとも「戦後」の時期の末期であったことは、このようなメディアの状況からもうかがい知ることができる


たしかにあの頃ケータイもインターネットもなくて、雑誌文化は全盛をきわめていて、テレビにも勢いがあったねえ。こんな二十一世紀がやってくるなんて、夢にも思わずにいたんだなあ。あーあ。


さて、でもちょっと救いがあったのは、あの頃は皆、幸せだったんじゃない?という指摘です。バカだったけど、余裕があった。人にやさしくしたり、仲間を大切にしたりすることが美徳だった。今みたいに、こんなに世の中は殺伐とキリキリとしていなかったし、お金がすべてだったわけじゃない。


以下再び引用―人工的でないことがもしかしたら野暮ったさ、人間くささなのかもしれない。八〇年代はバブルだけが強調されるが、決して金儲けだけの時代だったわけではない。「戦後」を引きずった根源的な貧しさがそこには感じられる。「戦後」という抑圧の答えのひとつが、バブル経済にまで至る経済的繁栄による幸福な社会だったのかもしれない


著者は69年生まれだから、「バブル世代」にカテゴライズされるのでしょうか。ちょっと文章が冗漫じゃない?と思うけど、知っている時代のことなので、まあすいすい読めました。80年代を知らない若い読者の感想を聞いてみたいものです。