白夜行 | そういえば、昔は文学少女でした。

そういえば、昔は文学少女でした。

クリスマスと誕生日に一冊ずつねだった、「世界少女名作全集」。図書室の本を全部借りよう、と思ってた中学時代。なのに今では読書時間は減る一方。ブログに書けば、もっと読むかも、私。という気持ちで始めます。洋書から雑誌まで、硬軟とりまぜ読書日記。

東野 圭吾
白夜行

10日ぶりの更新になったのは、仕事が忙しかったせいもあるけど、なんといってもこの分厚さのため、読むのに時間がかかってしまったから。文庫本1冊で860ページというのは、相当読み応えがあります。ずっしり。そして内容もそれに違わぬ重量感。海外ミステリに偏重しすぎて、東野圭吾氏の著作を読むのはこれが初めてでした。きっかけになったのはテレビドラマのいわゆる「番宣」。山田孝之君と綾瀬はるかさんという、現代の若者でありながら、何かを背負ってしまったような哀切な翳りをまとった、不思議な魅力を持つふたりの新ドラマです。私はドラマや映画の話題作を知ると、天邪鬼なのかその映像は見ずに、原作を読むことが多いのですが、今回もまさにそのパターン。ただし、あのポスターはずるい。この小説の「謎解き」部分が、あらかじめ呈示されているからです。こういうのは普通「ネタバレ」という反則なんだと思うのですが、どうやらドラマはラストシーンから始まった、というのだから、制作スタッフのよほどの思い入れがあってのことなのでしょう。それを置いておくとしても、十二分に読書の喜びが味わえる傑作です。

物語は、1970年代初めの大阪から始まります。質屋の主人が殺され、犯人が特定できぬまま、今度はその主人と顔見知りだった母子家庭の母親が、謎のガス中毒死を遂げる。質屋の息子、亮司と、母子家庭の娘、雪穂の、その後の20年近くにわたる軌跡が、様々な人間関係を描きながら綴られていきます。主人公ふたりの年代設定が、自分と似ていたせいもあって、移り変わる時代の風景がとてもリアルに感じられました。こんなIT社会が来ることなんて、嘘のような昭和のアナログな生活。オイルショックの影やバブルの狂乱や、コンピュータやゲームの進化。本筋とは直接関係のないところにも、緻密な時代考証がなされていて、「あの頃」を振り返る意味でも興味深いお話になっています。作者が「理系」と聞いて、すっかり先入観で読んだせいもあるけど、確かに筋がきっちり構築されていて、伏線の張り方も見事で、辻褄が合わなかったりする変な破綻がない。。。

いやしかし、そんなことは序の口であって、なんといっても物語として単純に面白い。

文中に亮司と雪穂とが直接交流する場面はなく、それどころかふたりの心情は一切描写されません。その時々で彼らと関わる第三者の目を通してしか、ふたりのことは語られません。それなのに、読み進むにつれて、ふたりの「像」が次第に肉付けされて、目の前に見えるようになってきます。『一度でいいから、太陽の下を歩きたい』と願ったふたりのその「像」が、私のイメージでは「山田孝之と綾瀬はるか」ではないのがちょっと残念ですが。彼らではピュアすぎるような気がして。

というわけで、ドラマが単なる「悲しい純愛劇」に終わらないことを祈ります。