第九とメサイア | 日々、折々…

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折々に浮かびくることをとりとめもなくつづってみました 風の音を聴きながら…

 

 12月になったら「第九」だ!という方も多い
 なぜ年末に第九なのか その根拠ははっきりしない日本の風物詩といえるだろう 経済的に厳しかった黎明期のオーケストラが餅代を稼ぐために第九をやって人を集めたというのがどうも有力な説のようだ 実際のところ日本ほど第九が演奏される国はない ダントツである ホールの柿落としであるとか、何かの大きな記念の時に敬意をもって楽聖ベートーベンの人類の理想と希望を歌った最後の交響曲は演奏されるのだ 
 好意的にみれば、日本はなんと音楽的な国なのか、西洋音楽を愛し、我がものとし、ベートーベンの価値をこれほど認め、こんなに多くのアマチュアの合唱団であっても、異国の言葉であるドイツ語を暗譜で歌っている 考えられない!日本人は、日本は素晴らしい‼️となるのだ 
 第九は日本では年末の風物詩であっても、本来、この時期に第九をやる根拠はないのだ
 では、第九に比べるとマイナーながらも12月になればよく演奏されるメサイアは?
 メサイアは救世主メシアの英語読みだ 救世主メシアの「誕生」「受難」「復活」を歌ったもので、バロック時代最後の大作曲家ヘンデルが、ミサ曲のように教会の典礼のために書いたものではなく、あくまでも演奏会での演奏のために書いたオラトリオである ドイツ人であったヘンデル(なまえにもウムラウトが含まれる)であるが、イギリスで活躍をしたのだ だから、英語でこのメサイアは書かれている
 第2部「受難」の最後にあの有名な「ハレルヤ」があって、このハレルヤだけが単独で歌われることもよくある メサイアの演奏にあたってはよく「本日の演奏においてはハレルヤでのご起立はご遠慮ください」などとアナウンスされたりする これは当時のイギリスの国王がメサイアを聴いていた時、ハレルヤに差しかかったところで立ち上がって演奏を聴いたというエピソードがあり、主にイギリスではハレルヤになると聴衆が起立して聴くという習わしがあるからだ このエピソードを知った時、なんてかっこいいんだろう!と半ば憧れの気持ちになったことを振り返るとやはりミーハー的であったように思う
 12月になり、もうアドベント(待降節)となっている この季節にメサイアを歌ったり、聴いたりするのはどうだろうか