身の回りに起きたシンクロニシティが
あまりに不思議だったので
「シンクロニシティ」をキーワードにして書いています。
 
私の体験の始まりはこれ(1)

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先月久しぶりに東京でリコネクティブ・ヒーリングを受けてきた。
前回と同様、足が気持ちよくしびれる感じが来た。
額にも変化があった感じがした。

細胞レベル?DNAレベル?での変化があったと思う。
新しい情報が言葉でなく、グリッドを通して入ってくる。

こうしてこの文章を書いている間にも、
例えばバッテリーの残りが何パーセントあるか確認したら、
残り時間が表示されて、3h33m だったというように、

そして机上のデジタル時計を見ればゾロ目だったなど、
3次元を超えた向こうの世界から
シンクロニシティがやってくる。

今日のブログも楽しく書いていける。

**** 解説 *****
さてここで「シンクロニシティ」の定義をいまさらながらしておきたい。
Wikipediaには以下の定義が書いてある。
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シンクロニシティ(英語:synchronicity)とは、ユングが提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指し、日本語では主に「共時性」と訳され、他にも「同時性」もしくは「同時発生」と訳される場合もある。例えば、虫の知らせのようなもので因果関係がない2つの事象が、類似性と近接性を持つこと。ユングはこれを「非因果的連関の原理」と呼んだ
====Wikipedia 引用終わり=====

「偶然の一致」というのが定義であり、
量子論的に「意識」のありかが重要となる。
おそらく3次元の世界の因果関係を超えた、
高次元でのつながりがあるからこそ
偶然の一致が起るのだろう。

意図的にゾロ目ナンバーを買う、などという行為は
それは意図的であり、偶然ではなく、3次元世界で閉じる話。
それはシンクロニシティとは別次元のお話である。

シンクロニシティとは、神とのダンスのようなもので、
このブログではその次元のお話をしている。

縁起の良いナンバーをわざわざ買った人は、
何がそれをあなたに買わせしめたのか、
心でよく感じれば次元の違いがわかるはずだ。

******* 解説終わり******

さて、リコネクティブ・ヒーリングはリモートでも
受けることが可能であるが、実際に会って受ける方がたのしい。
プラクティショナーの方とその日3時間くらい
スピリチュアル系のお話をした。本当にあっという間に
時間が過ぎていった。

このプラクティショナーの方は既に悟りの領域に
入っている。悟った人は悟ったなんて言わない、
とおっしゃるけれど、それが証拠よね。

そのレベルのお話ができるのはとても楽しいこと。

そこで印象に残ったお話は
「ここ(東京及び首都圏)は修行の場」
「ここ(東京及び首都圏)は毎日毎日、あなたにはあれが足りない、これが足りない、と言われる場所」

そうなると、お金と欲望のために生きていくことを
強制されるような場所ということよね。

私も久しぶりの東京は、歩いている人たちを観察していると、
大変そうだなと思った。自分がこの東京で育ち、この首都圏で
長期間働いてきたことを考えると、ぞっとした。
その中にいるとわからないものだ。

最近再度「覚醒の炎 -プンジャジの教えー(ナチュラルスピリット)」
を読み直してみて、言葉がスーっと入ってくるようになった。
以下、抜粋。
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誕生とは何か? 死とは何か? それは欲望だ。
この終わることのない輪廻転生は、
身体の感覚的快楽への欲望によって燃料を注がれている。
欲望が尽きた時この輪廻もまた尽きるのだ。
=== 抜粋 終わり ===

地球のグリッド 宇宙のグリッド」でも書いたように、
欲望がある限り、輪廻がある。

首都圏を歩く人たちから、欲望が消えることは
ないだろう。自分だってそこにいた時はそうだった。

幸せだったかというと、どうなんだろう?
自分自身を振り返ってみる。

社会人になってから、5年ほどは同期とほぼ一律の収入で
とても厳しい環境で働いていたが、社費留学が決まると
様々なことが変わっていった。
飛行機はビジネスクラスが当たり前となり、
待遇もよくなっていった。

30歳で再度米国に渡り、研究の仕事をしたときからは、
ドル円レートの換算方法にもよるが、年収で1500万円から
2000万円近くあっただろう。

当時の米国は今とは比べ物にならないくらい
物価が安かった。ガソリンも30円/L台で、食材も
日本と比べて半分以下だったように思う。
電気代もとても安かった。

あの時と同様の生活を今米国でするとなれば、
日本円に直して年収で5000万円くらいないとだめだろうか?
もっとかな?

そして米国で結婚したのだが、そうなると
将来の収入が心配で、日本に帰国後すぐに証券口座を作り、
夫婦で投資を始めた。帰国後すぐは家賃8,000円くらいの

社宅アパートに住んでいた。購入したタワーマンションが

完成するまでの1年半くらい。節約節約。

朝はモーサテからから始まり、夜はできればWBSで締め、
日経ヴェリタスも読んでいたが、アナリストの話は9割方
信じていなかった。我々は独自に詳細に企業分析し、
夫婦でディベートし、投資を進めた。

数年後、我々が購入していた株は10倍以上に上がっていたものもあった。
住宅ローン完済前にその株を売却したのだが、
大量に保有していたので、普通の日に”成行”で一度に売ると
ストップ安(株価20%下落)確定になってしまう。
大手企業の株である。

慎重に、しかし売買高が急上昇した時にようやく
売ることができた。

当時の妻の口座で取引していたので
年末調整で会社に報告したが、
専業主婦つまり扶養のままでOKだった。

よく世間では103万円の壁とか130万円の壁
などというが、合法的にそれを圧倒的に超えることが
可能な場合がある。もちろん彼女は計算済みだった。

これは私の勝手な想像だが、
でも多分、何億円、何十億円と稼いでいる
合法的“専業主婦”ってたくさんいるはずだ。
“専業主婦”なので表には出てこないけど。
今回の円安局面でたくさん儲けた
「ミセスワタナベ」もいっぱいいるはずだ。

あまり身の回りに見当たらないだろうけれど。

 

その後、我々は住んでいたタワーマンションを購入額より
数割高く売り、賃貸マンションに移った。
米国サブプライムローン問題が不動産価格を
下げるだろうという予測を立てていたたから。

実際そのあとリーマンショックがきた。
さらに賃貸から引っ越し、億の単位のマンションを購入する
わけだが、それは元妻にとって、ただの通過地点に過ぎなかった。
引っ越しの荷物も片付かないうちから、近所の
〇.    Ⅹ億円の物件を探し始めた…

さてその説明をするために、話を新婚の時に戻してみる。
 

アメリカで半年くらい同棲していて、
その後結婚した。彼女は米国の大学でph.Dを取りながら、
学部生に教授の代わりに教えていた。
ハーバード、プリンストン、スタンフォードなどと
並ぶレベルで、東大と比較すると怒られる、そんなレベルだ。

つまり、社会人経験がないがプライドは高い。

結婚して間もないころ、満面の笑みで
質問された。
「将来どんなところに住みたい?」

その時の輝く満面の笑みはとてもきれいだったが、肝に銘じた。
騙されてはいけない、きたぞ、賃貸か、持ち家かってやつだな。
どう考えても転勤があるから賃貸って答えるのが模範解答だろう。

そう思って
「まだ賃貸でいいと思うんだよね」
と答えたのだ。


しかしその答えは空中に消えた。
私の回答は全く届いていなかった。
 

そして満面の笑みで
「わたしね、お城に住みたいの❣」

真剣に回答した私がバカだった、
おとぎ話か冗談か何かね、
と思って思わず吹き出してしまった。

それがホラーの始まりだった。


彼女は思いっきり泣きだした。
真剣だったのにバカにされた、
ということだった。

えっ、それって笑うとこじゃないの!?
頭の中真っ白。

次の日から彼女はインターネットで中古のお城の物件を

探し始めた。本気だったのだ!

そして後日、新婚旅行パート2として
フランスへお城の物件探しの旅をさせられることに
なってしまった。

彼女は当時、確かに美人だった。
パリを行き交う男たちが振り返るほど。
でも、その笑顔に騙されてはいけない。

パリではお城で使うための食器として
Cristofle本店で銀食器を5,000ドル相当くらい
お土産として買わされた。
もう、その他に何買わされたかあまり覚えていない。

彼女の目標は100億円相当の物件。
他人から見ればコメディかもしれないが、
私にはまるでホラーのようだった。

美人、 かみなり、火事、おやじ

私は自由になるために、彼女は100億円物件を手に入れるために
お金を稼ぎたかったのだ。しかし途中までの道のりは同じだった。

思い出してはっきりわかるのは、豪華なところに住んでも、
いくらお金を稼いでも、私はあまり幸せを感じられていなかったことだ。

クルーザーを高級マリーナに所有し、高級車に乗って、億ションに住んで、
一部の部下からは「すべてを手に入れた人」と言われていたが、
そこには「幸せ」はあまりなかった。

私はお城に住んだってうれしくないし、幸せじゃない。

そして少なくともリコネクション®に出会うまで、
幸せのありかを探し続けていた。

幸せって何だろう?

つづく。