遥かな歩み | 日々に、折々に…

日々に、折々に…

折々に浮かびくることをとりとめもなくつづってみました 風の音を聴きながら…

 この夏、テレビで岐阜の中学生が歌う「機織る星」を聴いた どこをとってみても高田節が響くこの歌は女声合唱組曲「遥かな歩み」の第1曲 おそらく何度かは聴いたことがあったんだろう しかし、飛騨古川から会場の岐阜市のホールまでやってきて歌う彼女らの姿と重なって少なからず印象に残った曲となった 彼女たちのひたむきさ、北の機織る星のさだめ… 多くのことを語る詩はおよそ一度では理解できない 理解できないのだが、何かは伝わってくるのだ 現在の中学生たちの演奏技術は高く、他の学校などはソルフェージュとしては何倍もの難しい曲を歌っている しかし、不消化なところがありながらもこの曲のもつ祈りのようなものが意図してか否かはわからないが、かおってきたように思えたのだ

 季節がめぐり、秋が去り、冬になった 自転車操業のようにやってくる曲の楽譜を追われながら読むのだが、少しオフ期間を迎え、自分のレパートリーを広げたり、次の選曲のための参考にしたりするために、新曲や気に留めていた曲の楽譜をたくさん読む そんなに早く読めないのだがピアノやキーボードも使いながら… それらの楽譜の中に「遥かな歩み」があった 自分がメモしておいたのだが、とても古い楽譜で初演された1970~1年のすぐ後に発売された第1刷400円と記されている まだ小学校へ入学する前のもので、この楽譜は譲り受けたものである

 たまにピアノを使いながら楽譜を読み進めていく 女性の強さ、ひたむきさ、生きることへのまなざし… そして、祈り そう、信仰のようなものさえ感じる 弦楽のためのアダージョでよく知られるアメリカの作曲家サミュエル・バーバーの「乙女、殉教者たち」を京都の女声アンサンブルとやったことがある 調性音楽ではあるのだが、二十世紀前半のポストロマンの成熟した、色彩豊かな音楽だ キリスト教の聖者たちに倣い娘たちは野を花を摘みながら進んでいく… 高田作品は決して色彩豊かではない むしろ削ぎ落とされた本質的な祈りへと迫る 「遥かな歩み」の第3曲「花野」はバーバーの「乙女殉教者たち」が重なって響いて仕方ない

 高田三郎さんも、作詞者の村上博子さんも敬虔なカトリックの信教者である