いま、息子の治療の記録を読み返していた。
冬になれば、あの衝撃の告知からもう五年にもなる。
骨髄移植という医療テクノロジーと、骨髄バンクという救命ネットワークが存在する現代だからこそ息子の命は救われた。
特に、息子に骨髄を無償で提供して下さったドナーさんには大きな恩を感じ、
それに報いるという意味で、息子の治療が落ち着いた段階で私もドナー登録を済ませていた。
登録から3年が過ぎ、今回候補として選定される運びとなった。
片方に大きく傾いていた天秤に、やっと釣り合うだけの分銅を乗せる事が出来るという気分だ。
いち候補からとんとん拍子に最終候補まで残り、同意書を交わして正式にドナーとなった日から、バイクは一旦休みと決めた。
私の身に何かあって、患者さんの希望が絶たれるような事があってはならないからだ。
骨髄採取が行われる病院は1~3候補まで選ぶ事が出来、最終的には病床の空き具合などから決まるのだが、運の良い事に今回、息子が入院したがんセンターの血液病棟に入院出来る事となった。
息子の主治医の先生はもとより、旧知のスタッフさんも何人かおられ、入院中はとても善くしていただいた。
たった三泊ではあったが、息子が過ごした入院の日々をほんの少しでも知る事が出来たという意味でも貴重な体験だった。
ただ、やはりあそこは入院患者さん皆がいのちの際で戦っている場所だ。
ドナーでございますみたいな、高慢な内心など一瞬で消え失せ、身の置き場に困ったのが正直なところだった。
採取前夜に見舞いに来て、30冊近くのコミックスを置いていってくれた息子も、病棟にはトラウマがある事を訴えていた。
ともあれ、息子の事を、やっとこれで完結できたという満足感は大きい。