ヘンリー・メルヴェール卿シリーズの長編第6作。バーウィック・テラスの家に十客のティーカップが現れると書かれて奇妙な手紙。かつて同様の手紙が警察に届き、その指定先で死体が発見されたことがあったため、今回は警察は指定された家を外から見張らせ、内部にも警官を忍び込ませた。その家の一室に一人の男が入り、銃撃されて死んだ。部屋の扉と、外部へ唯一開いた窓は警官が見張っていた。被害者は至近距離から狙撃されたと断定されたが、室内にはほかに誰もおらず、逃亡する者も目撃されなかった。[???]
ヴァンス・キーティング:冒険好きの金持ちの青年
フィリップ・キーティング:その従兄弟, 株式仲買人
フランシス・ゲール:女性ゴルファー, ヴァンスの恋人
ロナルド(ロン)・ガードナー:ヴァンスの親友
アルフレッド・エドワード・バートレット:ヴァンスの従者
ホーキンズ:ヴァンスの給仕
ジェレミー(ジェム)・ダーウェント:バーウィック・テラスの前の住人, 老弁護士
ジャネット・ダーウェント:美貌のその妻
ベンジャミン・ソア:父親の跡を継いだ美術商
ウィリアム・モリス・ダートリー:ペンドラゴン・ガーデンズの住人, 最初の被害者
アラベラ:ダーウェント家の女中
アリス・バークハート:ジャネットの未婚の叔母
ラヴィニア・バークハート:同
ヘンリ・メルヴェール卿(H・M):イギリス政府高官, 犯罪捜査の天才
フォリオット:H・Mの秘書, “ロリポップ”
ハンフリー・マスターズ:ロンドン警視庁主席警部
ボブ・ポラード:部長刑事
コトリル:L分署の警部
ホリス:L分署の巡査部長
ポーター:警官
ライト:私服刑事
バンクス:巡査部長
ミッチェル:巡査
サグデン:警官
マカリスター:指紋係
ブレーン:警察医
「午後5時、バーウィック・テラスの4番地に十客のティーカップが出現するでしょう」
その手紙はポラード部長刑事にとっては、笑い飛ばす類のものだった。ところが、それを見たマスターズ警部の反応は違った。彼は真剣な表情を浮かべており、その緊張感は、決してそれが笑い事ではないと告げていた。
それがなぜなのか、さっぱりわからないポラードにマスターズは説明した。以前にも同様の手紙が届いたことがあり、そのときには指定された家で他殺体が発見されたのだと。そしてそこには十客のティーカップが並んでいた。
その事件の被害者には、特に恨みを持つ人物も見当たらず、現場には高価なティーカップが残されたままになっており、金銭的な目的とも考えづらい。捜査は行き詰まり、未解決のままになっていた。
以前の轍は踏まぬとばかり、マスターズはさっそく動いた。指定されたバーウィック・テラスの家の周囲に警官を配置し、ポラードを家の中に忍び込ませた。人の出入りを完全に監視し、もし何かがあればすぐに対応する構えである。
問題の家は空き家となっていたが、すでに新たな家具が運び込まれていた。そこに大きめの帽子を被った一人の男がやって来た。裕福な青年のヴァンス・キーティングだった。彼は屋根裏の一室の鍵を開け、中に入った。それからしばらくして、2発の銃声が響いた。
屋根裏の別の部屋に潜み、キーティングが入った部屋を外から監視していたポラードはすぐにそこに飛び込んだ。室内には、至近距離から2発の銃弾を後頭部と背中に受けたキーティングの死体があった。ほかには誰もいなかった。通りに面した窓が開け放たれていた。ここは地上から13メートルの高さにある部屋だが、殺人者が逃げるとすればそこしかない。ポラードは外にいる同僚に向かって叫んだ。
「犯人は窓から逃げた!」
ところが、窓の外から見張っていたホリス巡査部長は言った。
「そこからは誰も出なかった」
※以下反転表示部のネタバレ注意。
遠距離からの射殺を至近距離からのものとして偽装するというトリックに極めて高い比重が置かれており、たまたま即座に読者が真相に感づいたら目も当てられない、結構危険なバランスの上に立っている作品だろう。
とは言え、作者はそのトリックを成立させるために、かなり特殊な状況を作り出しており、それが判明しない序盤では簡単には気づかせないようになっている。
作品の出来もなかなかだが、もう一つ印象的なのが解決編の作り。H・Mが手掛かりを細かく指摘(作中では該当するページの数字が記載されている)しながら説明し、読者が彼の推理の道筋を辿れるようになっている。綺麗にまとめられているため、カーの手掛かりの出し方も理解しやすく、ミステリを作者との対決として捉える読者にとっては、以後の対戦においても大きな武器となるだろう。もちろん、そうではない、作者に喜んで騙される“善良な”読者にとっても楽しい読み物となっている。
終盤での新たな死体の登場もサービス満点。カーが敬愛するチェスタトンを彷彿させる隠し方が微笑ましいw
十客のティーカップがその存在をほのめかす秘密結社という設定がまったくと言っていいほどに機能していないが、カー作品のオカルティックな設定は、大抵は形ばかりの妙に軽いものなので、今さら大した減点材料にはなるまいw
しかし後頭部に焼け焦げがあるだけで、警察の調査を経ても至近距離からの狙撃と見做されるのかなぁ?とは思う。前日に受けた傷を判別したり、おかしな点は発見できないのだろうか。それはともかく、狙撃手の腕が素晴らしいw
[1 孔雀の羽根](8) 午後5時ちょうどにバーウィック・テラスの家で、十客のティーカップが出現するという予告状が警察に届く。一見ちょっとした冗談のような手紙だが、マスターズ主席警部は鋭く反応した。2年前にも、指定の場所こそペンドラゴン・ガーデンズだったものの、同様の手紙が届いていた。そのときには、至近距離から銃撃された死体がその部屋の中で発見されたのだった。そこには壊れたものも含め、十客のティーカップが並んでいた。被害者はダートリーという名の裕福な男だった。殺人者は彼を罠に掛けて呼び出したのであろうと思われるが、目的がまったくわからない。並べられたティーカップは高級品で、ダートリーの所有物であるが、それすら盗まれておらず、金銭的な目的とは考えづらい。それどころか、犯人はこの部屋を準備するために大枚をはたいているのだ。かと言って、彼にはこれという敵も見当たらず、怨恨の線も薄い。この事件はすべてが謎で、糸口すら掴めぬまま、未解決となっていた。マスターズはすぐにH・Mに手紙を見せた。
[2 警察官の任務](22) バーウィック・テラスの家には家具が運び込まれていることがわかった。ペンドラゴン・ガーデンズの事件の再現はさせまいと、家の周囲に2名の警官を張り付かせ、さらにポラード部長刑事も派遣された。【バーウィック・テラスには幅20メートルほどの通りの両側に家が並び、窓や扉が向かい合っている。問題の家の向かいの家にはホリスが張り込んでいるが、その窓には埃が積もり、中はよく見えない】
[3 殺人者の予告](36) ポラードは購入するために家を見るふりをして中に入ろうとしたが、金持ちの青年のキーティングはその場で契約をまとめて家を購入してしまい、閉め出されてしまった。そこでポラードは家の中に忍び込むことにした。隠れ潜んでいると、キーティングが家を出たので、その隙に各部屋を調べた。屋根裏部屋の一つは施錠されていた。しばらくすると、キーティングが帰って来たので、ポラードは空っぽの部屋の一つに隠れた。扉の隙間から、施錠された部屋が見える場所だ。キーティングがやって来た。彼は鍵を開け、例の部屋の中に入り、扉を閉めた。その動作は素早かったが、その間にポラードは室内にティーカップが並んでいるのを見た。キーティングが部屋に入る際、彼が帽子を脱いだのもポラードの目に留まった。そのとき時刻は午後4時15分。ポラードは扉を見張り続けた。そして午後5時となった。キーティングの悲鳴と銃声が聞こえた。二発目の銃声が聞こえて、すぐにポラードは走り出した。硝煙の匂いをはっきりと感じた。キーティングがいる部屋の扉を開け、中に入った。十客のティーカップのうち、二つが砕けていた。キーティングは後頭部と背中に銃弾を受け、死んでいた。拳銃が落ちていた。室内にはほかに誰もいない。窓が開いていた。通りは13メートルも下だが、殺人犯が逃げるとしたらここしかない。犯人は窓から逃げたぞと、ポラードは叫んだ。ところが家の周囲を見張っていたホリス巡査部長は言った。「その窓からは誰も出なかった」【バーウィック・テラスの家を訪れた際、キーティングは頭をすっぽりと隠す大きな帽子を被っていた。1発目の銃声は2発目よりも不明瞭な音。天気は荒れ模様で外は暗くなっていた。キーティングは左脇を下にして、頭を扉のほうへ向け、身を伸ばして倒れていた。彼の背中側のほうの床に拳銃が落ちていた】
[4 弁護士の旧居](49) 警察医により、キーティングは至近距離から撃たれたと断定される。部屋にあった帽子には、彼の従兄弟のフィリップ・キーティングの名前が記されている。キーティングが単に取り間違えたのか、何らかの理由で彼はそれを被ってこの家に戻って来たらしい。死体の下から「J・D」の頭文字入のシガレットケースが見つかる。ジェレミー・ダーウェントという人物は、ペンドラゴン・ガーデンズ、バーウィック・テラス、どちらの家にも住んでいたことがある。【拳銃の重量は軽め。すり減って黒っぽくなっている。もし狙撃が遠距離からのものだったなら、開いた窓から簡単に行えた】
[5 死人の目](62) 殺される前のキーティングの行動、殺されたときの様子について検討。割れたティーカップは飛び散っているわけでもなく、重い物が上に乗ったような印象。キーティングが倒れた際に押し潰したのか? 室内に運び込まれた調度品は高級品ばかりだが、ティーカップは安売り店のありふれた品。
[6 拳銃をめぐる六人](75) キーティングの婚約者のゲールがやって来た。キーティングとガードナーとの間に何らかのいさかいがあったらしい。キーティング殺害に使用されたらしき拳銃は、ガードナーの所有品。パーティーの際の“殺人ゲーム”に使用され、出席者の誰かが持ち去った可能性もある。出席者はガードナー、キーティング、フィリップ、ゲール、美術商のソア、弁護士のダーウェント、彼の妻のジャネットの7名の予定だったが、キーティングは出席を取り止め、ジャネットは出席してすぐに引き上げた。ゲールは明らかにジャネットに反感を抱いている。事件の少し前にバーウィック・テラス付近でゲールとその車が目撃されているが、彼女はその一切を否定。
[7 レディ用箱型自動車](93) マスターズはジャネットの車に同乗して立ち去り、H・Mとポラードはダーウェントを訪ねた。ジャネットは殺人現場の遺留物のシガレットケースが自分のものであると認めた。ダーウェントはキーティングの遺言書について語った。それによると、彼の遺産はジャネットに渡ることになっているという。
[8 蛾がとまらない男](109) ダーウェントはジャネットとキーティングとの関係は知っていた。ダーウェントは金遣いの荒いジャネットとの婚姻関係に少々嫌気が差しており、もしジャネットがキーティングとの結婚の約束を取り付ければ、ダーウェント夫妻は円満に別れられると考えていた。【ジャネットの旅行は2週間も前から計画されていたもので、アリバイとしては固い】
[9 株式仲買人の良心](124) H・Mのもとにフィリップが訪れた。フィリップはキーティングとガードナーの喧嘩について語った。その際、キーティングは例の拳銃を手に取り、発砲までした。それは家具を壊す程度で済んだ。フィリップによると、キーティングは火器を恐れているが、それを隠しているらしい。その拳銃はガードナーが持ち帰ったという。【バーウィック・テラスの家に運び込まれた家具はどれもあまり重くはなさそう。キーティングの背中の銃弾は下方から斜め上方へ向けて撃ち込まれていた。キーティング殺害現場の部屋の窓は縦1.3メートル、横1.65メートルの大きさ。キーティングは火器を恐れ、それを他人に知られることを恐れている。フィリップは発砲の音を聞いただけで、その瞬間を目撃してはいない。バートレットも同様。その室内は薄暗かった。ガードナーはクリケットが上手かった】
[10 じゅうたんの焼け跡](138) マスターズはジャネットと彼女の叔母たちとの会談結果をH・Mに報告した。ジャネットのアリバイを確認し、シガレットケースは彼女からキーティングの手に渡ったものだと、彼女から聞いた。シガレットケースに残された女の指紋は彼女のものではない。マスターズはH・Mも知らぬ事実を一つ気づいていた。殺人現場の部屋の天井からガス管が出ており、それはちょうど拳銃の銃口と同じくらいの太さだった。そこには鉛が詰め込まれていたが、その真下の絨毯に火薬による焦げ跡があった。【絨毯の焦げ跡】
[11 持ち主のない帽子](151) ゲールはシガレットケースの指紋が自分のものであろうと認めた。フィリップを追及すると、拳銃をガードナーが持ち去ったとは断定できなくなった。殺人現場にあった帽子は自分のものではないとフィリップは言う。キーティングがその帽子を被っていたのはわかっているのだから、それは殺人犯の遺留品とは思われず、フィリップが嘘をついてそれを否定する理由は見当たらない。【シガレットケースは鏡代わりになるほどにぴかぴかしたもの】
[12 従者の災難](168) ガードナーがキーティングとの喧嘩について説明する。彼らは“殺人ゲーム”のリハーサルをしていただけであり、銃が暴発しただけなのだと。キーティングは終始上機嫌だった。なぜ彼がパーティー出席を取り止めたのか不明。【ガードナーの拳銃の引き金は軽く触れただけで作動するほどに敏感。“殺人ゲーム”のリハーサルをフィリップが見ていたと知ったとき、ガードナーはそれについて彼に問い返した】
[13 金襴のテーブル掛け](185) ソアを尋問。犯行現場にあったテーブル掛けはソアが売ったもの。キーティングを名乗る人物からの注文で、ジャネットに送った。ソアがキーティングに確認してみると、キーティングは注文したことを否定したが、ジャネットへの贈り物を取り消すのも嫌だということで、そのまま彼女のもとへ送ることになった。【ソアはガードナーに対してやや反感を持っている。ジャネットへの贈り物について、ソアが彼女に話しかけたとき、奇妙な雰囲気になった。ガードナーには異国の奇妙な風習などについて書いた著作があることをソアが指摘】
[14 この章には、重要な記録が読者の前に提供される](203) バートレットの証言。キーティングが殺された水曜日、正午に彼が部屋を出るときには帽子を被っていなかった。ところがエレベーターで降りて来る彼を見た管理人は、彼が帽子を被っていたのを見ている。その後、彼は一旦家に戻ったのだが、その際には彼が帽子を被っていたのをバートレットも確認している。これらの証言が正しいなら、キーティングは部屋を出てからマンションの出口に辿り着く間に帽子を被ったことになる。同じマンション内にはフィリップの部屋もあり、そこでキーティングが帽子を入手した可能性については、フィリップはその帽子は自分の所持品ではないとして否定。キーティングはその帽子について、魔力を持っているとか何とか語っていた。十客のティーカップについての例の手紙がまたもや警察に届く。今度の指定先はランカスター・ミューズの家で、すでに家具が運び込まれた。【バートレットの両手には特に異常はない。誤発砲事故の後、キーティングと会ったのはバートレットとダーウェントだけ。ダーウェントが訪ねた際、キーティングは濡れタオルを頭に巻き、ベッドに入って唸っていた】
[15 暗い窓](222) H・Mやマスターズたちがランカスター・ミューズの家に入ると、そこにはダーウェントとソアがいた。あの手紙はダーウェントが書いたもので、警察をおびき寄せるためのものだったという。ダーウェントはダートリー殺しの犯人を、今はもう故人となっているソアの父だと指摘した。
[16 青い水差し](236) ダートリー殺害事件の真相が解明される。“ティーカップ結社”なる秘密結社は存在しない。
[17 容疑者の集合](252) ジャネットがやって来た。彼女はマスターズを煙に巻く。家の中からは拳銃と手袋、そしてまだ新しい血が付いたナイフが見つかった。マスターズたちがこの家に入ったとき、ダーウェントとソア、そしてもう一人の人物の存在を見て取ったが、家の中には、そこにいることがすでに判明している人物以外は見当たらない。
[18 魔術師の椅子](270) キーティングとゲールはすでに密かに結婚していた。それ以前の遺言書は自動的に無効となり、ジャネットには遺産は渡らないようになっていた。H・Mはソアを立たせた。彼が座っていた椅子に掛けられたカバーの下にはバートレットの死体があった。
[19 H・Mの法法](283) H・Mは説明した。密室殺人にはいくつかの理由があるが、その一つは殺害方法さえ判らなければ有罪にはならないということであると。彼はジャネットを追及した。そのとき、ごく自然な様子で一人の人物が部屋に入って来て、ナイフを手に取った。
[20 人はかならずしも、あらゆることを考えない](298) H・Mは手掛かりとなったものを指摘しつつ、真相を知るに至った経緯を説明する。事件解明の最大の障害となっているのは、被害者が至近距離から撃たれたという点。もしそれさえ否定できれば、捜査は一気に進展できる。そしてついにH・Mは、ポラードが聞いた1発目の銃声は殺害現場の部屋ではなく、その向かいの部屋から響いたものであることを納得させるのだった。H・Mはバートレットが共犯者である可能性も検討したが、彼が犯人にアリバイを与える機会をまったく利用しなかったことから、それは薄いと考えた。
ヴァンス・キーティング:冒険好きの金持ちの青年
フィリップ・キーティング:その従兄弟, 株式仲買人
フランシス・ゲール:女性ゴルファー, ヴァンスの恋人
ロナルド(ロン)・ガードナー:ヴァンスの親友
アルフレッド・エドワード・バートレット:ヴァンスの従者
ホーキンズ:ヴァンスの給仕
ジェレミー(ジェム)・ダーウェント:バーウィック・テラスの前の住人, 老弁護士
ジャネット・ダーウェント:美貌のその妻
ベンジャミン・ソア:父親の跡を継いだ美術商
ウィリアム・モリス・ダートリー:ペンドラゴン・ガーデンズの住人, 最初の被害者
アラベラ:ダーウェント家の女中
アリス・バークハート:ジャネットの未婚の叔母
ラヴィニア・バークハート:同
ヘンリ・メルヴェール卿(H・M):イギリス政府高官, 犯罪捜査の天才
フォリオット:H・Mの秘書, “ロリポップ”
ハンフリー・マスターズ:ロンドン警視庁主席警部
ボブ・ポラード:部長刑事
コトリル:L分署の警部
ホリス:L分署の巡査部長
ポーター:警官
ライト:私服刑事
バンクス:巡査部長
ミッチェル:巡査
サグデン:警官
マカリスター:指紋係
ブレーン:警察医
「午後5時、バーウィック・テラスの4番地に十客のティーカップが出現するでしょう」
その手紙はポラード部長刑事にとっては、笑い飛ばす類のものだった。ところが、それを見たマスターズ警部の反応は違った。彼は真剣な表情を浮かべており、その緊張感は、決してそれが笑い事ではないと告げていた。
それがなぜなのか、さっぱりわからないポラードにマスターズは説明した。以前にも同様の手紙が届いたことがあり、そのときには指定された家で他殺体が発見されたのだと。そしてそこには十客のティーカップが並んでいた。
その事件の被害者には、特に恨みを持つ人物も見当たらず、現場には高価なティーカップが残されたままになっており、金銭的な目的とも考えづらい。捜査は行き詰まり、未解決のままになっていた。
以前の轍は踏まぬとばかり、マスターズはさっそく動いた。指定されたバーウィック・テラスの家の周囲に警官を配置し、ポラードを家の中に忍び込ませた。人の出入りを完全に監視し、もし何かがあればすぐに対応する構えである。
問題の家は空き家となっていたが、すでに新たな家具が運び込まれていた。そこに大きめの帽子を被った一人の男がやって来た。裕福な青年のヴァンス・キーティングだった。彼は屋根裏の一室の鍵を開け、中に入った。それからしばらくして、2発の銃声が響いた。
屋根裏の別の部屋に潜み、キーティングが入った部屋を外から監視していたポラードはすぐにそこに飛び込んだ。室内には、至近距離から2発の銃弾を後頭部と背中に受けたキーティングの死体があった。ほかには誰もいなかった。通りに面した窓が開け放たれていた。ここは地上から13メートルの高さにある部屋だが、殺人者が逃げるとすればそこしかない。ポラードは外にいる同僚に向かって叫んだ。
「犯人は窓から逃げた!」
ところが、窓の外から見張っていたホリス巡査部長は言った。
「そこからは誰も出なかった」
※以下反転表示部のネタバレ注意。
遠距離からの射殺を至近距離からのものとして偽装するというトリックに極めて高い比重が置かれており、たまたま即座に読者が真相に感づいたら目も当てられない、結構危険なバランスの上に立っている作品だろう。
とは言え、作者はそのトリックを成立させるために、かなり特殊な状況を作り出しており、それが判明しない序盤では簡単には気づかせないようになっている。
作品の出来もなかなかだが、もう一つ印象的なのが解決編の作り。H・Mが手掛かりを細かく指摘(作中では該当するページの数字が記載されている)しながら説明し、読者が彼の推理の道筋を辿れるようになっている。綺麗にまとめられているため、カーの手掛かりの出し方も理解しやすく、ミステリを作者との対決として捉える読者にとっては、以後の対戦においても大きな武器となるだろう。もちろん、そうではない、作者に喜んで騙される“善良な”読者にとっても楽しい読み物となっている。
終盤での新たな死体の登場もサービス満点。カーが敬愛するチェスタトンを彷彿させる隠し方が微笑ましいw
十客のティーカップがその存在をほのめかす秘密結社という設定がまったくと言っていいほどに機能していないが、カー作品のオカルティックな設定は、大抵は形ばかりの妙に軽いものなので、今さら大した減点材料にはなるまいw
しかし後頭部に焼け焦げがあるだけで、警察の調査を経ても至近距離からの狙撃と見做されるのかなぁ?とは思う。前日に受けた傷を判別したり、おかしな点は発見できないのだろうか。それはともかく、狙撃手の腕が素晴らしいw
[1 孔雀の羽根](8) 午後5時ちょうどにバーウィック・テラスの家で、十客のティーカップが出現するという予告状が警察に届く。一見ちょっとした冗談のような手紙だが、マスターズ主席警部は鋭く反応した。2年前にも、指定の場所こそペンドラゴン・ガーデンズだったものの、同様の手紙が届いていた。そのときには、至近距離から銃撃された死体がその部屋の中で発見されたのだった。そこには壊れたものも含め、十客のティーカップが並んでいた。被害者はダートリーという名の裕福な男だった。殺人者は彼を罠に掛けて呼び出したのであろうと思われるが、目的がまったくわからない。並べられたティーカップは高級品で、ダートリーの所有物であるが、それすら盗まれておらず、金銭的な目的とは考えづらい。それどころか、犯人はこの部屋を準備するために大枚をはたいているのだ。かと言って、彼にはこれという敵も見当たらず、怨恨の線も薄い。この事件はすべてが謎で、糸口すら掴めぬまま、未解決となっていた。マスターズはすぐにH・Mに手紙を見せた。
[2 警察官の任務](22) バーウィック・テラスの家には家具が運び込まれていることがわかった。ペンドラゴン・ガーデンズの事件の再現はさせまいと、家の周囲に2名の警官を張り付かせ、さらにポラード部長刑事も派遣された。【バーウィック・テラスには幅20メートルほどの通りの両側に家が並び、窓や扉が向かい合っている。問題の家の向かいの家にはホリスが張り込んでいるが、その窓には埃が積もり、中はよく見えない】
[3 殺人者の予告](36) ポラードは購入するために家を見るふりをして中に入ろうとしたが、金持ちの青年のキーティングはその場で契約をまとめて家を購入してしまい、閉め出されてしまった。そこでポラードは家の中に忍び込むことにした。隠れ潜んでいると、キーティングが家を出たので、その隙に各部屋を調べた。屋根裏部屋の一つは施錠されていた。しばらくすると、キーティングが帰って来たので、ポラードは空っぽの部屋の一つに隠れた。扉の隙間から、施錠された部屋が見える場所だ。キーティングがやって来た。彼は鍵を開け、例の部屋の中に入り、扉を閉めた。その動作は素早かったが、その間にポラードは室内にティーカップが並んでいるのを見た。キーティングが部屋に入る際、彼が帽子を脱いだのもポラードの目に留まった。そのとき時刻は午後4時15分。ポラードは扉を見張り続けた。そして午後5時となった。キーティングの悲鳴と銃声が聞こえた。二発目の銃声が聞こえて、すぐにポラードは走り出した。硝煙の匂いをはっきりと感じた。キーティングがいる部屋の扉を開け、中に入った。十客のティーカップのうち、二つが砕けていた。キーティングは後頭部と背中に銃弾を受け、死んでいた。拳銃が落ちていた。室内にはほかに誰もいない。窓が開いていた。通りは13メートルも下だが、殺人犯が逃げるとしたらここしかない。犯人は窓から逃げたぞと、ポラードは叫んだ。ところが家の周囲を見張っていたホリス巡査部長は言った。「その窓からは誰も出なかった」【バーウィック・テラスの家を訪れた際、キーティングは頭をすっぽりと隠す大きな帽子を被っていた。1発目の銃声は2発目よりも不明瞭な音。天気は荒れ模様で外は暗くなっていた。キーティングは左脇を下にして、頭を扉のほうへ向け、身を伸ばして倒れていた。彼の背中側のほうの床に拳銃が落ちていた】
[4 弁護士の旧居](49) 警察医により、キーティングは至近距離から撃たれたと断定される。部屋にあった帽子には、彼の従兄弟のフィリップ・キーティングの名前が記されている。キーティングが単に取り間違えたのか、何らかの理由で彼はそれを被ってこの家に戻って来たらしい。死体の下から「J・D」の頭文字入のシガレットケースが見つかる。ジェレミー・ダーウェントという人物は、ペンドラゴン・ガーデンズ、バーウィック・テラス、どちらの家にも住んでいたことがある。【拳銃の重量は軽め。すり減って黒っぽくなっている。もし狙撃が遠距離からのものだったなら、開いた窓から簡単に行えた】
[5 死人の目](62) 殺される前のキーティングの行動、殺されたときの様子について検討。割れたティーカップは飛び散っているわけでもなく、重い物が上に乗ったような印象。キーティングが倒れた際に押し潰したのか? 室内に運び込まれた調度品は高級品ばかりだが、ティーカップは安売り店のありふれた品。
[6 拳銃をめぐる六人](75) キーティングの婚約者のゲールがやって来た。キーティングとガードナーとの間に何らかのいさかいがあったらしい。キーティング殺害に使用されたらしき拳銃は、ガードナーの所有品。パーティーの際の“殺人ゲーム”に使用され、出席者の誰かが持ち去った可能性もある。出席者はガードナー、キーティング、フィリップ、ゲール、美術商のソア、弁護士のダーウェント、彼の妻のジャネットの7名の予定だったが、キーティングは出席を取り止め、ジャネットは出席してすぐに引き上げた。ゲールは明らかにジャネットに反感を抱いている。事件の少し前にバーウィック・テラス付近でゲールとその車が目撃されているが、彼女はその一切を否定。
[7 レディ用箱型自動車](93) マスターズはジャネットの車に同乗して立ち去り、H・Mとポラードはダーウェントを訪ねた。ジャネットは殺人現場の遺留物のシガレットケースが自分のものであると認めた。ダーウェントはキーティングの遺言書について語った。それによると、彼の遺産はジャネットに渡ることになっているという。
[8 蛾がとまらない男](109) ダーウェントはジャネットとキーティングとの関係は知っていた。ダーウェントは金遣いの荒いジャネットとの婚姻関係に少々嫌気が差しており、もしジャネットがキーティングとの結婚の約束を取り付ければ、ダーウェント夫妻は円満に別れられると考えていた。【ジャネットの旅行は2週間も前から計画されていたもので、アリバイとしては固い】
[9 株式仲買人の良心](124) H・Mのもとにフィリップが訪れた。フィリップはキーティングとガードナーの喧嘩について語った。その際、キーティングは例の拳銃を手に取り、発砲までした。それは家具を壊す程度で済んだ。フィリップによると、キーティングは火器を恐れているが、それを隠しているらしい。その拳銃はガードナーが持ち帰ったという。【バーウィック・テラスの家に運び込まれた家具はどれもあまり重くはなさそう。キーティングの背中の銃弾は下方から斜め上方へ向けて撃ち込まれていた。キーティング殺害現場の部屋の窓は縦1.3メートル、横1.65メートルの大きさ。キーティングは火器を恐れ、それを他人に知られることを恐れている。フィリップは発砲の音を聞いただけで、その瞬間を目撃してはいない。バートレットも同様。その室内は薄暗かった。ガードナーはクリケットが上手かった】
[10 じゅうたんの焼け跡](138) マスターズはジャネットと彼女の叔母たちとの会談結果をH・Mに報告した。ジャネットのアリバイを確認し、シガレットケースは彼女からキーティングの手に渡ったものだと、彼女から聞いた。シガレットケースに残された女の指紋は彼女のものではない。マスターズはH・Mも知らぬ事実を一つ気づいていた。殺人現場の部屋の天井からガス管が出ており、それはちょうど拳銃の銃口と同じくらいの太さだった。そこには鉛が詰め込まれていたが、その真下の絨毯に火薬による焦げ跡があった。【絨毯の焦げ跡】
[11 持ち主のない帽子](151) ゲールはシガレットケースの指紋が自分のものであろうと認めた。フィリップを追及すると、拳銃をガードナーが持ち去ったとは断定できなくなった。殺人現場にあった帽子は自分のものではないとフィリップは言う。キーティングがその帽子を被っていたのはわかっているのだから、それは殺人犯の遺留品とは思われず、フィリップが嘘をついてそれを否定する理由は見当たらない。【シガレットケースは鏡代わりになるほどにぴかぴかしたもの】
[12 従者の災難](168) ガードナーがキーティングとの喧嘩について説明する。彼らは“殺人ゲーム”のリハーサルをしていただけであり、銃が暴発しただけなのだと。キーティングは終始上機嫌だった。なぜ彼がパーティー出席を取り止めたのか不明。【ガードナーの拳銃の引き金は軽く触れただけで作動するほどに敏感。“殺人ゲーム”のリハーサルをフィリップが見ていたと知ったとき、ガードナーはそれについて彼に問い返した】
[13 金襴のテーブル掛け](185) ソアを尋問。犯行現場にあったテーブル掛けはソアが売ったもの。キーティングを名乗る人物からの注文で、ジャネットに送った。ソアがキーティングに確認してみると、キーティングは注文したことを否定したが、ジャネットへの贈り物を取り消すのも嫌だということで、そのまま彼女のもとへ送ることになった。【ソアはガードナーに対してやや反感を持っている。ジャネットへの贈り物について、ソアが彼女に話しかけたとき、奇妙な雰囲気になった。ガードナーには異国の奇妙な風習などについて書いた著作があることをソアが指摘】
[14 この章には、重要な記録が読者の前に提供される](203) バートレットの証言。キーティングが殺された水曜日、正午に彼が部屋を出るときには帽子を被っていなかった。ところがエレベーターで降りて来る彼を見た管理人は、彼が帽子を被っていたのを見ている。その後、彼は一旦家に戻ったのだが、その際には彼が帽子を被っていたのをバートレットも確認している。これらの証言が正しいなら、キーティングは部屋を出てからマンションの出口に辿り着く間に帽子を被ったことになる。同じマンション内にはフィリップの部屋もあり、そこでキーティングが帽子を入手した可能性については、フィリップはその帽子は自分の所持品ではないとして否定。キーティングはその帽子について、魔力を持っているとか何とか語っていた。十客のティーカップについての例の手紙がまたもや警察に届く。今度の指定先はランカスター・ミューズの家で、すでに家具が運び込まれた。【バートレットの両手には特に異常はない。誤発砲事故の後、キーティングと会ったのはバートレットとダーウェントだけ。ダーウェントが訪ねた際、キーティングは濡れタオルを頭に巻き、ベッドに入って唸っていた】
[15 暗い窓](222) H・Mやマスターズたちがランカスター・ミューズの家に入ると、そこにはダーウェントとソアがいた。あの手紙はダーウェントが書いたもので、警察をおびき寄せるためのものだったという。ダーウェントはダートリー殺しの犯人を、今はもう故人となっているソアの父だと指摘した。
[16 青い水差し](236) ダートリー殺害事件の真相が解明される。“ティーカップ結社”なる秘密結社は存在しない。
[17 容疑者の集合](252) ジャネットがやって来た。彼女はマスターズを煙に巻く。家の中からは拳銃と手袋、そしてまだ新しい血が付いたナイフが見つかった。マスターズたちがこの家に入ったとき、ダーウェントとソア、そしてもう一人の人物の存在を見て取ったが、家の中には、そこにいることがすでに判明している人物以外は見当たらない。
[18 魔術師の椅子](270) キーティングとゲールはすでに密かに結婚していた。それ以前の遺言書は自動的に無効となり、ジャネットには遺産は渡らないようになっていた。H・Mはソアを立たせた。彼が座っていた椅子に掛けられたカバーの下にはバートレットの死体があった。
[19 H・Mの法法](283) H・Mは説明した。密室殺人にはいくつかの理由があるが、その一つは殺害方法さえ判らなければ有罪にはならないということであると。彼はジャネットを追及した。そのとき、ごく自然な様子で一人の人物が部屋に入って来て、ナイフを手に取った。
[20 人はかならずしも、あらゆることを考えない](298) H・Mは手掛かりとなったものを指摘しつつ、真相を知るに至った経緯を説明する。事件解明の最大の障害となっているのは、被害者が至近距離から撃たれたという点。もしそれさえ否定できれば、捜査は一気に進展できる。そしてついにH・Mは、ポラードが聞いた1発目の銃声は殺害現場の部屋ではなく、その向かいの部屋から響いたものであることを納得させるのだった。H・Mはバートレットが共犯者である可能性も検討したが、彼が犯人にアリバイを与える機会をまったく利用しなかったことから、それは薄いと考えた。