ブラウン神父シリーズの第5短編集。ストーリーテリングの妙。今やスタンダードとなったトリックの数々。[???]

J・ブラウン神父:神に仕える蝙蝠傘がトレードマークの小男
ヘルキュール・フランボウ:巨大な身の丈と不敵な腕力の持ち主, 驚くべき軽業師, 天才の閃きも持ち合わせる, 犯罪界の大立者として知られた人物

「ブラウン神父の醜聞」:夫ある身の女の駆け落ちに、ブラウン神父が手を貸す。
「手早いやつ」:改装中のバーで剣が刺さった死体が見つかるが、死因は毒殺。
「古書の呪い」:その中身を見た者が次々と姿を消してしまう、呪われた本。
「緑の人」:殺された提督の生前に、そのそばで目撃された剣を振り回す男。
「“ブルー”氏の追跡」:従兄を追いかけ回して殺した犯人が、その後に誰にも目撃されずに逃亡。
「共産主義者の犯罪」:二人の富豪が毒殺され、共産主義者がその凶器のマッチを所持していた。
「ピンの意味」:建築会社の経営者が殺害予告され、自殺をほのめかして姿を消す。
「とけない問題」:ブラウン神父とフランボウが移動中に出くわした、次々と奇怪な状況が増えていく怪事件。
「村の吸血鬼」:小さな村での、撲殺に偽装された毒殺事件。

※以下の反転表示部はネタバレ注意。




ついに最後のブラウン神父譚。多少の当たり外れはあるにせよ、そのクオリティはここに至るまでずっと、充分に及第点を得られるものだったと言える。

それを成し得たのは、何と言っても他に比ぶべくもない、その作風の圧倒的な個性と、その世界観の中でこそ活きるブラウン神父のキャラクターの魅力によるもの。ブラウン神父譚が書き始められたのは、トリックという要素の中の「基本」はまだまだ大量に埋もれたままだった時代。未発見の、まったく新たな「基本」を次々と発掘していく強いエネルギーが感じられた。そして次第にそれは減退すれども、その作品はやはり魅力的だった。ブラウン神父譚はトリック小説としての側面を持ちつつも、トリックを知ってなお面白く読める。その主な魅力をトリックや推理に負っていないというのが異端だった。


最後となった短編集とはいえ、この中にことさらに感傷的なものはない。ブラウン神父は読者の前に初めて姿を現したときと変わらずに、決して若くはないが、決して老いることもなく、いつも通りに淡々と日常を過ごしている。ブラウン神父はこのままずっと、永遠に変わらぬまま、淡々と過ごすのだろう。


「ブラウン神父は挫けてなどいないのである。それどころか、例の寸詰まりの蝙蝠傘を携えて、よちよち歩きながら世界を渡り歩いている。その中に生きている人々の大半を愛しながら、そして世界を自分の裁き手としてではなく伴侶として受け入れながら」





「ブラウン神父の醜聞」
ハイペシア・ポター(ハード):富豪の令嬢, 美貌の名士
エリス・T・ポター:ハイペシアの夫
ルーデル・ロマーニズ:詩人
エイガー・P・ロック:<ミネアポリス流星>紙の記者



富豪の令嬢であり、美貌の名士でもあるハイペシア・ポターに醜聞が持ち上がった。彼女にはれっきとした夫があるのだが、彼女の名が詩人のルーデル・ロマーニズと並べて書き立てられたのだ。ロマーニズは多くの恋に成功した、あるいは多くの結婚に失敗したと言われる色男で、米国人ではあるにせよ、その精神面は強くスペイン系である米国人と称されていた。

ところで<ミネアポリス流星>紙の記者であるエイガー・P・ロック氏は、ロマンスが持て囃される風潮を嫌悪していた。そんな彼がハイペシアとロマーニズが駆け落ちすると聞きつけ、二人の男が争う場面を目撃した。

ハイペシアが滞在するホテルに到着したロックは、先ほど色男と争っていた小男をその受付カウンターに見つけた。妻にまといつく男がいて迷惑している、近づけさせないようにしてくれと頼んでいる。その人物こそポターだと、ロックはすぐに覚った。宿帳を確認すると、やはりハイペシア・ポターと、彼女の夫のエリス・T・ポターの名が並び、彼女に横恋慕する色男のルーデル・ロマーニズの名もあった。

その夜、ホテルの表で問題の色男が中に入れろと騒ぎ立てていた。しかし事情を聞いていたホテルの者はそれを拒否した。ロックは一安心したが、そこにいたブラウン神父の言葉を聞き、我が耳を疑った。なんと神父は、自分の部屋の窓を開け、彼女を脱出させたと言うのだ。

こともあろうにカトリックの神父が、すでに夫ある身の女の不貞行為に手を貸したのだと、ロックはさっそく邪悪な神父の悪行物語を新聞社に送った。



ロックはブラウン神父を追及した。あの女は夫ある身であろう、夫と一緒にいるべきであろうと。すると神父はそれを肯定し、のみならず、彼女は夫と一緒にいる言った。ブラウン神父は大嘘つきだと確信したロックに、当の神父はこう言った。「あなたはロマンチックすぎる」

「詩人というのは必ずしも美男子とは限らないのです。そして“ポター”という野暮ったい名前のビジネスマンが美男子ということもあるのです。あなたはロマンチックだから、美男子のほうを詩人のロマーニズと思い込み、冴えない小男のほうをビジネスマンのポターだと思い込んだ。しかしそれは逆だったのです。今、彼女と一緒にいる色男こそ、紛れもなく彼女の夫のポターなのです」


自分の見解に少々事実との相違を認めたロックはすぐに新聞社に連絡し、記事の訂正を求めたが、第一報はすでに世界中にばら撒かれた後だった。訂正記事がそれに追い付いたときには、誤報はすでにまた別の場所にばら撒かれており、いつまで経っても、ブラウン神父の醜聞物語は世界中を回り続けるのだった。



ロマンスを売り物にする者が現実的というのは、我が日本国の芸能界にもぴったりと当てはまるw 訂正記事が誤報を訂正しきれないのも世の常だねぇ。それは仕方ないとしても、そもそも訂正記事はたいてい(正確にはほぼすべての場合)小さすぎじゃないの。新聞の一面、TVのトップニュースで大々的に取り上げたネタを隅っこで小さく訂正するだけでは、そりゃー記憶の修正が成されぬままの者も多かろう。訂正記事には、元記事と同じ分量を割くべきじゃないかね?w



「なるほど映画スターは何度も結婚するが、それは彼らがロマンチックだからでしょうか? そういう人たちは実はとても現実的なのです。あなたなどよりもよほど現実的です」




「手早いやつ」
デヴィッド・プライス・ジョーンズ師:禁酒主義者の宗教家にして伝道家
アクバール:東洋の宗教家
ジョン・ラグリー:不平屋
ジュークス:セールスマン
ジェームズ・グラント:農場主
支配人
バーテン
グリーンウッド警部



グリーンウッド警部とブラウン神父がやって来たとき、そのホテルは改装中で、支配人その他は忙しく動きまわっており、たまたまバーのカウンターには誰もいなかった。しかし威風堂々としたセールスマンの一隊が現れ、大声で呼びつけると、支配人がすぐに駆けつけてきた。

一隊のリーダー格のジュークスは、平身低頭の支配人に寛大さを示し、ひととおりの酒を注文した。支配人にまで奢るという寛大ぶりだった。

そこに西洋の宗教家であるジョーンズ師と、その連れとして東洋の宗教家アクバール師がやって来た。騒動の発端はジョーンズが禁酒主義者であるということだった。彼がミルクを注文したことでジュークス氏は持ち前のユーモアを発揮し、それをジョーンズ師は真向から受けて立った。さらに近隣では随一の不平屋のラグリーがそれに参加した結果、アクバールが壁に掛かっていた剣を引っ掴んでラグリーに向かって投げ放つという事態になった。

幸か不幸か、その剣はラグリーには命中しなかった。そしてラグリーはそれを笑い飛ばし、自分に剣を投げつけた相手をむしろ賞賛した。彼が怒りを覚えるのは、己の宗教を侮辱されても平気でいるような人物であって、彼の命を狙った人物は決してそうではないからである。

その翌朝、ラグリーは死体となって発見された。その体にはあの剣が突き刺さっていた。死体に刺さった剣は、死後に突き立てられたことは明白だった。ブラウン神父はカウンター上にウイスキーの匂いの残ったグラスが置かれていたことを覚えており、騒動の前にやって来て立ち去った“手早いやつ”を捜すことをグリーンウッド警部に勧めた。

警察の熱心な捜査の結果、ジェームズ・グラントという農場主が捕えられた。



グラントは彼に給仕した人物を覚えていた。その指は迷うことなくジュークスに向けられた。


バーから従業員たちが離れている隙を突いて、ジュークスは酒に毒を入れた。チェリー・ブランデーなどという酒を注文するような人物はラグリーくらいなものだったので、狙った相手だけを狙うのは難しくなかった。

危機だったのは、ジュークスがカウンターの中で毒を仕込もうとする際に、客としてグラントがやって来たことだった。とっさにジュークスはバーテンのふりをして、その場を乗り切った。

ジュークスは酒の卸しに関して不正な利益を得ていて、それをラグリーに掴まれていた。



高級そうに見えるネクタイピンが偽物ではなく本物だったから、ジュークスはいかがわしい人物であると見抜くブラウン神父の理屈が可笑しいw



「そういう所が不潔だと言われるのは、犯罪がそこで行われるからではなく、そこで摘発されるからです」




「古書の呪い」
ジョン・オリヴァー・オープンショウ教授:心霊現象の研究家
べリッジ:その事務員
ルーク・プリングル師:宣教師
ウェールズ大尉:ニアニアの部隊の隊長
J・I・ハンキー博士:本の持ち主



オープンショウ教授はインチキ心霊現象を見破ることを生きがいにしているような人物だが、心霊現象なんてすべてインチキだと言う者に対しては科学では解明できない事例を次々と挙げて反撃する。雄弁な彼が唯一語らないのは、果たして彼が心霊現象の存在を信じているのかいないのかということ。

そんな彼のもとにプリングル師という人物が訪れ、奇妙な話を聞かせる。その中を見た者は姿を消してしまうという呪いの古書の話だった。ウェールズ大尉と、彼の前にその本を所持していた同船者が姿を消してしまったという。プリングル師はその本を携えていた。そこでその本を、本来の所有者である東洋旅行家のハンキー博士にすぐに送るべきなのか、中を開いてもいいものか、悩んでいるのだと、プリングル師はオープンショウ教授に語った。

二人は事務室へ向かった。プリングル師はそこに本を茶色の包み紙にくるんで置いておいたから。本は包み紙から引っ張りだされていた。そして事務員のべリッジが姿を消していた。

プリングル師はすぐにハンキー博士のもとを訪ねることを決断した。そしてそれ以来、ハンキー博士とプリングル師の姿を見た者はいない。



オープンショウ教授は常日頃からイカサマ心霊術師を見抜くのが上手いと評判だった。しかし彼は自分の事務員のことはロクに知らず、その外見の特徴さえも詳しくは語れなかった。教授はその事務員べリッジを計算機のような退屈な人物と思っていたが、実は彼には独特のユーモア・センスがあった。彼はそれを用いて、教授にちょっとしたイタズラを仕掛けた。呪いの古書の話をでっち上げ、変装して教授に面会したのだ。

案の定、教授は目の前のプリングル師がまさか自分の事務員とは気づかなかった。教授が訪ねたハンキー博士の家は、表札を変えただけのベリッジの自宅だった。

古書の呪いで姿を消した人物などいなかった。ベリッジは澄ました顔で事務室に戻っているに違いない。


ブラウン神父は迷信家ではないので、古書の呪いなどという話は信じなかった。神父は教授から話を聞くと、寸分のためらいもなく即座に古書を開き、その中身が白紙であることをすぐに知っていた。



神を信じるからこそブラウン神父は迷信家ではないという、繰り返し使われる逆説がここでも用いられる。身の回りのことほど注意が行き届かないという、灯台もと暗し的なテーマも定番。

いかがわしい話はいくつあってもいかがわしいが、その中に本当らしい話が一つ混ざると、すべての話に真実味が出るというのは面白い。

本作に登場するオープンショウ教授は、部分的にコナン・ドイルを皮肉った人物らしい。



「0+0+0=0ということほど、人に理解させるのが難しいことはありません。どんなに奇妙なことでも、連続して起こると、人はそれを信じるものです」




「緑の人」
マイクル・クレイヴン卿:海軍提督
ユリオン:提督の妹
オリーヴ:提督の娘
グライス:執事
ハロルド・ハーカー:提督の秘書
ダイク:提督の顧問弁護士
ロジャー・ルーク大尉:オリーヴの幼馴染
バーンズ警部
ストレイカー博士:医師



船を降り、帰宅する途中のクレイヴン提督を目撃した秘書のハーカーは、その儀礼用の正装姿に違和感を抱いた。普段の提督なら下船する際には、少なくとも通常の軍服に着替えるものなのだ。

その提督の後方、少し離れたところをもう一人の男が歩いていた。その男は提督に追いつくべきか否かを決めかねているような、奇妙な歩き方をしていた。その振る舞いはまことに奇妙なもので、突然走りだしたかと思えば立ち止まり、なんと剣を引き抜いたりもしていた。その男はもうすっかり提督に追いつく気など失ったように見えた。


クレイヴン邸では執事たちが首をひねり始めていた。帰宅予定の提督がなかなか戻らず、その秘書ハーカーも姿を見せなかったからである。

真夜中を過ぎた頃、ようやくハーカーが帰宅し、家の者を叩き起こした。彼はバーンズ警部を連れていた。彼は提督の死体が池の中から引き揚げられたニュースを伝えた。

そのとき、町にはブラウン神父が泊まっていた。神父は頼りになる人物として知られているので、さっそく事件の相談を持ち込まれた。


提督の法律関係を受け持っている法律事務所にすでに神父は来ていた。とは言えこれはまったくの偶然。神父は事件のことは知らず、提督水死の知らせを聞くと、それはいつのことかと聞き返した。ダイク弁護士も事件のことは知らなかったらしく、どこで死体が見つかったのかと尋ねた。海岸沿いの池で見つかったのだと警部が説明すると、提督の突然の訃報はブラウン神父にとってもショックなことだったのか、神父は動揺を示した。

警部がその話の中でもう一つ付け加えたのは、提督の死因は水死ではないということ。提督は刃物で心臓を貫かれていた。凶器が刃物となれば、冒頭の男が連想されるのも自然なことで、その人物はロジャー大尉という、提督の娘オリーヴとも幼馴染の男だった。

ハロルドは何事も短期間で片付けたい野心家なので、すぐさまオリーヴに結婚を申し込んだ。


ブラウン神父はある事実を伝えようとロジャーに面会した。するとここ数年塞ぎがちだったロジャーは急に明るくなり、オリーヴに結婚を申し込んだ。その理由を尋ねられると、彼はこう答えた。「悪い知らせを聞いて、幸福になったんだ」


次にブラウン神父はハロルドを訪ね、ロジャーに伝えたのと同じ事実を伝えた。するとハロルドは姿をくらました。



大洋の船旅から帰って来る者が水死したと聞けば、普通は誰でも海に落ちたものと思い込み、その死体がすぐに見つかるとは考えない。ところが一人だけがそのニュースを聞いて、どこで死体が見つかったのかと尋ねた。それは提督の死の詳細を知っていた者だからこその言葉だった。ブラウン神父はすぐにそれに気づき、自分の隣に殺人犯が座っていることに驚いたのだった。

ロジャーが剣を振り回していたのは、まさか誰かにその姿を見られているとも思わず、自分が大海賊になったような気分ではしゃいでいただけのこと。男の多くは、何歳になっても少年の心を残しているもので、刃物と見れば振りかざしたい願望を持っているものなのだ。もちろん例外的な人物もいて、たとえばダイク弁護士もその一人。彼は手元に素敵なペーパーナイフがあっても、そんな物には興味も持たずにペンをいじくり回すのを好んでいた。

ブラウン神父がロジャーとハロルドに告げた事実は、提督は財産を弁護士に横領され、破産したということだった。それを聞いたロジャーは、これで妻に養われる身分にならずに済むと、喜んでオリーヴに愛を告げた。ハロルドは野心家ではあるが決して悪人ではなかったので、オリーヴに面と向かって結婚を申し込んだのは間違いだったとは告げられず、黙っていずこかへと去った。



今回のブラウン神父は、たった一言からある人物を犯人と喝破し、常識的な考え方で奇矯な振る舞いに説明を付ける。まるで推理クイズのようなシンプルなフーダニットに、チェスタトンお得意の装飾(ある意味こっちがメイン)を施して、物語に仕立てあげている。

男の子なら手元に剣があればそれを振り回し、海賊ごっこがしたくなるものだと語るブラウン神父は素晴らしいが、その当人の少年時代は想像しがたいw



「子供のように刀遊びをすることが理解できない人には、スティーヴンソンの言葉を借りて『それでは君は海賊になることはあるまい』と言う以外にありません。同時に、そういう人は詩人になることもないでしょう。その人は少年だったことがないのです」




「“ブルー”氏の追跡」
J・ブレアム・ブルース:死んだ百万長者
バートランド・ブルース(仮名):ブレアムの従弟, 俳優経験もあるやくざ者
アンソニー・テイラー:秘書
マグルトン:私立探偵
“業火(ブリムストン)の爺さん”:自称・漁師
グリンステッド警部



従弟から命を狙われた大富豪ブルースは私立探偵のマグルトンに仕事を依頼した。そこでマグルトンは待ち合わせ場所である港の小屋へと出掛けた。依頼人はまだ到着しておらず、マグルトンは中で待つことにした。

手紙での依頼だったが、彼はブルースの写真を見たことがあるので、窓の外を歩く、いかにも大物らしい落ち着いた雰囲気の人物が彼だとすぐに気づいた。ところが彼は小屋の中に入らずに、その周囲を警戒するかのように歩き回っているらしい。

その彼が窓を通りすぎてすぐに第二の人物が現れた。無精髭を生やし、拳銃を握りしめた、みすぼらしい服装で挙動不審な男。マグルトンはその人物こそがブルースの命を狙う従弟であると確信した。服装や物腰に差はあれど、二人はまさしく従兄弟同士らしく、その顔には似通っているところがあった。

マグルトンは依頼人を護るべく、小屋を抜け出そうとした。しかしいつの間にか扉は固く閉ざされており、どうしても脱出できなかった。外の二人は、マグルトンが見つめる窓の向こうを何度も通り過ぎた。そして銃声と水しぶきの音。ついにブルースが撃たれ、その死体が海へと投げ入れられたのだと、マグルトンは理解した。

しばらくしてマグルトンは小屋を出た。この港は特殊な作りで、見咎められずに外へは出られない。そこでマグルトンは、自身が見た追跡者について係りの者に尋ねたが、誰もその男を目撃していなかった。海は荒れており、とても泳いで逃げられる状態でもなかった。船もなく、男がどのように港から脱出したのか謎だった。

そして死体が引き揚げられた。それはマグルトンが見た追跡者。どうやら海へと飛び込み、溺れ死んだものと見られた。



最初にマグルトンの話を聞いたときから、ブラウン神父にはわかっていた。落ち着き払った人物よりも、身を隠すためにみすぼらしい服装に変装し、怯えのために挙動不審な人物のほうが、命を狙われている富豪の様子に相応しいと。

マグルトンが最初に見た、いかにも富豪然とした男こそがブルースの命を狙う従弟だった。そして第二の挙動不審な人物がブルースである。二人が小屋の周囲を回っていたために、マグルトンは追う者と追われる者を勘違いしたのだった。

港を出る犯人の目撃情報がなかったのは、マグルトンの並べた特徴が犯人のものではなく、被害者であるブルースのものだったからである。



思い込みを利用したトリック。円を描く追いかけっこは、どちらが追う者なのかわからない。

なぜマグルトンが小屋に閉じ込められることになったのか、不明。ブルースが身を護るために雇った探偵の存在に従弟が気づいていたなら、彼はブルースを殺してもすぐに殺人犯として追われることになり、経済的な利益は得られそうもない。誰であろうともブルース殺害の邪魔されたくなかっただけとも考えられるが、どっちにしろ小屋の中にマグルトンがいることを従弟は知っていたということになる。ならば窓の外を何度も通過したのは、その姿を目撃されても構わないということになり、自身が殺人犯であることを隠そうとすらしていなかったとなる。完全に自暴自棄の殺人?

マグルトンを小屋に閉じ込めるつもりだったとなると、従弟は小屋やその周辺についても詳しいように思われるが、そんな場所を最も安全な場所と考えたブルースっていったい…。何のために小屋の周囲を追い掛け回したのかもわかんないなぁ。小屋に入るのを待って、その後に閉じ込めてしまうだけでどうにでもできそうな気がするが。

こういうツッコミを入れつつも、「そんなのはまあいいか」となるのがチェスタトンの寓話的世界w



「何しろ口論のほかには行き着く先のない質問で盛んに私を突っつき回すのですから」




「共産主義者の犯罪」
ギデオン・P・ヘイク:百万長者のアメリカ人
フォン・ツインメルン:ドイツの伯爵, 大資産家
クレイクン:共産主義者
ウォッダム:化学の講座を受け持つ教授
バイルズ:ローマ史の講師
ベイカー:会計主任
マンデヴィル・カレッジの学長
ブレイク博士:警察医



マンデヴィル・カレッジに寄付をしようと見学をしていた二人の富豪が毒殺された。彼らはその死の直前に葉巻を吸いかけていたらしいが、その葉巻に毒物は入っていなかった。

容疑者として捕まったのは、共産主義者のクレイクンだった。彼は毒が付着したマッチを所持していた。

その少し前、ブラウン神父は共産主義的な習慣が広まっていることについて何やら話していた。



ビジネスに長けた二名の金持ちは、学内を見て回るとすぐに会計処理の不正に気づいた。それをその当事者が傍観することは、自身の身の破滅を意味していた。

ブラウン神父が話した共産主義的な習慣というのは、まるでそれが共有財産であるかのように、他人のマッチ箱を自分のポケットの中に収めてしまうことだった。それは気にも留めない行動なので、そのマッチ箱はどこで入手したものなのか、所持している本人さえも覚えていないのだ。

クレイクンの持つマッチ箱は、ベイカーの手から渡ったものだった。



トリックは面白いが、細部の処理はわりといいい加減。それをなんとなく誤魔化してしまうのがこの作者の力w

犯人にとっては切羽詰まっての犯行なのだろうが、成功の確実性は低いだろう。



「あなたがたが考えなしに受け入れているのは資本主義のほうです。と言うよりも、変装した資本主義の悪がそれです。それもまた共産主義に一歩の引けも取らぬ異端説なのです」




「ピンの意味」
ステインズ卿:建築会社の経営者
ヒューバート・サンド卿:その共同経営者
サンド夫人:ヒューバートの妻
ヘンリー・サンド:ヒューバートの甥
ルーパート・レイ:秘書
ジャクソン:探偵
マスティク:非組合員の団体のリーダー



工事現場のハンマーの音が鳴り響き、それで毎日早朝に睡眠を妨害されるのは決して心地良いものではない。しかしそれは教会の鐘の音で目を覚ますのと同じようなものだと思うことで、ブラウン神父は自身の心を慰めた。


その工事を行う建築会社の労働争議は激しくなるばかりだった。そしてついには、要求を受け入れなければ殺すという脅迫状が、会社の経営者であるヒューバート卿に送られる事態となった。ヒューバート卿は臆病を最も嫌う人物なので、それまでは多少なりとも労働者たちに示していた同情を抑え、即座に彼らを締め出した。そして、ヒューバート卿は姿を消した。

その日以来、例の工事現場の部屋に、ヒューバート卿の共同経営者のステインズ卿が住み込んだ。

ところでその朝、ブラウン神父は珍しく寝過ごしたような気がした。実際のところ、それは大した時間ではなかったのだが、目を覚ましかけ、再び眠ってしまったのである。


川のそばにヒューバート卿の服が置かれていた。彼は泳ぎが好きで、毎朝のようにこの川で泳いでいた。いつもと様子が違うのは、そのそばの木に書き置きが刻まれていたことだった。

「あと一泳ぎだけ。それで溺れ死ぬ。さようなら。ヒューバート・サンド」

置かれた服をいじっていたブラウン神父は指に痛みを感じた。服を綴じ合わせていたピンで指を刺したのだった。

ピンで服が綴じ合わされていたのだから、これはヒューバート卿が着ていた服ではなく、着る前に置かれた服である。そして木に刻まれた文字は筆跡鑑定には不向き。この証拠品を残したのは、ヒューバート卿ではなく別人と考えられる。彼が自殺したと見做すことはできなかった。

ヒューバート卿には脅迫状が送られていた。そんな状況で彼が姿を消せば、当然殺されたと疑われる。ところが次に自殺の偽装が行われた。もしこれらが同一人物の手によるものなら、なぜ一方で殺人と見せようとし、もう一方で自殺と見せようとしたのだろうか?



ヒューバート卿を知る者なら、脅迫状がどのような効果をもたらすのかわかっていた。彼は脅迫に屈するような性格ではなく、逆に反発して強硬な態度に出るのだ。その結果が労働者の締め出しだった。犯人は工事現場から人を追い出したかったのだ。

犯人は工事現場の部屋でヒューバート卿を殺害し、床下にその死体を埋め込んだ。工事が続いていたら、作業員が部屋の変化にすぐに気づいてしまうだろう。

犯人の大工仕事は早朝に行われた。ブラウン神父はその音で目覚めかけ、――工事は中断されていたのだから、ハンマーの音が聞こえるはずもないのに――いつもの習慣で特に気にもせずに再び眠ってしまったのだった。


ステインズ卿が工事現場に住み込んだのは、工事の不正の事実を掴み、それに絡んでヒューバート卿が殺害されたと睨んだため。死体を隠した部屋に入り込まれたのだから、犯人は慌てた。そこで注意を逸らすために、今度は自殺説を作り上げたのだ。


ヒューバート卿の甥はすぐに捕まった。



題名にある「ピン」は、物語の本筋ではあまり大きな意味はなくて、それに絡めた言葉遊びらしき一文も、ネイティヴ・スピーカーではない、ごく普通の日本人の僕にはまったく“ピン”と来ないw

工事現場に死体を隠すというのはベタなネタ(当時はどうだったか知らんけど)だが、そのための予備的な工作が面白い。



「そもそも家の工事が完成してしまうというのは残念だ。あのおとぎの国に見られるようなほっそりとした白木の足場があると、建物はいかにも新鮮で希望に溢れて見える。ところが人間というやつは家を完成したときには、それを墓場に変えてしまっていることが多い」

「川というのは架空の死体を隠すには絶好な場所です。実在の死体を隠すには不向きだ」





「とけない問題」
フラッド夫人:被害者の孫
オスカー・フラッド博士:その義弟
ダン:庭師
“虎のティローヌ”:大物犯罪者



ブラウン神父は電話で話すよりも直接会って話すほうを好んでいたが、その日は朝から多くの電話に悩まされた。その中の一人の女は結局3度も電話してきたのだが、最初はしどろもどろに某ホテルに来てほしいと言い、次には用はなくなりました、そして最後にはやっぱり用があるですと言い出す始末。そんな電話との戦いは、昔からの友人であるフランボウからの電話でようやく終わりを告げた。フランボウは宝物を護るために修道院に行くことになったので、ブラウン神父にも同行を願ったのだ。

さっそくやって来たフランボウはブラウン神父を連れ、車で修道院へと向かって出発した。ところがその途上にある家で、奇怪な事件に遭遇した。木に首をくくって吊るされた老人の死体の胴には剣が突き立てられ、その周囲には奇妙な足跡が残されていた。剣が刺さった傷口の状態からは、彼がその剣で命を奪われたのではないことが表現され、首に巻かれた綱からは、彼が首を絞められて殺されたのではないことが見て取れた。

老人の寝室を調べてみて、ブラウン神父は彼がカトリックである――あるいは、以前はそうであった――ことを確信した。そんなときにフランボウはと言えば、もっと実際的な手掛かりに目を付けていた。水の入った瓶のそばに置かれた盆の上に、怪しげな丸薬を見つけたのだった。

時間は掛かるかもしれないが、これで死因ははっきりするだろうと考えるフランボウに対し、ブラウン神父は別のことを考えていた。ここからすぐに立ち去ろうと、ブラウン神父はフランボウに促した。



急いで修道院に辿り着いた甲斐があって、フランボウは見事に“虎のティローヌ”の襲撃を阻止した。


奇怪な事件の死体は自然死だった。その老人の孫である女は、祖父が死にかけているので神父を呼び、祖父が死んでしまったのでそれをキャンセルし、夫である“虎のティローヌ”が良いアイデアを思いついたので再び神父を呼ぼうとしたのだ。良いアイデアとは、奇怪な事件を作り上げて、ブラウン神父やフランボウをそこに釘づけにすることだった。その間に悠々と修道院の宝物を奪い去るつもりだったのである。



多すぎるほどに奇妙な手掛かりがばら撒かれた事件。それもそのはず、それはフランボウたちを惑わすための偽の手掛かりだった。


初期のミステリでは、犯人が警察の捜査を誤った方向へと誘導するための偽の手掛かりを残し、それを名探偵が見破るというパターンが多かった。つまり偽の手掛かりはあくまでも平均的な相手を対象にしているもので、突出した天才探偵はそれを容易に見破る。

ところが時代が進むと、犯人が名探偵という特定の相手を意識した偽の手掛かりを残すパターンも生まれた。名探偵の考え方を研究し、そのさらに裏を掻く、あるいは誘導するために、意図的に名探偵好みの奇妙な手掛かりを残し始めたのだ。

本作はその原型とも取れる。“虎のティローヌ”はブラウン神父とフランボウの存在を意識した上で、彼ら好みの状況を作り上げている。

兎にも角にも、フランボウの久々に登場が嬉しい。



「ある人たちは信じてる。この謎もまた解けえぬ問題であることを。そして他の人たちはそれに劣らぬ確信をもって信じている。それには一つの解決があるのみだということを」




「村の吸血鬼」
マルボロウ博士:ブラウン神父の旧知の医師
マルトラヴァース夫人:<穀倉(グレンジ)>と呼ばれる家の住人
マルトラヴァース氏:その殺された夫
サミュエル・ホーナー師:牧師
ハーレル・ホーナー:その息子, 詩人
“火の鳥フィッツジェラルド”:役者
カーヴァー:弁護士
カーステアーズ・キャルー:村の女



マルトラヴァースという役者が、立ち寄った村で殺された。死の直前に彼は道端で何やら口論しているのを目撃されており、その際に彼が吐き捨てた「惨めでちっぽけな村」などという言葉を村人は覚えていた。となると、これはどうも村の血気盛んな若者の誰かが、村への侮辱に耐えかね、愛郷心に駆られて役者を殴りつけたものと見える。マルトラヴァースは撲殺されたと断定されたが、その犯人が誰なのかは結局判明しなかった。

それから1年以上が経った頃、新たな医師が村を受け持つことになった。するとこの医師マルボロウは、マルトラヴァースの死因に不審な点があることに気づいた。後にその疑惑は確かめられ、死因は毒殺であったことが判明するのだが、その前に彼は知人のブラウン神父に相談していたのだった。

現在の村の興味の中心はマルトラヴァース夫人だった。彼女は殺人事件現場近くの家に住み着いているのみならず、その被害者であるマルトラヴァースの後家だったからである。人付き合いもせず、独り閉じ篭って暮らしている後家。さらに女優で、美しいよそ者などなれば、村人にとってはそれだけでも充分にスキャンダラスな存在で、非論理的なことに、彼女は若い男をたぶらかす妖婦だなどとも噂されていた。

そんな彼女に対して、サミュエル牧師が旧弊なこの村の中でも最も冷たい一人であるのはごく自然の成り行きであるが、恐ろしいことにその息子ハーレルは明らかに彼女に惹かれており、それがさらに牧師の態度を硬化させるのだった。サミュエル牧師は良心が咎めるとして、女優などという者とは会おうとさえしなかった。ブラウン神父と面会したサミュエル牧師の態度は愛想の良いもので、素晴らしく上質のワインとともに歓迎の意を示したが、マルトラヴァース夫人に対する評価だけは断固として変えようとしなかった。

村でのハーレルの評判はあまり芳しくない。村の者たちにとっては詩人などというのは胡散臭いものであり、いくら成功し、批評家から賞賛されていてもそれは変わらないのだ。そして彼らが問題にするのは、ハーレルが息子としての義務を充分に果たしているだろうかということだった。なるほど確かに経済的には充分以上にその役目を果たしているかもしれない。しかし彼の父親に対する態度は、村人たちからすれば充分とは言えず、彼を機械的で優等生ぶった模範的息子としか見做せなかったのである。



マルトラヴァースは撲殺されたのではなく、毒殺されたのだとブラウン神父が村人たちに明かすと、突然にハーレルは父親を殴り倒した。驚く村人たちに向かってブラウン神父は語った。ハーレルは自分の父親ではなく、自分を恐喝していた毒殺犯に一撃を加えたのだと。


マルトラヴァースが死んだ日、彼とハーレル、そして別の役者たちとで口論をしていた。それは「ちっぽけな村(hamlet)」についてではなく、「ハムレット(Hamlet)」の配役についてのものだった。それは激しさを増し、結果的には、喧嘩っ早さには定評のあるマルトラヴァースをハーレルが殴り倒してしまうことになった。そのためにハーレルは自分がマルトラヴァースを殺してしまったと思い込んでしまったが、実際にはその後に別の役者が彼を毒殺したのである。そうとは知らずにハーレルは、父親に扮したその役者に唯々諾々と恐喝され続けていた。

牧師がマルトラヴァース夫人と会おうとしなかったのは、役者仲間である彼女に自身の正体を見破られることを恐れたからだった。



偏見に満ちた閉鎖的な村での出来事。表面的には信仰深いながらも、真なるキリスト者の象徴たるブラウン神父の思想とは掛け離れた者たちというのは、作者が繰り返し描いてきた構図。

題名は実に直接的に真相を暗示するもので、犯人はまさしく生き血をすする吸血鬼のような存在。

事件の真相からすると、昔から村にいたハーレルの本当の父親を排除して成り代わったようでもないし、牧師が村に居着いたと村人たちが認識したのは、マルトラヴァース死亡後のことだろう。しかしそこは2万8千年も前から住み着いているような顔をした者たちがのさばる村。村に居着いてまだ1年などという牧師にしては、ちと信用されすぎではないか。



「この夫人もまた自分と同じ教会に属しているという事実のみから彼女は潔白であると推論するほど、ブラウン神父は非論理的ではなかった。自分の属する古い教会だって何人かの傑出した毒殺者を擁していたと誇れるのだということは先刻承知だった」
ヨギ・ガンジー・シリーズ。謎の本「しあわせの書」。宗教団体の後継者争い。断食行で衰えぬ女。[???]

ガンジー:ヨーガの行者
参王不動丸:ガンジーの弟子
本多美保子:同

桂葉華聖:本名は桂葉クマ, 宗教団体<惟霊講会>の教祖, 「しあわせの書」の著者
清林寺忠茂:<惟霊講会>の信徒, 位階は日聖, 華聖の孫, 後継候補者
力井福之助:<惟霊講会>の信徒, 位階は月聖
端姉:<惟霊講会>の信徒, 位階は日導, 後継者候補
鷹狩勝道:<惟霊講会>の信徒, 位階は月聖, 発行局長
美鳥那那:<惟霊講会>の信徒, 位階は星聖, 航空機事故で死んだ歌手
六郷藍子:<惟霊講会>の信徒, 位階は月覚, 大火事で焼死した女,
胡泉瑠璃子:<惟霊講会>の信徒, 病死
小豊田信江:<惟霊講会>の信徒, おしゃべり, 肥っている, 蒸発
塩田影兵衛:<惟霊講会>の信徒, 全財産を持ち歩く老人
海尻五郎:瑠璃子と親しい間柄
卯吉:<日一天会>の断食行での食事の支度係

水の行者:華聖の霊能力の師匠
シナ:華聖の母
宝町数芳:水産業界の傑物, 華聖の信奉者
高原働一郎:藍子の兄
竹島新二:民放のアナウンサー
赤染明子:テレビのレポーター
山本黒静夫:心霊研究家



航空機事故で死亡したはずの歌手・美鳥那那が目撃された。彼女は<惟霊講会>という宗教団体の信徒だが、その会にはほかにも目撃された死者がいるのだった。その会と関わりのある「しあわせの書」を入手したガンジー先生は、弟子の二人とともにその内部に入り込み、後継者を決める断食行の指導を依頼されることになった。

参加者はガンジーたちのほかに8名で、その中の2名が後継候補者。その一方である教祖の孫は日に日に消耗していくが、もう一方である美しき女はそんな気配すら見せなかった。


※以下反転表示部のネタバレ注意。



奇術師でもある作者らしい作品で、良くも悪くもトリック小説という感じ。どうも物足りなさも否めないが、最後の謎が明かされて感心はしたし、話は面白く読めた。「絶対に謎を解いてやるぞ!」と肩肘張らずに、ギャグ漫画みたいな表紙の印象通りに気楽に読むべしw

物足りなさの理由の一つは“事件”がはっきりしないまま物語が進行していくこと。謎が曖昧で、興味の焦点がぼやけてしまう。

冒頭には、「未読の人に『しあわせの書』の秘密を明かさないでください」と書かれている。ミステリはどれもその真相を未読の人に明かすべきじゃないが、これは特にその通り。読者の幸せのためには、確かに明かすべきではないねー。勘の良い人ならすぐに気づいちゃうかもだけど、それはそれで嬉しいw それは事件の本筋とは関係ない部分だから、気づいてもつまらなくなることはないだろう。


広く複雑な講堂内部でやけにあっさりと幹部の部屋まで辿り着いたり、美保子が「しあわせの書」を手放す羽目になってしまったりと、犯人は序盤からあからさまに怪しいが、裏を返せば作者は読者のための手掛かりや伏線をきちんと書いているということw 伏線として張られたダイエットの話や、粥を食べ始めても体力が回復しないという手掛かり、断食行での私語禁止によるトリックなんてのが印象に残る。

断食でどのように栄養を確保するかというのが犯人のトリック。でもなぁ、食料ならその辺の野草を食べるとかできそうだけど。ユキノシタが群生してるなんて書かれてるし。真相からすると、単純に食料を隠しておくことだって充分にできそう。



[序] 華聖は実の孫の清林寺日聖を<惟霊講会>の後継者として望んでいるが、彼は小心者な上に放蕩も目立つ。悩んだ末、霊能力に優れた日導と彼の両者に試練を与えることにする。「「しあわせの書」は素人臭い作りで、同じ言葉なのに別の書き方との混用も目立つ。クマは幼い頃に二人連れの読心術の見世物に強い興味を示し、その才能を開花させた。端姉日導は自分の能力を華聖に示すために、『しあわせの書』を用いた。華聖が選んだページに銀のペーパーナイフを差し入れ、端姉日導はそれを華聖に向けて開く。華聖はその見開きページの最初の単語を記憶し、端姉日導はその単語を当てた」
[一] 恐山大祭。「口寄せの対象者の中に<惟霊講会>の信徒。清林寺が帰省中に山の崩落に巻き込まれ、一家六人とともに死亡」
[二] 高原に請われ、ガンジーが藍子について占う。ガンジー、「しあわせの書」を入手する。「藍子は<惟霊講会>にのめり込んでいた」
[三] ガンジー、<惟霊講会>の信徒の死に不審を抱く。「しあわせの書」に仕込まれたトリックを見出す。「死んだはずの那那らしき人物が目撃され、その写真が週刊誌に掲載される。藍子も那那も清林寺もその死体は確認されていない」
[四] 美保子、<惟霊講会>の美術館で胡泉瑠璃子と出会い、「しあわせの書」を入手する。受付でカードに名前など、必要事項を記入する。信徒の中に紛れ込む。「ヤセールというノンカロリーの米。小豊田という信者が蒸発している」
[五] <惟霊講会>での噂話。美保子、塩田と知り合う。清林寺の死後の目撃情報。
[六] 美保子、海尻という男に偽信者と見破られる。彼は自身も偽信者だと明かし、彼が親しかった瑠璃子という女が死に、その彼女が<惟霊講会>の信徒だったので、調べている。美保子は先ほど会った瑠璃子のことを話す。「海尻は美保子が潜入した目的などを訊き出した。海尻は通夜で瑠璃子の死に顔まで見た」
[七] 美保子と海尻は美術館で瑠璃子を捜す。海尻は瑠璃子が端姉日導ではないかと考えている。「店員は、瑠璃子は半年前に死んだと言う。『しあわせの書』が<惟霊講会>の出版物であることも否定。美保子が記入したカードがない。端姉日導は本名不詳で、信徒の大多数が彼女を知らない」
[八] 美保子、海尻に連れられて、どこにいるのかもわからない華聖に会うために建物のさらに奥へと侵入。複雑な建物内をひたすら進んで行く。エレベーターで幹部の鷹狩の部屋へ。近くの部屋から男女が交わる声。美保子、勘を頼りに進む海尻に付いて行く。誰何の声。二人は離れ離れになる。美保子、警備員と遭遇。「海尻はヘビースモーカー。鷹狩の部屋で煙草入れを見つけると、耐え切れずにそこから一本取って吸い始めた。鷹狩の部屋にあったメモ。『胡泉瑠璃子(死亡)、美鳥那那(死亡)、六郷藍子(死亡)、清林寺忠茂(死亡)、小豊田信江(脱会)、鷹狩勝道(脱会)、力井福之助(脱会)』海尻、美保子がどうして『しあわせの書』の存在を知ったのか尋ねる。美保子、『しあわせの書』を彼に渡す。誰何した警備員を美保子は見ていない」
[九] 美保子、警備員に捕えられる。ガンジーと不動丸も捕まっている。彼らは華聖のもとへ案内される。「美保子は『しあわせの書』を海尻に渡したまま」
[十] 力井の先ほどの行動を種に彼を脅したらしく、海尻は警備員の付き添いもなく姿を現す。ガンジー、華聖から後継者を決める断食行の指導を依頼され、それを引き受ける。「海尻は、瑠璃子との関係など、彼については口にしないように美保子に頼み、部屋を出る」
[十一] 力井は清林寺に肩入れしている。ガンジーたちは端姉日導が瑠璃子であることを知らされる。「断食行は人里離れた空き家で行う。力井は鷹狩に勧められて断食行に参加することになった。ガンジーたちの存在を華聖に伝えたのは鷹狩」
[十二] 「しあわせの書」についての調査。「断食行は形式的には<日一天会>という集まりとして行う。『しあわせの書』は<惟霊講会>の出版局が正規に製作したものではなく、自費出版で作られたもの。出版社に原稿を持ってきたのはアルバイトだという肥った中年女性。依頼者は不明。出版社は行数や字詰め、不適当な文字使いに至るまで、すべて依頼者の指示通りに作った。使用した紙も依頼者が持ち込んだ、厚手の和紙と洋紙の中間のような特殊なもの。ガンジーや美保子のものは、普通の紙の見本刷り」
[十三] 海尻は、できれば瑠璃子を教祖になどしたくないと、彼女が負けるようになるべく手心を加えるようにとガンジーに頼み、自身も<日一天会>に参加する。「断食行では酒も煙草も私語も禁止。名前を呼び合うことも避けられ、全員が番号札を付けることになっている」
[十四] <日一天会>にはメモに名が書かれた者たちが全員参加し、総勢8名。断食行の開始。最初の3日間は粥を食し、以降は水だけの断食に以降。「形式的には参加者は全員<惟霊講会>を脱会するなど、そちらとは無関係な扱い。馬舎に置かれた袋の中に厚手の「しあわせの書」が数十冊入っている」
[十五] 無言に耐え切れなくなった小豊田が美保子に話しかけてくる。海尻は禁煙が堪えている。瑠璃子への想いを口にしつつも、彼は美保子にも好意を示す。瑠璃子の身持ちは堅くはないと知っている様子。不動丸は瑠璃子に片想い。「小豊田は鷹狩と結婚の約束をしている。瑠璃子は日毎に麗しくなっていく」
[十六] 瑠璃子と力井は、行の最中だというのに肉体関係を結んでいる。彼女の声は美保子がかつて力井の部屋から聞いた声。「体力を消耗しているはずの瑠璃子だが、まったくそんな様子は見せない。密かな摂食が疑われるが、参加者の所持品に食物はない」
[十七] 行は終盤。美保子、鷹狩は瑠璃子と深い仲なのだと気づいたと、小豊田から聞かされる。美保子の目には、そんな様子は見えない。力井と小豊田は脱落。清林寺も断食の中止を言い渡され、粥の生活に入る。小豊田は那那と藍子から、この行によって「セイー隊」になるのだと聞かされる。美保子、「しあわせの書」をうっかり清水の流れに落とし、なくしてしまうが、後に戻る。「脱落者たちは粥食を再開したが、回復が遅い。馬舎の『しあわせの書』の数は半分ほどに減っている」
[十八] ガンジー、瑠璃子をルール違反で失格とし、清林寺の勝利を宣告。<日一天会>の真相を明かす。体力を回復した不動丸が陰謀の張本人を打ち据える。「粥に使われた米は通常のものではなく、ノンカロリーのもの。それを食してもいずれ餓死する。『セイー隊』は『聖遺体』。『日一天会』を縦書きにして、線を二本加えれば、『昇天会』となる。『しあわせの書』は栄養価の高い、食べられる本。美保子が鷹狩と思い込んでいた人物は『土屋握』という別人。本物の鷹狩の昔のペンネームは海尻。鷹狩は瑠璃子を教祖に据えての、<惟霊講会>の乗っ取りを狙っていた。力井は会の内部で力を持っている。小豊田は、結婚を迫ってくる。藍子と那那と土屋はその信仰が過激で、会の致命傷になりかねない。清林寺は瑠璃子を教祖にするには最大の障害。それぞれが乗っ取り計画には邪魔な存在だった。<日一天会>とは、<惟霊講会>とは無関係な団体の集団自殺として処理する隠れ蓑だった」
[十九] 土屋は会の内部を密かに探っていた記者だった。ガンジー、「しあわせの書」のもう一つのトリックを明かす。
ギディオン・フェル博士シリーズの長編第6作。外から扉は見張られ、窓の外にはまっさらな雪が積もる書斎で撃たれた男。そのすぐ後に、近くの通りで至近距離から撃たれた別の男。二人は兄弟と見られている。「三つの棺」にまつわる過去の因縁。作品の内容以上に有名な“密室講義”。[???]

シャルル・ヴェルネー・グリモー:教授
ロゼット・グリモー:シャルルの娘
スチュアート・ミルズ:シャルルの秘書
エルネスチーヌ・デュモン:グリモー家の家政婦
ヒューバート・ドレイマン:グリモー家の蔵書管理の居候
アニイ:メイド
アンソニイ・ペチス:怪談蒐集家
ボイド・マンガン:新聞記者
ジェローム・バーナビイ:芸術家
ピエール・フレイ:奇術師
ジョン・L・サリヴァン・オローク:軽業師

フェル博士:名探偵
テッド・ランポール:フェル博士の友人
ドロシイ・ランポール:テッドの妻
ハドレイ:警視
ベッツ:巡査部長
プレストン:同, 家宅捜索が得意
サマズ:警官
E・H・ピータースン:医師

ジェス・ショート:カリオストロ街事件の証人
R・G・ブラックウィン:同
ヘンリイ・ウィザース:同, 巡査
M・R・ジェンキンズ:同, 医師
アイザックスタイン:劇場の支配人
ジェイムズ・ドルバーマン:フレイの下宿先の主, 煙草屋兼新聞販売店主



グリモー教授が仲間たちと歓談していると、そこにフレイと名乗る奇術師がやって来た。彼は意味ありげに「三つの棺」「危険な弟」などについて語り、去って行った。表面上はそれを何かの冗談だと笑い飛ばすグリモーだったが、その顔は青ざめていた。実際にその後の彼は、フレイが口にした「危険な弟」の訪問から身を守るためだと言って絵画を購入するなど、奇妙な振る舞いを示したのだった。

ある夜、グリモーの家を仮面の男が訪れ、グリモーが待つ書斎に入った。その訪問は予定されていたもので、その客とグリモーが面会する書斎を外から見張っておくようにと、グリモーは秘書に命じていた。秘書はその通りにし、仮面の男がやって来たときも、書斎の扉が開いて彼がグリモーと顔を合わせたときも、扉が閉じてから銃声を聞き、ハドレイ警視がやって来たときも、片時も扉とその前のホールから目を離さなかった。

書斎の中には撃たれたグリモーが倒れていた。まだ息があったが、瀕死の状態だった。部屋には扉は一つしかなく、ほかに出入りできそうなところと言えば窓しかない。しかし窓の外には先ほど止んだばかりの雪が積もっており、足跡を含め、何の痕跡もなかった。

グリモーの傷からは自殺とは考えられない。そしてそれを裏付けるように、彼の周囲に凶器の銃は見当たらなかった。


頭を抱えるハドレイ警視に別の事件の報告が入った。事件現場はグリモーの家の近くのカリオストロ街。その通りで男が撃たれたというものだった。男は至近距離から撃たれていたが、銃声の直後に彼を目撃した者たちは誰もそのそばに人の姿を見ていない。雪の上には彼の足跡しか残っていなかった。どうやら彼が撃たれたのは、グリモーが撃たれてから15分ほど後のことらしい。その二つの事件には繋がりが感じられた。


※以下反転表示部のネタバレ注意。



過去の因縁話を含めたオカルト要素に、印象的なトリック。各章の最後に配置された、次章への興味を引っ張る鋭い一文。「第一の棺 学者の書斎の問題」「第二の棺 カリオストロ街の問題」「第三の棺 七つの塔の問題」と、読者に理解しやすく区切った構成。そしてかの有名な「密室講義」。まさにカーの代表作に相応しい。

“密室講義”にはまるごと一章が割かれている。これは事件の真相について読者に示唆を与える部分はあるが、まったく独立した一編であり、フェル博士自身の口から、興味のない者は飛ばしてもらって結構という台詞まで吐かせている。その際に彼は、「われわれは推理小説の中にいる人物であり、そうでないふりをして読者をバカにするわけにはいかない」「手の込んだ口実をつくり出して、推理小説の議論に引きずり込むのはやめよう」と告白している。

つまりフェル博士は、自分たちは実在の人物ではなく、原稿用紙に書かれた登場人物にすぎないと自覚していると言っているわけで、これはたとえば登場人物が読者に話しかける、ギャグ漫画によくあるメタ表現。

作中で推理小説における密室についての講義を行うなどという行為に必然性があるかのような、もっともらしい説明をこねくり回すことを放棄し、これは事件に関係あろうがなかろうが、作者がやりたいからやるのだと宣言するのは潔いw

これは多くの者に感銘を与えており、江戸川乱歩もその中の一人。彼は翻訳の拙さが印象を悪くしていると前置きしつつも、作品自体の評価はベストから一段下げているが、この「密室講義」に刺激を受けて、古今のトリックを分類した「トリック論」の執筆に着手している。カーはその中で具体的な作品名に触れるのは最小限に留めているが、推理小説を多く読んだ者ならニヤリとするような多くのエッセンスが詰め込まれている。もちろんそこには彼自身の作品で使用されたトリックも含まれている。

密室トリックについても面白いが、作者がフェル博士の口を借りて、密室トリックが解明されると、手品の種明かしをされたときに「なんだそんなことだったのか」と失望するのと同様の感覚もあると告白したりするなど、彼の推理小説観が語られているのも興味深い。


作中でのグリモーの元々の計画は、フレイを彼の部屋で射殺し、彼の遺書のようにも見える書き置きと銃を残して部屋を出て、彼に変装して自宅の書斎に入り、死なない程度に自分を撃つというもの。後にフレイの死体が見つかれば、グリモーの家にやって来た彼がグリモーを撃ち、窓から逃げて自室で自殺したように偽装できる。

ところが想定外の事態で計画は大きく逸れてしまう。第一に、天気予報が外れ、雪が降り、そして止んでしまったこと。そのせいで、窓からフレイが逃げたように見せかけられなくなってしまった。第二に、フレイが即死しなかったこと。グリモーが立ち去った後、フレイは部屋を出て、治療のために医師のもとへと向かった。グリモーは近くの潜伏場所に潜んでいたが、そこから表の様子を探ろうとした際にたまたまフレイと遭遇し、撃たれてしまった。この時点でもう計画はすっかり狂ってしまったが、グリモーは一縷の望みを掛け、自宅へと戻って予定された計画を進行させた。それが彼がまったく意図しない不可能状況を作り出してしまう。

まあ、偶然が都合良すぎると言えばその通りだろう。たまたま宝石店の時計が狂っていて、目撃者が時刻を勘違いしたなんてのもツッコミたくもなろう。二人が撃たれた順序を誤認させるというのがこのトリックの要だし。

鏡のトリックも相当練習しないと厳しい気が。ミルズが仮面の男を背の高い人物と勘違いしたのは、ミルズの視点のせいで、鏡に映った映像とその前の本人との身長を錯覚したってのはいいとしても、ミルズはそれ以前にデュモンと男が並んでいるのも目撃しているはず。そこに違和感を感じないものか。

鏡と言えば、それを暖炉に隠したってのもなぁ。暖炉の横幅は広いと書かれているから、人の身長ほどの高さがある大きな鏡といえども入らないことはないだろうけど、それをどうやって警察に見つからない程度に隠したのか、どうもよくわからない。煙突の穴は拳が入るか入らないか程度のものとされており、その手前の出っ張った曲がり角に乗せておいただけとのことだが、まったくその映像が浮かばないw グリモーの計画では、フレイが窓から脱出したと見せかけるはずだったのだから、隠し場所としてはその程度で充分かもしれない。しかし結果的に密室殺人となってしまい、秘密の抜け穴でもあるのではと、徹底的に部屋を捜索したはずなのに鏡を発見できなかった警察の捜査には大いに問題がある。こんな杜撰な調査では、たとえ秘密の抜け穴があっても気づかないのでは。


登場人物のランポールとドロシイは、フェル博士初登場作の「魔女の隠れ家」で知り合い、結婚した二人。そちらと比較すると、いかにも結婚前/結婚後という感じで可笑しいw


二階堂黎人のエッセイを読んで、新訳のトリック部分に致命的な翻訳ミスがある(今はもう直したらしい)というのは知っていた。僕の持っているのもその誤訳版で、兄を指しているのに「弟」となっていたり、発砲してないのに発砲したことになっていたりする。前者は「brother」を安易に訳してしまったのだろう。これは事実としては「兄」が正しいのだが、作中では弟を指すようにミスリーディングしている部分。素直に訳すと、ネタが読者にバレバレになってしまう。そこで「兄」とも「弟」とも取れるように「兄弟」にしたらしい。



[[第一の棺 学者の書斎の問題]]
[1 脅迫] グリモーたちが集う、恒例のウォーリック酒場の会合での出来事。フレイと名乗る見知らぬ男が現れる。彼は「三つの棺」という言葉を口にし、グリモーは彼の「弟」の訪問を受けることになる。「グリモーは体格はさほど大きくないが、強力な肉体的スタミナの持ち主。神秘的で魔術的な話を好むが、興味の中心はその謎を合理的に解き明かすことにある。生きたまま埋葬される話。グリモーを含めた親しい仲間たちの恒例の集いに、奇術師のフレイと名乗る男が乱入。“三つの棺”や彼自身にとっても“危険な弟”など、謎めいた言葉を口にし、グリモーに対して何かをほのめかす」
[2 ドア] フェル博士たちのもとに、ランポールが仕入れた話を持ち込む。それによると、グリモーがフレイによって脅かされているという。グリモーは自分の身を守るために絵画を買い入れるなど、奇矯な振る舞いを始めている。皆でグリモーの家へ行ってみると、ちょうど事件の最初の山場だった。3階に上がり、グリモーがいる部屋の、内から施錠された扉を開けて、中に踏み込んでみると、肺を撃ち抜かれ、死にかけているグリモーの姿があった。「フレイは姿を消す出し物が得意な奇術師。グリモーはフレイの話を笑い飛ばしたが、内心怯えた様子だった。自分の身を守る手段と称して、自宅の壁に掛けるために友人のバーナビイの絵画を購入し、職人二人がかりで家に運び込ませた。グリモーの家に謎の男が訪問。マンガンは部屋に閉じ込められた。3階のホールは樫板の壁面に囲まれている。出入口右手にある書斎の扉には内側から鍵が掛かっており、その中に撃たれて瀕死のグリモーが見つかる」
[3 仮面] 生存を絶望視された瀕死状態のグリモーが医師に運ばれて行く。グリモーがいた部屋にはわずかに開いた窓があったが、その外には綺麗に雪が積もり、犯人の足跡も含め、何の痕跡もない。ミルズが経緯を語る。9時半に予定通りの来客があり、グリモーが部屋から顔を出した。客は仮面を被っていた。「犯人はフレイなのかとグリモーに問うと、首を振って否定。書斎は15フィート平方の部屋。絵画を飾るための空間として入口正面の壁の書棚は取り払われており、樫板の壁面がむき出しになっている。絵画はまだその脇に立てかけられており、ナイフが入れられ、横向きの2本の線が入っている。室内には薄く煙が残っている。ナイフも銃も見当たらない。窓は開いているが、その外には真新しい雪が積もり、何の痕跡もない。ミルズは背の高い仮面の男が書斎に入るのを見た。同時に中からグリモーも姿を見せている。ミルズは9時半になったら、書斎正面の部屋に入り、扉を開けたままにして、書斎を見張っているようにグリモーに命じられていた」
[4 不可能] デュモンも姿を現し、ミルズの証言を補完する。ミルズは書斎の扉をデュモンが閉めたような印象を受けたが、彼女はそれを否定。彼女は暖炉を気にしている。「デュモンはミルズの証言を裏付ける。謎の男が書斎に入ったのは9時50分。銃声を聞いたのは10時10分。3階の見取り図。ホールは階下からの明かりに照らされていたが、あまり明るくはなかった」
[5 ジグ・ソー・ワーズ] フェル博士がデュモンに「七つの塔」「埋葬された3人の人たち」といった、奇妙なことを尋ねる。瀕死のグリモーが口にした言葉について検討する。フェル博士、グリモーとフレイにもう一人を加えて、彼らが三兄弟であると述べる。「書斎には大きな暖炉があるが、煙突の穴は拳骨ほどの広さしかない。暖炉で書類が燃やされたような痕跡」
[6 七つの塔] フェル博士、「七つの塔」について解説。ロゼットとマンガンを尋問。
[7 ガイ・フォークスの訪問者] ロゼットとマンガンの尋問の続き。ハドレイ、犯人は雪が降り止む前から家の中に潜んでいたと推理。ロゼットは犯人が家の内部の者ならもっと簡単に説明がつくと指摘。ドレイマンが怪しいとほのめかす。「グリモーは、フレイの訪問を9時半頃と言っていたが、マンガンには10時過ぎに来るのではないかと言っていた。実際には訪問者はその中間、9時45分頃にやって来た」
[8 弾丸] 書斎には秘密の出入口はない。ミルズに尋ねても、ドレイマンのこの家での立場は不明。グリモー、死亡。犯人は自分の弟だ、どうやって部屋を脱出したのかはわからないと言い残す。「グリモーの最期の言葉。『やったのはわたしの弟だ。あいつが撃つなんて思いもしなかった。いったいどうしてあいつが部屋を抜け出したのかはわからない。一瞬、あいつはあそこにいたが、次の瞬間にはもういなくなった。弟が何者なのか話したい』」
[[第二の棺 カリオストロ街の問題]]
[9 割れて開く墓] ドレイマンの昔話。「グリモーは自身の墓から抜け出した男」
[10 コートについた血] ドレイマンはグリモーの弟たちは死んだと説明する。ドレイマンの服にはヒトの血痕が付いている。フェル博士はグリモーの弟たちの生存説を唱える。「グリモーの弟たちも、彼と同じように墓から脱出した可能性は否定できない」
[11 魔術による殺人] ランポールとドロシイによる、グリモー殺害事件の考察。カリオストロ街で殺人事件が発生。被害者はフレイ。至近距離から背中を撃たれているが、周囲の雪に犯人のものらしき足跡がない。現場はグリモーの家の近所。グリモーが撃たれてから15分ほど後の出来事と推定。「『二発目はお前にだ』という叫び声と銃声を聞いた者たちがそちらを見ると、ちょうどフレイが倒れるところだった。彼は至近距離から撃たれていたが、通りにはほかに人影も足跡もなかった。銃は彼から少し離れた所に落ちていた。目撃者はすぐそばにある診察室へ彼をすぐに運んだが、彼は助からなかった。目撃者の3人は、彼が撃たれたのはきっかり10時25分と証言している」
[12 画] ペチスの証言。事件当夜の自分の行動や、グリモーがバーナビイから絵画を入手した経緯などについて語る。「グリモーと彼の親しい者たちのほとんどは、特に事件当夜でもある土曜日の夜は決まりきった日常を送っている。グリモーはいつも11時まで仕事をしており、友人たちとの交際はそれ以降になる。バーナビイはクラブでポーカーに興じる。マンガンはロゼットと一緒にいる。ペチスは映画館や劇場へ行くことが多いが、いつもではない。謎の訪問者はペチスの振りをしたが、それは彼を知る者ならさほど難しいことではない。グリモーはバーナビイの絵画を購入した際、どうしても紙で包んで持ち帰ると言い張った。事件当夜、天気予報では雪は降らないとされていた」
[13 秘密の部屋] フェル博士たちによる、カリオストロ街の現場検証。フレイとその「弟」らしき怪しい人物を追っていたサマズと合流。その怪しい男の部屋の中には、奇術道具とも犯罪用道具とも見られるロープなどがある。サマズはその部屋の住人は「ジェローム・バーナビイ」と名乗る人物だと告げる。「フレイが倒れていた場所には宝石店があり、ショー・ウィンドーの中に時計が見える」
[14 教会の鐘の手掛かり] フェル博士たちがバーナビイの隠れ家の中で奇術について検討していると、当の彼がロゼットとともにやって来る。「バーナビイの隠れ家で、血痕とフレイのロープが見つかる。青い紙製のユニフォームを着た人物が、それを剥がして白い服の者たちに紛れ込むトリック」
[15 灯のついた窓] バーナビイは事件当夜にはこの部屋にいなかったと主張するが、ロゼットはこの部屋に明かりが点いているのを見たと話す。彼女はバーナビイからこの部屋の合鍵を預っていたが、一度も入ったことがなく、鍵もなくしてしまったという。バーナビイは室内の血痕やロープについては何も知らないという。グリモーから聞かされたという、彼の過去の秘密については、ドレイマンが語った内容とほぼ一致。グリモーの家の玄関のコート掛けに、血の付いた誰のものともわからぬコートが掛かっていたとロゼットは証言。「バーナビイの隠れ家の10時半の明かり。ドレイマンのコートの血痕は、コート掛けに掛けられていた別のコートから付着したもの」
[[第三の棺 七つの塔の問題]]
[16 カメレオンのオーバー] フレイの下宿先の主から、彼と接触していた男についての証言が得られる。その男は黄色いコートを着ていた。グリモーの家のコート掛けを調べると、誰のものか不明の黄色のコートは見つかったが、そのコートについて、各人の証言が異なっている。「フレイの周囲で目撃された黄色のコートの男。フレイから家主への書き置き。『わたしはわたしの墓へと帰る』 マンガンがグリモーの家を訪問したとき、黒のコートが掛かっていた。次にアニイがコート掛けを見たとき、そこにコートはなかった。ハドレイが証拠品として押収に来たら、黄色のコートが掛かっていた」
[17 密室の講義] フェル博士、推理小説における密室についての講義を行う。
[18 煙突] ドレイマンが何か思いついた様子で書斎に入り、何らかの発作を起こして倒れる。グリモー三兄弟の末弟は30年以上前に死んでいたことが判明。「ドレイマンはうわ言で『煙突』『花火』と口にしている」
[19 影なき男] ランポール、事件の日の時間表を作り、各人の行動について整理。ハドレイはペチスとバーナビイのアリバイが確認されたことを告げる。フェル博士、書斎の暖炉で燃やされた書類の文字を読み取る実験に成功。「『6時45分、マンガンが来て、黒のコートを見た。6時48分、アニイはコートがないのを見た。6時55分、デュモンが黄色のコートを見た。7時30分、ロゼットとマンガンは応接室へ。7時30分、ドレイマンは自室へ。7時30分、デュモンは家の中のどこかにいた。7時30分、グリモーは来客があるから9時30分に3階に来るように図書室のミルズに告げる。7時35分、グリモーが書斎へと向かう。7時35分から9時30分、特になし。9時30分、雪が止む。9時30分、デュモン書斎からコーヒーの盆を下げる。9時30分、ミルズは書斎正面の仕事部屋へ。9時45分、玄関のベルが鳴る。9時45分から9時50分、デュモンが玄関の客を出迎え、外に待たせたまま階上へ。9時45分から9時50分、客はどうやってか玄関を開けて中に入り、玄関脇の部屋の扉に鍵を掛けてロゼットとマンガンを閉じ込め、彼らの呼びかけにペチスの声色を使って応える。9時45分から9時50分、客が3階のホールでデュモンに追いつき、帽子を脱ぎ、書斎の扉が開いて、グリモーと対面し、室内へと飛び込み、扉は閉まる。9時50分から10時10分、ミルズは仕事部屋からホールを見張っており、デュモンは階段の踊り場から見張っている。10時10分、銃声。10時10分から10時12分、マンガンが閉じ込められていることに気づく。10時10分から10時12分、デュモンは気分が悪くなり、自室へ。10時10分から10時12分、マンガンが窓から飛び出す。10時12分、ランポールたちがグリモーの家に到着し、書斎へ。10時12分から10時15分、扉をプライヤーで開けると、中には撃たれたグリモー。10時15分から10時25分、救急車でグリモーとロゼットは病院へ向かう。10時25分、フレイがカリオストロ街で撃たれる。10時20分から10時30分、ミルズは書斎で尋問中。10時25分、デュモンが書斎に入って来る。10時30分、ロゼットが病院の窓から、バーナビイの隠れ家の明かりを見る。10時25分から10時40分、デュモンは書斎にいる。10時40分、ロゼットが病院から戻る。10時40分、警官たちが到着。』暖炉の書類には重要な文字は何もなかった」
[20 二発の弾丸] フェル博士、デュモンに告白を迫る。自身の推理を語り始める。「宝石店の時計の時刻がずれていたので、フレイが倒れた時刻を、目撃者たちは揃って勘違いしていた。フレイが倒れたのは10時25分ではなく、9時40分。フレイの書き置きは自殺を匂わせるものではあるが、単に部屋を引き払うというだけのもの。雪が降り、止んだのは、犯人にとっては想定外の出来事。それがなければ、グリモーを撃った男はシンプルに窓から脱出したと見做されるはずだった。フレイが撃たれたのは、通りではなく、自室。彼は手当てのために近所の医師のもとへ向かって歩いていた。その最中にたまたま自分を撃った人物と遭遇。相手に向けて発砲した。通りに響いた銃声はフレイではなく、その相手を撃った際のもの」
[21 事件の解明] 「銃弾を受けたグリモーは自宅に密かに入った。書斎の扉の近くには大きな鏡が置かれている。ホールの反対側から見ると、鏡に映ったホールの壁が、まるで書斎の奥の壁のように見える。ミルズが見た謎の男はグリモーによる変装。鏡に映った像と合わせて、そこに二人の男がいると錯覚した。グリモーが購入した絵画を紙で包ませたのは、その中に鏡を隠して運び込むため。鏡は使用後に暖炉の中に隠した。暖炉で燃えた書類は、グリモーが変装に使った紙製の衣装。書斎から聞こえた銃声はかんしゃく玉。コートの謎は、グリモーの不注意と、それを隠そうとした共犯者の手際によるもの。グリモーは計画が失敗し、自身の死を悟ると、その死の間際に真実を語っていた」